はじめに、放送業界に入ったみなさん、おめでとうございます。私は2022年に30年働いたテレビ局を退社し、大学教員に転身してから1年が経ちました。若者と向き合う日々を過ごすなかで、あらためて放送業界で働くことがどれだけ重要であるかを実感しています。それは、視聴者の心を動かし、社会を形づくる力があるからです。そこで今回は、私の現在の大学での経験を通して、放送業界の魅力と役割をお伝えし、みなさんにエールを送りたいと思います。
メディア不信と裏腹の学生の熱心さ
「はーい、座って、座って。空いている席に座ってください!」
授業開始時、私はいつもこんな風に学生たちに着席を促します。担当する「テレビ報道論」という科目は810人もの履修者がいて、キャンパス史上最多の授業となっているためです。1階の大教室には収容しきれず、2階の中教室に溢れた学生を誘導して、2つの教室をZoomでつなぐ形で講義を行っています。教室の入場時には隣の建物まで行列ができ、男子学生からは「先生、USJのアトラクションに並んでいるみたいでワクワクするわ~!」と声がかかることもありました。
なぜ、テレビを見なくなったといわれる大学生が、「テレビ報道」の授業にこれほど多く集まるのでしょうか。それは、私が民放で長年の経験があることや、現在もテレビに出演していることだけが理由ではないと感じています。テレビが重要な社会的役割を担っていることに、学生たちも関心を持っているからです。さらに、テレビに対する批判や疑問を持ちながらも、その取材や報道手法に興味を抱いている学生も多く、熱心に授業に参加しています。
背景には、メディアに対する不信感の高まりもあると感じます。最近の「マスゴミ」批判がその一例です。この言葉は、ネット上で頻繁に使用され、SNSが日常生活の一部である若い世代にとっては身近な存在となっています。学生たちは、この言葉に思いのほか影響を受けていました。なかには誤った情報を信じ込んでいる学生もいます。本当か嘘か分からなくてモヤモヤする、といった声も多く聞きます。そのため、「ネット上の断片情報ではなく、現場にいたテレビ局の人から直接学びたい」と熱意を持っている学生が多いのです。
信頼できる情報提供=放送の使命
「放送倫理と人権~実名報道を考える」という授業では、プライバシー保護などについて学生たちとディスカッションしています。実名報道に関しては、学生たちの意見は分かれています。アンケート調査を実施したところ、「実名報道は不要」と回答した人が13%、「必要」が20%で、「被害者の意向を尊重」が67%という結果でした。しかし、私が実際に取材した被害者や遺族の声を伝えたり、報道によって社会がどのように変わっていくかを教えたりすると、多くの学生たちは実名報道の重要性を認識するようになります。
もちろん、メディアが改善すべき過熱報道やネット社会特有の倫理的な問題も伝えます。メリットとデメリットをあらゆる角度から検討し、現代のテレビ報道がどのようにあるべきかを一緒に考えます。意見の相違も生まれましたが、真摯に向き合う姿勢には私自身も感銘を受けました。多様な意見を尊重すること。それが、将来的には、若者たちが社会をより良くするためにメディアと向き合っていくことにつながると思っています。
放送は、若者たちにとって重要な情報源であることを忘れてはなりません。フェイクニュースや偽情報の悪影響が問題視されているなか、放送局が提供する「正確で信頼できる情報」の重要性はますます高まっています。しかし、一度信頼を失うと、その回復が困難な場合があります。どんなにメディア環境が変化しても、放送の使命という根幹部分を決しておろそかにしないことが不可欠です。
<新聞紙面を使った演習クラスも>
ジェンダーバイアスに困惑する若年層
担当する授業で最も関心が高かったテーマは「ジェンダー」でした。いまの学生たちは性別に関係なく、ステレオタイプな男女の役割について問題意識を持っていることがわかりました。放送人になったばかりのみなさんは、学生たちと年齢も近く、同じような感覚の持ち主かもしれませんが、授業でたくさんのリアルな声が寄せられたため、その一部を紹介したいと思います。
学生に「あなたが体験したジェンダーバイアス(性別に基づく偏見、決めつけ)は?」と質問したところ、次のような回答がありました。
「小学生の頃、音楽番組を見てピアノがやりたいと思った。親にピアノ教室に通わせてほしいと言うと、『ピアノは女がするもんやから、男はしなくていい』と言われ、無理やり空手教室に通わされた」(4年・男子学生)
「『男のくせに泣くな』と言われたこと。悔しい時、悲しい時に泣くことは男女関係ないと思う。泣きたいときに泣けないようになった」(2年・男子学生)
「関学の学費を祖母に話したら、『どうせ妊娠したら仕事なんて辞めるのに、女子は学歴なんていらないよ。学費がもったいないからやめなさい』と言われました。悔しくて、とても悲しかった」(3年・女子学生)
「バイト先の飲食店で、店長から『女はいい嫁にならないといけないから厨房を担当しろ』といわれた(2年・女子学生)
「中学3年の時に部活の部長になりたいと先生に伝えたが、『部長は男子の方がいい』という理由で男子が部長になった」(2年・女子学生)
「テレビの番組って、重要なポストは男性。女性は脇役が多いですよね。これは偏見ではないですか」(4年・男子学生)
学生たちは、家庭や学校、バイト先などで、「男だから」「女だから」といった社会的・文化的な役割の押しつけや決めつけに苦しみ、解放されたいと思っています。このようなジェンダー構造は、家庭、教育、メディアが再生産してしまっています。ジェンダーに対する意識を高め、社会を変えることは容易ではありませんが、若い世代の困惑や不安の声を、放送に携わる人には特に知ってほしいと思います。
放送は多様性の促進に貢献できる仕事
放送の世界に入ることで、ジェンダーギャップの解消や、多様性の促進に貢献することができます。メディアも少しずつ変化を始めていて、以前はほとんど扱われてこなかった男女の格差やLGBTQなどのテーマが、今では積極的に取りあげられるようになっています。
自分が携わる番組や事業で、意識して多様性を取り入れたり、偏見やステレオタイプを排除したりすることだって可能です。こうした取り組みは、社内だけでなく社会的にも高く評価されるでしょう。また、制作の過程で多様な人々と出会い、さまざまな視点に触れることができるため、自分自身も成長できる貴重な機会となります。
多様性や包括性を尊重し、自分が表現したいことや伝えたいことを大切にしてください。そして、自分の才能や努力を信じて、どんな壁にぶつかっても諦めずに前に進んでください。夢を実現するためには、強く願うだけではなく、準備し、行動に移すことが必要です。デジタル技術の進化にともない、新しい形の放送事業に柔軟に対応できる能力が求められます。新人でもチャンスはたくさんあります。引き続き自己研鑽を重ね、時代に即した放送人として活躍してください。
放送局で働くことが、みなさんにとって素晴らしい人生の一歩となるよう、心より応援しています!
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