【最優秀受賞のことば】北日本放送 KNB報道スペシャル ふるさとの亀裂~地震と過疎と原発と~ (2024年民放連賞ラジオ報道番組)

数家 直樹
【最優秀受賞のことば】北日本放送 KNB報道スペシャル ふるさとの亀裂~地震と過疎と原発と~ (2024年民放連賞ラジオ報道番組)

能登半島地震から3カ月後の2024年4月、珠洲市に入って最初に目にしたのが、奥能登の観光シンボルだった見附島が崩落し、小さくなった無残な姿でした。満開に咲き誇るサクラと、全壊した民家の崩れ落ちた黒い屋根瓦が放つ鈍い光が残酷な現実を突き付けていました。

KNBラジオ(北日本放送)は富山県を放送対象地域としていますが、能登半島の先端に位置する石川県珠洲市でもクリアに聞こえます。1952年の開局以来、富山だけでなく、能登半島の人々も"ふるさと"に暮らす仲間、同郷との意識を持って放送しています。

2024年元日の能登半島地震は、そのふるさとを大きく揺らしました。富山市で震度5強、珠洲市では最大震度6強を記録。珠洲市の犠牲者数は126人(災害関連死含む、2024年9月24日現在)となりました。

壊滅的被害を受けた珠洲市。半世紀近く前にも、街の未来を揺るがす大きな計画が持ち込まれました。それは、原子力発電所の建設計画でした。市が中心となって2カ所で誘致活動が動き出したのです。過疎を食い止めるために原発が必要だと訴える人、豊かな自然や街が壊れてしまうと反対する人。当時の高校生は、推進派の市長に対して「あなたは街を殺そうとしている」と訴えます。ふるさとのために双方がぶつかり合い、住民が分断されていく様子をKNBは取材し記録していました。

ところが、2003年、電力会社は景気低迷と根強い反対運動を理由に建設計画を一方的に凍結。しかし、電力会社が去ってからも珠洲の住民の心には大きな亀裂が残り、分断された住民同士が融和するには時間がかかりました。その間に過疎は加速度的に進んだのです。

そして、元日の地震によって生じた大地の亀裂。原発予定地の直下が震源となる地震が発生したのです。4メートル超の津波が押し寄せ、海岸線が約2メートル隆起しました。多くの住民は取材に対し「原発がなくてよかった」と安堵しました。当時、電力会社の働きかけで、住民の気持ちが次第に誘致容認に変わっていったことを鮮明に記憶していた人は、「推進、反対のどちらも被害者だった」と語ります。「原発はふるさとの発展に必要だ」と推進していた市議会議員も、「原発がなくてよかった」と今の心境を吐露しました。一方で、地震後も原発は必要だったと話す住民もいました。「原発があったら国も電力会社も力を入れて動くので復興も早まる」というのです。復興が遅々として進まないことに、いら立ちを見せていました。

実際に原発が建設されたのが能登半島の中ほどに位置する志賀町。原発施設で大きな事故は起きませんでしたが、地震による道路損傷で計画されていた避難路が寸断され、屋内退避するはずの住宅や施設は損壊しました。避難計画は事実上、破綻したのです。この志賀町も珠洲市と同様に「消滅可能性自治体」とされ、過疎化は止まっていません。

原発を受け入れた志賀町、計画が実現しなかった珠洲市。その境なく襲った地震は、深刻な過疎に追い打ちをかけ、ふるさとの未来を奪おうとしています。揺れる半島に生きる人々の声を記録したいと番組制作を決めました。取材して感じたのは、原発の建設は日本全体の問題であるはずなのに、過疎からの脱却を合言葉に、私たちが無意識のうちに過疎地にこれを背負わせて、他人事のようにしているのではないかということです。

9月末には記録的豪雨が復旧途中の被災地を襲いました。地震との複合災害が指摘されています。迅速な復旧・復興を願うとともに、今後も奥能登の声に耳を傾け、その思いを伝えていきたいと思います。


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