国内に2万人――。がんや心臓病などの重い病気と日々闘っている子どもたちの数だ。闘病の間は友達と遊べない、きょうだいとも一緒に過ごせない。そんな子どもたちがたくさんいるのだ。
取材を始めたのは、"新型コロナ"が日本に上陸して1年がたとうとする2021年初めのころだった。このころまでに、国内の医療機関は緊急事態宣言を受けて感染症対策を徹底し始めた。病院での面会制限は厳しくなる一方で、「コロナ下の最期のかたち」が議論されることもあった。
重い病気と闘っている子どもたちと家族の"いま"は、どうなっているんだろう。そんな関心が背景にあって、病院との連携を密にする大阪・鶴見の「TSURUMIこどもホスピス」を舞台に、長期密着取材を企画した。
こどもホスピスに足繁く通い、思い知らされたことがある。それは、私たちがあまりに「病気の子」を意識しすぎていたこと。目の前で遊び、笑い、やんちゃをして時に怒られたりするのは、どこにでもいる子どもたちだった。深刻な病を抱えていても、遊びたい時は遊びたい。わがままだって言ってみたい。友達と遊びたいし、一人になりたい時だってある。「病気の子」と見るのか(見られるのか)、「ひとりの子」と見るのか(見られるのか)で、まったく違う。こどもホスピスは子どもたちそれぞれを、徹底して"ひとりの子"として見る、温かい居場所だった。
「たとえ大きな病気や障害を抱えていても、その子がその子らしく過ごし、成長できる場を提供したい」。そんな理念のもと、医療関係者やボランティア組織の関係者、教育関係者、当事者家族らが民間企業の支援を得て立ち上げられた、TSURUMIこどもホスピス。これまでに200組以上の家族を受け入れてきた。病院の外から、病児と家族を丸ごと支えようという取り組みはいま、全国で広がり始めている。私たちが番組に込めた思いをあえて言うならば「広がれ!」というその一点だ。
最後におこがましくもテレビドキュメンタリーの"可能性"にも一言。今回の取材では十数組の家族にカメラを向けてきた。対象者と長期間過ごす中で、私たちも時に撮影・取材という「仕事」の本分を忘れ、カメラもノートもとらず、ただ同じ時間を過ごすことがあった。そこでは当事者が抱えるさまざまな悩みを聞き、語り合った。一緒に遊んだ。そんなとき、ふと考えるのは自分の立ち位置だ。徹底して取材者でありたいのか、それとも良き話し相手でいたいのか、友達でいたいのか――。悩んでいたころ、ホスピスのある職員から言われた。
「あなた方の取材は、間違いなくご家族のケアにつながっています」
当事者のケアを意識しながら、ドキュメンタリーをつくっていく。新たな可能性を感じた。