【2021年度(第76回)文化庁芸術祭受賞のことば テレビ・ドキュメンタリー部門大賞】テレビ岩手『たゆたえども沈まず』 震災後10年 人間の慈しみ描く

遠藤 隆
【2021年度(第76回)文化庁芸術祭受賞のことば テレビ・ドキュメンタリー部門大賞】テレビ岩手『たゆたえども沈まず』 震災後10年 人間の慈しみ描く

ローカル局の良さというと、地域に密着した情報や映像をきめ細かく集めることができること。東日本大震災のような大災害に際しては、地元局に加えて系列局の応援も入るので発生当初は膨大な量の映像が集まった。また、その後も日常的に被災地の取材を続けることができた。今回の番組では、テレビ岩手が続けてきた定点観測の映像や、2011年に誕生した双子の成長の様子も盛り込んで、10年という月日を実感していただけたと思う。今回の番組制作のためにライブラリーを調べたら1,850時間分の記録映像があった。

その半面、テレビ局としての限界もある。震災当時、私は報道部長を務めていた。震災発生から津波の映像を毎日放送していたが、一カ月二カ月するうちに視聴者の方から「もう津波の映像は流さないでほしい」というクレームが増えてきた。テレビは不特定多数の視聴者を対象にしているから、見ている方たちは、いやが応でも局が流す映像を見ざるを得ない。かけがえのない人を奪った津波を見たくないという人は多い。社内で話し合って津波映像の使用はだんだん抑制的になり、最近ではほとんど使っていない。やむを得ない判断だった。

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<東日本大震災発生時の筆者>

しかし、震災報道をする中で、04年に発生したスマトラ沖地震のことが頭をよぎっていた。あの津波映像は、テレビを通じて世界中の人々に津波の実情を動画で詳しく伝えた初めてのものだったと思う。恐ろしい映像の記憶が、東日本大震災の報道をする上で大きな力になった。地震や津波の実情をきちんと伝えることは大切だ。しかし、不特定多数の人を対象にするテレビには限界があった。

災害の恐ろしさ後世に伝える

昨年は震災と津波から10年の節目の年に当たった。これを機に津波の映像を再構成し、後世に伝えたい。そうした思いが今回の番組づくりの出発点になった。三陸沖で発生する地震による津波の多くは、地震発生から少し時間をおいて到達する。釜石の津波到達シーンでも、地震発生とともにカメラマンが避難所となっている高台に上って、小学生に「大丈夫だった?」と聞くと、「大丈夫」と無邪気に答えている。その後しばらくして自分たちがさっきまでいた街は大津波にのみ込まれ、子どもたちの悲痛な泣き声が響いた。車や家までのみ込んでしまう大津波。
 
また、東日本大震災の経験者は何しろクラクションがうるさかったと証言している。この映像と音声は宮古の記者が収録していた。このように津波に伴うさまざまな様相を示すことによって、津波への備えを考えてもらうとともに、後に描く人間模様でも、こういう恐ろしい災害を体験した方たちがこの10年を生き抜いてきたという事実を示したかった。また、今回受賞した番組は学校などさまざまな場面での減災教育に役立ててもらうため、映画やDVDなどの形で記録映像として残していく。
 
「津波てんでんこ」という言葉は、旧綾里村(現大船渡市)生まれの郷土史家、山下文男さんが世に広めた。山下さんは震災の年の暮れに亡くなった。生前2度ほど取材させていただいたが、山下さんの語る「津波てんでんこ」、津波の時はてんでんばらばらでもいいからとにかく逃げろという教えを、作品に盛り込みたいと思っていた。釜石東中学校が震災の2年前に制作した防災ビデオを使わせてもらい、てんでんこの教えをこの作品で伝えることができてうれしく思っている。

昭和三陸津波に襲われ、高台に避難して九死に一生を得た経験を持つ山下さんは、私がお会いした時は津波から60年近く経っていたのに、その恐ろしさを昨日のことのように語っておられた。震災の記憶は風化すると言う人がいるが、当事者にとってあの日のことはいつになっても昨日のこと。山下さんはそのことを教えてくれた。

あれから10年。番組の終わりに、震災直後ビデオレターで思いを語った方々が、現在の心持ちを話してくださった。皆さんは悲しみを抱きながら震災後を生き抜いてきた。そうした人間の慈しみの心。そのことが、「たゆたえども沈まず」という作品に一貫して流れているテーマである。

11年目の3月が間もなくやってくる。いや、3月に限らずいつでも震災がらみのテーマは地元のテレビ局として追い続ける。


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