選挙イヤーとSNSへの注目
2024年は世界的に選挙イヤーと言われた。日本国内に限っても、7月の東京都知事選挙、10月の衆議院総選挙、11月の兵庫県知事選挙などはそれぞれ強い印象を見る者に与えた。東京都知事選挙において石丸伸二候補が次点になったこと、総選挙における国民民主党の躍進、兵庫県知事選挙における斎藤元彦知事の再選は、選挙戦におけるSNS利用のインパクトがいよいよ無視できないものになったことをわれわれに如実に見せつけた。
そんな中で、新聞やテレビなどわれわれがこれまで慣れ親しみ、選挙や政治についての情報を得るうえで重要視してきたメディアは、その影響力を相対的に低下させているように見える。日本新聞協会のウェブサイト(※外部サイトに遷移します。以下同じ)によれば、2024年の新聞発行部数は2,660万部ほどであり、前年比で200万部の減少である。また2024年6月に総務省情報通信政策研究所が発行した「令和5年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書<概要>」によれば、平日におけるテレビ(リアルタイム)視聴時間は2020年以後、ネット利用時間を下回るようになった。
さまざまなメディアがどの程度信頼されているかについては、公益財団法人新聞通信調査会が毎年調査を行っている。最新の調査(第17回)は 全国18歳以上の5,000名を対象に2024年7月19日~8月18日に実施され、結果は2024年10月12日に公表されている(回収率は58.1%で2,906人が回答)。この調査では各メディアの信頼度を100点満点で尋ねている。その結果、信頼度が最も高いメディアは「NHKテレビ」で66.7点、2位は「新聞」で65.9点、3位が「民放テレビ」の60.4点、そして「インターネット」は「48.5点」に過ぎない。しかし、この数値を額面通り受け取ってよいかは分からない。この調査に回答しなかった40%以上の調査対象者の中に、上位3メディアに対する信頼が低い人たちが少なからず含まれている可能性があるからである。
2024年兵庫県知事選挙においてNHKが実施した出口調査は、投票者に対して投票する際に何を最も参考にしたかを尋ねた。その結果、「SNS動画サイト」と回答した者が30%で、最も高い割合となった。「新聞」は24%でこれに次いでいる。そして「SNS動画サイト」を最も参考にしたと回答した人の70%以上が斎藤元彦氏に投票している。SNSが選挙結果に大きな影響を与えた選挙としてこの選挙が認知されるゆえんである。
2024年兵庫県知事選挙が示したもの:感情的分極化
2024年兵庫県知事選挙における顕著な特徴は、斎藤氏に好感を持つ人たちとそうでない人たちとの間の認知の差が大きく、しかも候補者のみならずその支持者に対する好悪がはっきりと分かれていることである。分かりやすく言えば、次点の稲村和美氏に投票した人たちは、斎藤支持者を嫌う傾向が強く、斎藤氏に投票した人たちは逆に稲村支持者を嫌う明瞭な傾向が、筆者の同僚である善教将大氏(関西学院大学教授)の調査によって示されている。つまり斎藤支持者と稲村支持者との間に大きな感情的対立が存在したのである。
このような現象をわれわれ政治学者は感情的分極化(affective polarization)と呼んでいる。こうした感情的分極化は現在、多くの国で観察され分析対象とされている。例えば近年のアメリカを対象とした研究は、感情的分極化が政治的信頼の低下、民主主義的な手続きの軽視や政治的非寛容、政治的誤情報の受容などにつながりやすいことを示している(善教将大編『政治意識研究の最前線』法律文化社、2025年、第11章「政治的分極化」(小椋郁馬氏執筆))。つまり感情的分極化とは有権者が自身と異なる価値観を持つ有権者に対して敵対的感情を持つことで、陰謀論が受容されやすい環境となり(秦正樹『陰謀論』中央公論新社、2022年)、さらには事実関係を自身の党派性に合わせて受け取る「マイサイドバイアス」が強まる傾向を生みがちである(キース・E・スタノヴィッチ『私たちを分断するバイアス』誠信書房、2024年)。
SNS上のインフルエンサーとマスメディア
多くの放送局は近年ネットへの進出も行っており、有用な情報も多く提示している。ただしその影響力が、ネット上のインフルエンサーと言われる個人に及ばないことも珍しくない。例えばNHK党党首の立花孝志氏が運営するYouTubeチャンネル登録者は2025年4月8日時点で77万人、石丸伸二氏のYouTubeチャンネル登録者は同日時点で35万人であるのに対して、テレビ朝日系列26局の情報をカバーするANNnewsCHの登録者は451万人である。チャンネル登録者数だけで影響力を測れるのであれば、個人のインフルエンサーはANNnewsCHに遠く及ばないことになる。しかし、個別具体的な選挙において投票先を選ぶのに役立つ情報資源としては、インフルエンサーによる動画の方が多く視聴され、影響力を持つこともありうる。多くの情報を流すテレビ局よりも、自分にとって親しめるインフルエンサーの話の方が説得力を得てしまうことを、昨年の選挙イヤーはわれわれに実感させた。「政治的中立」を標榜せざるを得ない放送局よりも、自身で検索して発見したインフルエンサーの方がよほど「マイサイド」であり、自己の信念と矛盾しない「真実」を語っている人物として支持されることもある。
マスメディアの役割
こうした状況の中でマスメディア、特に放送メディアがなすべきことはなんであろうか。社会心理学者の稲増一憲氏(東京大学教授)はその著書『マスメディアとは何か 「影響力の正体」』(中央公論新社、2022年)の中で次のように書いている。
「メディア環境の改善においてマスメディアが果たすべき役割は『人々が見るべき情報をなるべく多くの人に等しく届ける』ことである。」(p.248)
「すべての人が自分の見たい情報だけを見るようになれば、少なくとも民主主義は機能不全に陥り、結果として個人も不利益を被る。こうした社会的ジレンマ状況を考慮しなければならない。したがって、傲慢に思えても、誰かが情報を選択する役割を担わなければならないのである。」(p.248-9)。
稲増氏のこの意見に筆者も共感する。新聞やテレビといったマスメディアは、今何を社会に知らしめるべきかについて常に考え続け、情報を社会に伝えていただきたい。それが短期的に誰かの感情的な党派性や敵対的認知を刺激することがあっても、臆することなく自分たちが「これは社会の構成員が党派を越えて共有してほしい情報だ」と信じる情報を届ける努力を続けてほしい。
紙媒体にせよ、放送媒体にせよ、商業ベースで行われているものは「見られてなんぼ」ではある。その点、配信動画の回転数で収入が変わるYouTuberと違いはない。一方で多くの視聴者は、インターネットに出されている情報が玉石混交であることも理解している。ネット上でのみ知られていたインフルエンサーがマスメディアで紹介されることで、社会的認知を受けやすくなり、時には権威化する可能性さえある。
よって職業として報道に携わる人びとには、視聴者に対して「見たい情報」だけを見ていた場合に起こりうる問題を訴え、社会として共有すべき情報を提示してほしい。社会は異なる価値観を有する人間によって構成されている。自身と異なる価値観を持つ者の発言に耳を傾けず敵視し、異なる価値観を有する者たちの間での対話が成立しないような社会は、決して暮らしやすくない。
社会において多様な価値観が存在することは強みにもなりうる。すなわち今の時点で短期的に支配的な価値観が、生存戦略として機能しなくなったときに、われわれはこれまでと異なる視点で生存戦略を組み替える必要がある。多様な価値観が社会に存在することは、われわれがとりうる生存戦略の多様性を下支えする重要な資源である。誰もが似たような価値観を持つ人々で構成されている社会は、表面的には価値観対立が少なく、居心地の良い空間のように見えるかもしれない。しかしそれは異なる立場、異なる視点を排除したうえで成り立つ快適さである。
自身と異なる価値観からの主張は時として自身の信念や心理的安全を脅かす。誰しも自身の心理的な安全性を損ねてまで、異なる価値観を持つ他者と対話する積極的な理由は感じにくい。しかし、誰しも同じ価値観であるべきという同調圧力は、全体主義への近道を用意するものである。その意味で公共空間に多様な視点からの意見が提示されることは。民主的な社会を維持するうえで極めて重要なのである。
中でも放送メディアは紙媒体と異なる性格を持っている。紙媒体の読者には読んでいる媒体への集中が求められそれ以外の情報視聴が困難となるのに対して、放送には受動的な視聴がありうる。つまり放送媒体は紙媒体以上に、視聴者に自分と異なる視点についての「意図せざる出会い」をもたらす可能性を有している。なにげなく聞こえてきたニュース、たまたま目に入った情報からの発見や気づきを放送媒体はもたらすことができる。この強みを放送番組制作者は生かし、公共空間におけるわれわれのコミュニケーションを豊かなものとすることにご尽力を賜りたい。