気になる本=ヤンキー母校に恥じる ヨシイエと義家氏
河野啓 著、発行・三五館シンシャ 発売・フォレスト出版
かつて、テレビには大きな影響力がありました。それは視聴者からの好意的な評価や取材対象者への共感だけでなく、思わぬ批判や悪意を招いてしまうこともありました。なかでもドキュメンタリー番組で中心的に描かれた人には注目が集まり、その人の人生に良くも悪くも影響を与えてしまうこともあります(以下、敬称略)。
本書の主人公である義家弘介(よしいえひろゆき、前衆議院議員)も、テレビによって(もちろんそれだけではないでしょうが......)大きく人生が変わってしまったといえる一人です。そして自分が精魂込めて作り続けた番組で描いた「ヨシイエ」と、その後国会議員にまでなった「義家弘介」の間で揺れ動き、悔恨と検証のドキュメントを放送局を定年後に、本書で綴ったテレビディレクターの河野啓(こうのさとし)にも大きな影を落としたのです。
著者の河野啓は1963年愛媛県生まれ。北海道大学卒業後、北海道放送(HBC)に入社。ディレクターとしてドキュメンタリーやドラマ、情報番組の制作に携わってきました。高校中退者や不登校の生徒を全国から受け入れた北海道の北星学園余市高校を舞台にした作品群、1997年放送『ツッパリ教師の卒業式』(日本民間放送連盟賞優秀)、1998年放送『学校とは何か?』(日本民間放送連盟賞優秀、放送文化基金賞本賞、「地方の時代」映像祭優秀賞)、そして2003年に放送したドキュメンタリー『ヤンキー母校に帰る』は大きな反響を呼び、その半年後にはTBSで連続ドラマ化(河野はプロデューサーとして参加)され、視聴率が15%を超えた回もあるほど人気を集め、続編も放送されました。また『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』で開高健ノンフィクション賞を受賞するなど、作家としても活躍しています。
ことの始まりは1988年、北海道余市町にある小さな私立高校北星学園余市高校(以下、余市高校)が、全国でも例のない画期的な編入制度を始めました。それは高校中退者を中退した学年で受け入れるというものでした。それまでの編入制度は、前の高校を中退したのが二~三年生時であっても、新たな高校で学ぶには再び一年生として再入学して、一からやり直すしかなかったのです。当時、全国では高校中退者は激増して、その数は11万人にのぼりました。定員不足に悩む余市高校には、全国から学びたいという中退者が集まります。学歴社会の進行に伴い、なんとしても高校卒業資格だけはと願う高校中退者、保護者がたくさんいました。その中の一人が、長野県の県立高校を二年生で中退したヨシイエでした。
「ケンカに明け暮れていたかつてのワルは、この高校で人の温もりと教育の力を知る。そして教師に立場を変えて母校に帰ってきた。1999年28歳のときだ」
河野は4年間にわたってヨシイエたちに密着取材して、『JNN報道特集』などの特集も含め、7本の番組で描きます。そして定年までに余市高校をテーマにした番組は40本にのぼります。
全国から集まった79人の転編入生と余市高校のようすを、河野は次のように書きます。「暴走族のリーダーだった生徒もいれば、人と話ができない保健室登校のハシリだった生徒もいる。年齢もさまざま。」河野は学校からの要望もあり三年生のクラスを取材していました。そこで「二年生にアブないヤツがいる」という噂を耳にします。ヨシイエでした。
本書が描くヨシイエは「身長百七十センチ弱で細身。ソリの入ったパンチパーマ。上は短ラン(丈の短い変形学生服)、下はボンタン(幅の広いダボダボの学生ズボン)のツッパリファッション。(略)小柄な体からは想像できないほどの大声を出す。木造モルタルのオンボロ校舎の窓ガラスを、時おり震わせていた」というものでした。
ヨシイエの恩師で担任だった安達俊子先生は、番組の中でこう語っていました。
「ヨシイエ君は目が印象的でした。人の胸をナイフでえぐるような鋭い目と、暗くて寂しそうな目。そのときの精神状態で別人のように目が変わるんです。(略)爆弾みたいな生徒でした」
1999年4月、余市高校を卒業したヨシイエは、大学を卒業後に母校の社会科教師として帰ってきます。最初の授業でのヨシイエは本書でこう描かれています。「私は教師である前に皆さんの先輩です。先輩である前にボロボロに傷ついてここにきた仲間です。だから、つらいことや悩み事があったら、遠慮せずに私に相談してください」
担任や生活指導部などで生徒と全力で向き合うヨシイエには、ドキュメンタリー『ヤンキー母校に帰る』放送後、取材や講演の依頼が殺到して、週末や夏休みなどの長期休暇は全国を飛び回るようになっていきます。その当時を河野はこう振り返っています。
「ヨシイエを取り巻く状況の変化は、彼の内面や言動に大きな影響を及ぼす。それは同時に、教師たちとの関係、そして私との間にも影を落とすことになる」
その後の激動の日々は本書を読んでいただくとして、やがてヨシイエは母校を去り、横浜市教育委員を経て、自民党衆議院議員、文部科学副大臣になります。そして安倍派の裏金事件に関与、2024年10月の衆院選で落選します。
学校の存続を揺るがす大麻事件、定員割れが続き廃校が決まりかけるなど、幾多の荒波を乗り越えて余市高校は2024年、開校60周年を迎えました。河野の定年退職にあたり余市高校校長から北海道放送に届いた手紙が、本書に長く引用紹介されており、この内容にメディアの功罪を考えさせられます。
「本校では、かつて多かったヤンチャな生徒は減少し、自分の気持ちを表現できず人間関係を構築できない生徒が大半を占めるようになりました。PTAの中にはいまだ本校が『ヤンキー学校』と誤解されていることに不快な思いを抱く親御さんも少なくありません。(略)本校がそのイメージを払拭する北星余市像をアピールできていない力不足を自覚し、反省もしております。(略)義家氏が本校を退職後、在職中とは違う方向性の教育観を発信するようになり、文科省で地位を築いていく中で、『ヤンキー』関連番組が再放送や配信をされることに強い懸念を抱きます。見る人たちが、番組の中の義家氏と現在の彼を同一視する恐れがあります。」
本書の頁をめくるたび、事件は次々起きていきます。そこにはヨシイエたちの行動だけでなく、けっして生徒を見捨てない先生たちの奮闘や行き違いの日々も描かれていきます。そしてそれを撮り続ける河野の内心の葛藤も、つぶさに書かれていきます。取材することに迷い悩み、撮影することの是非すら問われ続けるのです。それが番組を見て心を熱くした多くの視聴者たちの、そして同じドキュメンタリー番組を取材するものの一人として、自分の人生をえぐられたような気さえしてきます。
私が携わった50本以上のドキュメンタリー番組でも、主に取り上げた人たちと、放送後も友好的なつき合いが続くものばかりではありません。残念ですが、まったく連絡を取れなくなる事例もあるからです。それは、番組で登場人物の光の部分だけでなく、影の部分(できれば描かれたくはない負の部分)も描こうとしたからです。ドキュメンタリー番組は広報番組ではありません。影の部分も描いていくからこそ、ほんとうの意味での、視聴者からの共感を得られる、と考えているからです。その結果、登場人物から不興を買われ、また視聴者にあらぬ誤解が生まれることもあります。なぜ負の部分が必要不可欠なのか、あらかじめ納得いただけるよう説明し、番組に誤解が生まれないように編集などに細心の注意をはらいます。それでもまったく予想もしなかったハレーションが生まれることも避けられません。放送前日に主人公から、親戚が反対しているから、と放送中止を要請されたこともありました(その日のうちに遠方の相手の家に出向き、説明して無事に放送できました)。また続編の取材を断られたこともあります。
番組を作り、放送することには、大きな責任が伴います。だからといって、ひるむことはありません。慎重に進むしかありません。それがあるから、価値のある番組が生まれるのです。河野は想像もできないくらい深く、そして長く、余市高校の人々とつき合い、向き合い続けてきました。その厚みが本書の熱量につながって、読者の心を震わせます。
北海道放送では、ヨシイエたちを描いた「ドキュメンタリー作品はすべて『複数の関係者の強い要望により再使用厳禁』と注意書きが入れられて、永遠の眠りについている」と記されています。ただ......河野は本書の最終部分でこうも書いています。「描かれたあとも、その人たちの人生は続いていく」と。
ヤンキー 母校に恥じる ヨシイエと義家氏
河野 啓 著 発行=三五館シンシャ 発売=フォレスト出版
2024年11月22日発行 280ページ 定価1,760円(税込)
ISBN:9784866809410
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