【新放送人に向けて2022③】老ジャーナリストからフレッシュな放送人へ

隈元 信一
【新放送人に向けて2022③】老ジャーナリストからフレッシュな放送人へ

いま放送界に飛び込んで、歩き始める。何と幸せなことだろう。私は68歳の老ジャーナリスト。35歳から今日に至るまで、ラジオやテレビの世界を取材してきた。「放送って面白い」と心から思える。番組に励まされたり慰められたりしている人が、いかにたくさんいることか。目の当たりにしてきたのが、私の記者人生だった。

この2月、私は『探訪 ローカル番組の作り手たち』という本を出した。その冒頭にこう書いた。「日本のローカル番組が面白い。地方の作り手が元気だ」。北海道から沖縄まで、各地で番組を作っている人たちを訪ね歩いての実感である。読んでいただいた作り手からは「今更ながら、いい世界で仕事ができたんだなあ、と感じています」といった反響が届く。先輩たちがこんなにやり甲斐を持って仕事をしていると思えば、後に続く人たちも勇気がわいてくるに違いない。この本に出てくる作り手の言葉を二人だけ紹介しよう。

「ローカル局の将来が厳しいのは目に見えている。作る力をどうやって高めていくか。若い人の力を引き出す環境づくりが、われわれ世代の仕事ですね」
「ほんのちょっとでも、番組が世の中を良くするきっかけになるといいなあ」

こんな思いで、若い力に期待している先輩がいる。力を発揮するために、どんなことを心がけたらいいか。アドバイスをまじえながら、フレッシュな放送人にエールを送りたい。

追い風が吹いている

放送界では、経営環境の厳しさが語られる。ラジオはもちろん、テレビの広告収入までがインターネットに抜かれた。合併や倒産の危機に瀕している局もある――などなど。しかし、私の目には、むしろ追い風が吹いているように見える。

収入が減るのは悪いことばかりではない。私が新聞社をやめたあと、わが家の家計は苦しくなったが、そのおかげで倹約心が高まった。無駄遣いをしないようになったのは、良いことなのではないか。放送局や新聞社も同様だろう。

私の少年時代、「大きいことはいいことだ」と山本直純さんが指揮を執って歌うチョコレートのCM がテレビから流れていた。今は「小さいことはいいことだ」の時代と言っていいのではないか。とりわけ地方の小さなラジオ局を訪ねるたびに、そんなことを思う。

「いま一番元気なラジオ局はどこですか」と問われることがある。私は迷わず「沖縄の3局(琉球放送、ラジオ沖縄、エフエム沖縄)」と答える。3局ともスタジオに入った途端、元気な温かい風が吹いてくる気がして、心地が良い。『探訪』で紹介したように、エフエム沖縄のアナウンサー、又吉里香さんが呼びかけて、ラジオ沖縄の小橋川響アナ、琉球放送の嘉大雅アナとアニメでコラボをするなんてこともやっている。ラジオ単営のラジオ沖縄とエフエム沖縄は、社員が30人くらい。小さいからこそ、一人でフットワーク軽く取材に行き、編集まで一人でやり、ほとんど一人で放送を担う。作り手の責任が大きい分、番組は力作が生まれ、失敗してもまた次につながっていく。

組織のリストラもまた、必ずしもマイナスとは限らない。私の経験を振り返っても、大きな部で仕事をしていた時より、少人数の取材班や編集部で記事を書いていた時の方が、意思疎通がとりやすく、仕事がしやすかった。大きなテレビ局も、ラジオ局のような少数精鋭化が参考になる時が来るかもしれない。

「作り手の時代」がやってきた

番組を作る人にとって、やり甲斐がある「作り手の時代」が来ているのではないか。そう思うことが増えた。

今をときめくNetflixのような動画配信サービスも、作り手なしには存在できない。例えば『探訪 ローカル番組の作り手たち』で取り上げた北海道テレビ放送のドラマ『チャンネルはそのまま!』は、放送の前にNetflixが1週先行し、独占配信した。動画配信事業者がローカル局や制作プロダクションに頼る傾向は、強まっていくに違いない。

インターネットの普及、SNSの広がりで、誰もが発信できる時代になったことも「作り手の時代」のもう一つの側面だ。芸能人のYouTubeが人気があるのは、芸や映像のプロなのだから当然と言えば当然だろう。

ロシアがウクライナに侵攻して以来、さまざまな映像がテレビやYouTubeから流れてくる。破壊された病院から運び出される傷ついた妊婦、倒壊したビルに埋もれた少年、爆撃された病院で生まれた新たな命......。これらの映像をその場にいた誰かが撮らなかったら、ロシアの蛮行は知られなかった。映像の価値、作り手の価値は高まる一方だ。

しかも、放送が「送りっ放し」だった時代は終わった。地方局が作ったドキュメンタリーは映画化され、広く見られるようになった。衛星放送が、地方局発のドキュメンタリー特集を組むこともある。そんな「作り手の時代」に、作り手が輝かないわけがない。

「人間力」を磨こう

人間は文字どおり、人と人の間でしか生きることができない。「間」を英語で言えば「media」、すなわち「媒介者」「つなぐ者」ということになろう。放送界に入ると、人間にとって最も大事な媒介役を社会の中で担うことになる。やり甲斐がないはずがない。

その「人間力」をどう磨くか。参考になる言葉を二つに絞って紹介しよう。

一つは「三手(さんて)の読み」。私が囲碁・将棋担当のデスクをしていた1990年代後半、将棋の故・原田康夫九段 から何度も聞かされた言葉だ。将棋は、相手と一手ずつ交互に指す。自分が一手目を指せば、相手が二手目で応じ、また自分が三手目。この三手目までを頭の中で読むのが「三手の読み」だ。このとき、二手目を自分にとって最も厳しい手を想定し、三手目でどう対応するかを考えるのがミソだ。その先に五手目、七手目......。プロならではの奥深い読みが問われることになるが、基本は「三手の読み」である。

もう一つは、世阿弥の能楽論として知られる「離見(りけん)の見(けん)」。自分を離れ、他者(観客)の立場から自分の姿を見る。ひとりよがりを避け、客観的な視点で自分の演技を見る大切さを説いたものだ。将棋の「三手の読み」で二手目を読むとき、自己中心でなく、他者(対戦相手)の視点に立つことに通じる「客観」の極意と言っていいだろう。相手の気持ちを思いやる、自分の立ち位置を正確につかみ、次の行動を決めていく。どうしていいか迷ったとき、「三手の読み」「離見の見」を思い出してほしい。

フットワークとネットワークを力に

放送界を取材していると、自分の仕事に懸命で、ほかの番組をあまり見ていない人に出会うことがある。そんな時に私は、映画の山田洋次監督と故・黒澤明監督を思い出す。

映画会社が違う二人は、長く交友がなかった。急接近したのは、あるパーティーで黒澤監督が声をかけたのがきっかけだった。「監督はもっと仲良くすべきだ。日本映画の全盛時代は、互いに撮影現場を慰問したりしていたぞ」。その後、山田監督は黒澤監督の撮影現場に顔を見せ、巨匠がどう撮るかを見学し、時には相談にも乗った。

「同様のことが放送界でも広がるといいなあ」と思っていたら、最近は局と局の間の距離はだいぶ近づいてきたかに見える。特に東日本大震災のあと、3月11日前後に岩手、宮城、福島の系列局が共同制作のドキュメンタリーを作り、特番も流す。民放が系列を超えて協力し、そこにNHKが加わることも珍しくなくなった。

全国の放送局を取材していると、取材者と取材対象の距離の近さから生まれた番組が多いことに気づく。10年、20年と長く取材を積み重ねた労作が、次々に世に出て来る。この「地域密着」から、横につながる「地域連携」へ。例えば青森の局が沖縄の局と津軽三味線と三線をテーマにした番組を共同制作するなど、大きな時代の流れが渦巻いているのが、現在のメディア状況なのではないか。

日本の放送界、特に民放は、系列のネットワークを力にして放送を続けてきた。今はインターネット時代というだけでなく、人と人が組織や国を超えてつながることで、新たな文化を生む「ネットワーク時代」と言っていいだろう。

その土台にあるのは、放送界を構成する一人ひとりの「人間力」、あるいは「ネットワーク力」である。人間力を生かしてフットワーク良くあちこちに出かけ、そこで出会った人たちと親交を深める。その人たちとのネットワークを大事にしていれば、フットワークを生かせなくなったコロナ禍でも、ネットワークが絶えることはない。

「間」という漢字は、門の間から太陽(日)が見える。自分が人間力を磨けば、やがて良い番組に結実し、人々を幸せにしたり世界を平和に導いたり。ひときわ明るい太陽が見える、楽しみな時代が来ているのではないか。

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