"エバーグリーンなオールディーズ・ソングから、超絶カルトなレア音源まで。最高の選曲と最高の音質でお届けする55分間" ――このコンセプトで1992年10月3日(土)にスタートした『山下達郎のサタデー・ソングブック』。その後、日曜日に移動して『山下達郎のサンデー・ソングブック』(日、14・00―14・55)略して「サンソン」となり、今年10月で放送30周年を迎えました。
このたび、「民放online」から30周年を迎えた思いなどを寄稿してほしいというご依頼を受け、大変荷が重いのですが(笑)、30年のうち19年ほど携わってきた経験から、ディレクターである私が感じていることを"記憶の棚からひとつかみ"します。
リスナーの新しい扉を開く
サンソンは、約6万枚に及ぶ山下達郎さんの個人レコード・CDコレクションから選曲するレギュラープログラム「棚からひとつかみ」や「リクエスト特集」、ソングライターなどの特集、竹内まりやさんとの「夫婦放談」、達郎さんに負けず劣らずのレコードコレクター・宮治淳一さんをお迎えする「新春放談」、はたまた演奏は素晴らしいけれど妙におかしい曲を紹介する「珍盤奇盤特集」など、多岐にわたります。番組開始当時は、CDからの音源をそのままオンエアしていたとのことです。しかし日曜日に移動すると、前後が新譜を多く扱う番組だったため、60―70年代を中心とするオールディーズ・ソングは音圧で負けてしまう......。そこで達郎さんは、オンエア曲をサンソン用にリマスタリングするようになります。新譜以上の音質にすることにより、演奏、歌唱、アレンジの良さをさらに引き立たせ、曲そのものが持つ魅力を届けてきました。
いまはradikoで繰り返し聴くことができますが、一度電波に乗った番組は、それこそ一期一会。うっかり聞き逃すと、二度と聞くことができませんでした。達郎さんはたった一度の出会いのため、"最高の音質"にこだわり抜いてきたのです。その出会いが、リスナーの新しい扉を開くかもしれないのですから。
少々気難しい店主がいる鰻屋のようなもの
リスナーと達郎さんをつなぐのは、ハガキです(コロナ禍以降、メールも本格的に導入しましたが、現在は全国ツアーのため休止)。ファン世代、69歳の達郎さんより年上や番組がスタートしたときには生まれていなかったという方々のほか、最近では小中学生までもがハガキを送ってくださいます。
リクエストだけでなく、いつの間にか拡がった「"そんなこと聞いてどうするの"のコーナー」(達郎さんの「そんなコーナーはない!」という声が聞こえてきそうですが......(笑))、里山の季節の話題、お子さんの進学や就職、結婚の報告、時には人生相談まで。ハガキから伝わってくるのは、生活や人柄、そして人生そのものです。私自身も、ほっこりしたり、じーんとしたり、楽しませていただいています。いつも素敵なメッセージを寄せてくださり、この場を借りて深く感謝申し上げます。
数多くハガキやネタを投稿するリスナーを「ハガキ職人」なんて言いますが、達郎さんは、感謝と敬意を込めて「常連」「超常連」と呼びます。
私はこのところ、「サンソンは、少々気難しい店主がいる鰻屋のようなものかもしれない」と感じています。達郎さんが鰻好きということに引っかけています(笑)。「常連」「超常連」がいて、鰻(曲)の産地や焼き方、タレにこだわりがある店主。そのこだわり故に、ちょっと入りづらい雰囲気を感じる?けれど、一度のれんをくぐってしまえば、"最高の選曲と最高の音質"と、店主のトークの魅力にはまってしまう......。決して一見さんお断りではありません!これは声を大にして言いたいことです。
11年ぶりのアルバム『Softly』のヒットや、近年のシティーポップブーム、古今東西にこだわらない若い音楽ファンの増加もあって、鰻屋(サンソン)は、ますますお客様(リスナー、ハガキ)が増えてきました。これには達郎さんも、もちろん私たちスタッフもうれしい悲鳴をあげています。
一人ひとりに寄り添う
私がサンソンのディレクターになったのは、2011年でした。ADのころ代理ディレクターを担当したことはあったものの、正式にディレクターとして収録する初回が、まさかの大滝詠一さんとの「新春放談」。奇しくもその回が、大滝さんとの収録のラストとなってしまいました。オーディオの話題から出た「万(ばん)やむを得ず、世代交代」という言葉が、自分の立ち位置と相まって、妙に印象に残っています。古い映画から最新オーディオ、街歩き、そういえば苔の話もありました(笑)。物事を深く深く深く掘り下げる、思いもよらない大滝さんの視点、そして飄々とした語り口がもう聞けないのはさみしい限りですが、貴重な経験をさせていただきました。
さらに2011年は、東日本大震災がありました。直後のサンソンは報道特番のため休止となり、3月20日が震災後初めての放送。達郎さんは、小さなラジオでも聞きやすいような音質にリマスタリングを施しました。避難所にいる方、大切な人を亡くしてしまった方、直接の被害はないものの心が押しつぶされそうになっている方......。一人ひとりに寄り添うように、音楽と言葉を届けたのが忘れられません。
そして翌2012年の3月11日は、日曜日。発災の14時台は特番ではなく、あえてサンソンを放送することになりました。未曽有の災害から1年というタイミングで何を届けるのか、達郎さんも深く悩まれたと思います。しかし、「それぞれの人がそれぞれの立場で、できることをする」と語り、一人ひとりの心に届くよう、"最高の選曲と最高の音質"で、鎮魂と復興を祈念しました。サンソンは一人ひとりに寄り添う番組であると改めて感じたと同時に、それはサンソンだけでなく、ラジオが持つ使命だということを、強く心に刻みました。
この10月で放送30周年(10月2日で放送1,564回)。リスナーのみなさまから、これからもサンソンを続けてほしいという多くの声をいただいています。私は達郎さんに「150歳まで続けてください」と言っています。「俺は妖怪か!」と言われますが、その願いは嘘ではありません!(笑)
これからも "こだわりの鰻屋"が末永く愛されるよう、リスナーに寄り添う番組作りを心がけていきます。どうぞみなさまも、日曜日の午後のひととき、素敵なオールディーズ・ソングをお楽しみください!