「事実上の政権選択選挙」と位置付けられ、各陣営が死力を尽くした選挙戦を、私たちも背水の陣の思いで取材し、報道した。今回、有権者の期待に応える報道ができれば、テレビ局は今後も信頼してもらうことができるだろう。逆に期待に応えられなければ、テレビ局の選挙報道は今後、見向きもされず、テレビジャーナリズムの存在意義そのものが地に落ちるだろう。これは当社だけでなく、すべてのテレビ局が抱いていた危機感だったと思う。
従来、当社では、公示後、投票日までは選挙報道は慎重に、もっと率直に言えば「控えめ」にし、投票後の選挙特番に最大限の力を注ぐ、という姿勢だった。「公平でないといけないから」ということを言い訳に、有権者が知りたいことを知りたいときに十分に提示できていなかったと認めざるを得ない。今回の参院選では公示直前、夕方ニュースのCP(チーフプロデューサー)が全記者に向けてげきを飛ばした。「『オールドメディア』とは言わせない。意味のある、役に立つOAをしていこう」
それまでの選挙では、有権者にとって「情報不足」となっていたことを認め、企画を募集した。方針転換に戸惑う声がなかったわけではない。選挙特番には変わらず全力投球を求めるので、単純に記者の負担は増えることになる。それでも記者は日ごろの問題意識から、多くの企画案を上げてきた。結果、公示から投票日前日までに選挙に割いた放送時間は、2024年の衆院選の倍、3年前の参院選の4倍に上った。本来果たすべき役割を全員が再認識し、へとへとになりながら取り組んだ結果だった。
選挙報道のあり方は、今後も変わっていくと思う。投票前の「事前報道」も今回がベストであったとは思わない。テレビは「流れてゆく」メディアであり、バランスをとりながら網羅的な判断材料を提供することは、紙媒体、ネット媒体に比べると向いていないとあらためて思った。将来は、媒体ごとに適した役割に収れんされ、有権者も目的に応じて媒体を選択する、ということになるのかもしれない。例えば、急務とされる「ファクトチェック」は、テレビは向いているように思う。過去の発言や当事者の証言を生のままに紹介して真実を提示するのはテレビの得意分野だ。ただ今回は、当社も「SNSに事実でない情報が流布されている」ことに触れることはあったが、本格的なファクトチェックにまでは手が及ばなかった。何をチェック対象として選び、どう検証し、表現するかは、極めてデリケートであり、リソースもかかる。課題を残したといえる。
また「当確報道は選挙特番の花」と考えてきたが、一分一秒を争う「当確」打ちの重要度は、今後下がる可能性がある。従来、当社でも記者の選挙取材は、「早く、正確に当確を打つ」ことを主眼に行ってきた。しかしそれはともすれば、各陣営がどれだけの票を積み上げてきたかを追いかけるだけになってしまい、有権者が判断材料として求める「この人が当選したらどんな未来になるのか」の取材とは、ずれる。有権者のためになる選挙報道を突き詰めると、取材の仕方は変わらざるを得ず、特番の演出にも関わってくるのではないだろうか。
先のCPのげきにはこんな一文があった。「民主主義の根幹である選挙を機能させるべく、有権者の投票行動に資する、事実に立脚した『多く』の情報を『広く』届ける」仲間に向けたメッセージなのでやや荒っぽいが、重要な認識だと思う。公平性、バランスを厳しく問われるテレビ報道は、選挙を正しく機能させることに大きく資する。テレビの選挙報道が死ぬときは、選挙が機能不全となるときであり、民主主義が壊れるときに違いない。責任は重く、その役割を追求し続けなくてはいけないと思っている。
読売テレビ放送 報道局
小島 康裕(こじま・やすひろ)