【2021年民放連賞 テレビ準グランプリ受賞のことば】「おひさま家族」の姿 これからも追い続ける

中村 潔
【2021年民放連賞 テレビ準グランプリ受賞のことば】「おひさま家族」の姿 これからも追い続ける

私が清麟太郎君(18)と出会ったのは12年前。祖母・文子さんが『りんくんとおひさまとしゃぼんだま』という本を自費出版したことがきっかけです。

「りんくんは おひさまのひかりに あたることができないびょうきです。だからりんくんは あさはやく おひさまがでていないこうえんで じいじとあそびます」という書き出しから始まる絵本は、外遊びが大好きな孫の生きる証と、色素性乾皮症の現実を知ってほしいとの思いが込められたものでした。

色素性乾皮症......聞き慣れない病名を何気なく検索して驚きました。国内でも500人ほどしか患者がいないこと。太陽の紫外線を浴びると火傷のような水疱ができ、やがて高確率で皮膚がんを発症。さらに、年を重ねるにつれて神経障害を伴い、30歳を迎えるころにはその生涯を終えることなど、絶望的とも思える言葉が並んでいました。

あらためて絵本を手に取ると、そこには笑顔で元気いっぱいに遊ぶりん君の姿が。この子があと20年ほどしか生きられないの? 家族はどんな思いでこの本を作ったの? など、自分の中でさまざまな感情が湧き、りん君、そして家族に「会ってみたい!」と強く思いました。ここから12年にわたる清さん家族とのお付き合いが始まります。

【サイズ変更済み】写真① 日が暮れてからの外遊び(6歳).jpg

<日が暮れてからの外遊び(6歳)>

取材当初のりん君は多弁で活発。朝は祖父の新聞配達を手伝い、夕方日が沈むと広場に出かけ、自転車に乗って遊ぶのが大好きな少年でした。しかし、6歳の小学校入学時をピークに、その体は日々弱まっていきます。高学年になると転ぶことが多くなり、自転車にも乗れなくなりました。

その姿を撮り続けていた私は、りん君や家族の皆さんをどこか「かわいそう」「大変な人たち」という目で見ており、そういった面ばかりを引き出そうとしていました。ところがある時、母親の京子さんから、「日に当たることができたり、他の人と同じことができたらりん君じゃない。だからあのままでいいんだ」と言われ、私の認識は間違っていたのだと痛感しました。

病状を宣告されたのは、生後10カ月の時。母親はその場で気を失い、気がつくと病院のベッドの上だったそうです。しかし、悲しみに暮れたのは1、2週間だけ。「ショックを受けている場合じゃない。だって、この子は生きているんだから」――そう気持ちを切り替え、りん君の人生を出来できるかぎり豊かなものにしようと毎日努力を続ける家族の姿は、本当に魅力的に映りました。

【サイズ変更済み】写真③ 紫外線を防ぐ特殊な帽子(12歳).jpg

<紫外線を防ぐ特殊な帽子(12歳)>

しかし、色素性乾皮症患者にとって「時」は無常で残酷なものです。12歳で歩行困難が出現、15歳で起立不能、16歳で車椅子使用が平均的という機能低下の経過を、りん君はほぼ時間どおりになぞっています。つまり、彼にとって「生きること」とは死に向かっての確実なスケジュールを辿ることでしかありません。

「長生きはしてほしいけど、僕と同じくらいの寿命がいい。幸せな麟太郎と一緒にあの世に行けたら。1人残されて、誰かに迷惑だと思われたらかわいそう」と言う父・淳一さんの言葉。難病を抱えるということは、こういうことなのかと深く考えさせられるとともに、私自身涙が止まらず、それ以上インタビューを続けることができませんでした。取材を続けるということは、その分、りん君の「死」に近づいていくことにもなります。自分にこの家族を撮影する覚悟はあるのか、番組で何を伝えるのかと葛藤しながらの日々でしたが、この素敵な家族を皆さんに知ってほしい、最後はその思いだけでした。

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<家族写真(17歳)>

今回、準グランプリを受賞して、何より喜んでくださったのが「おひさま家族」の皆さんです。この病のことを、一人でも多くの方に理解してもらいたいと思っている家族の願いが、この受賞で少しでも叶えられるのなら私もうれしく思います。

限られたりん君の命。もし、生まれた時から生きる時間が決まっているとしたら、人は、家族はどのような人生を歩むのでしょうか。「毎日が幸せ」と言い切るおひさま家族の姿を、これからも追い続けていきたいと思います。


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