新城和博さん(ボーダーインク) 体験していない歴史を知る 「沖縄復帰50年」特番から考えたこと

新城 和博
新城和博さん(ボーダーインク) 体験していない歴史を知る 「沖縄復帰50年」特番から考えたこと

「日本にとって〈沖縄復帰〉とは何だったのか」という総括をせずに、「沖縄にとって〈日本復帰〉とは何だったのか」との質問を沖縄の人々に投げかけ、時折思い出したかのように「沖縄問題」として扱う。これが基本的な中央メディアのありようであることは、「復帰50年」を迎えた今日でもほとんど変わらないように感じる。

この個人的感触は、1992年、つまり首里城が戦後初めて「国営公園」として再建された「復帰20年」の際に、波のように押し寄せてきた本土側からの取材に対応して得た結論だった。「沖縄ブーム」という言葉が使われ始めたころ。あれから30年たって、沖縄と本土の距離感は「ある意味近づいたけれど、溝は恐ろしく深くなった」という風に(とりあえず)答えるようになった。沖縄と日本の間に何があったのか、それは自明のことだろう。

沖縄の地域出版に携わってさまざまな「沖縄県産本」を編集してきたぼくは、自分でもこの30年の間に、生まれ育った沖縄を定点観測するような意味あいで、コラム・エッセイ集を刊行してきた。そのなかに2011~12年『沖縄タイムス』で連載したエッセイをまとめた『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』がある。それは「復帰40年」を迎えた沖縄を1972年からさかのぼって、沖縄の社会的トピックと個人的な記憶をからめた内容である。ちなみに復帰のとき、ぼくは小学校4年生だった(本はその後改訂を重ねて2021年までのことを追加した)。

沖縄では毎年やってくる「復帰○○年」だが、今回の「復帰50年」のメディアの有り様は、「復帰20年」のときに感じたものと似ているように思う部分が多々あった。「復帰後」と書名に入れた本を書いた手前、怒濤のごとく押し寄せた取材、企画に関しては出来うる限り断らずにいたのは30年前の沖縄ブームと一緒だ。しかし今回、半世紀たった「復帰」を起点として、あらためて沖縄の戦後史を問い直す視点で取材・制作しようとする、地元メディアのベクトルは強く感じた。「復帰」を考えるということは、50年たった今、沖縄戦後からアメリカ統治下時代、「復帰」を経て再び沖縄県となった現在にいたるまでの沖縄を俯瞰するという「戦後史」と同じ意味合いを持つようになったようだ。なぜか。それは沖縄県民の半数以上が「復帰」を体験していない、記憶のない世代だからである。現在を生きる沖縄の人々のなかに、「復帰」「沖縄戦」そして「琉球処分(廃琉置県)」という歴史観が、今回の節目においてより顕在化したと思う。沖縄において「復帰」とは、ひとつの歴史的エポックだけでなく、現在進行形の、今年なら50年間という時間を含みつつ、さらに沖縄戦へとつながる27年間も含んでいるらしい。

「復帰を知らない世代」とともに考える

体験していない、生まれる前の社会的記憶を「知らなかった」ことに気づいて、それを「知りたい」と思うときに、歴史が立ち上がってくるのではないか。それはぼくが「復帰」関連のいくつかの番組、企画に参加しているうちに、わき上がった実感だった。

まず琉球放送『池上彰と復帰50年を総決算スペシャル』(5月11日放送)では、沖縄出身のアイドル、小説家といった、復帰を知らないどころか、平成生まれの出演者とともに、復帰の記憶をかろうじて持つ世代のひとりとして参加した。池上氏は沖縄の民放スタジオで番組収録するのは初めてということだった。中央からやってきたジャーナリストの解説を沖縄県民が視聴するという、きわめて「復帰50年」的な構図に、自分はどのような役目があるのか。数度の打ち合わせの際に、くりかえし説明された番組制作の意図と内容を自分の「復帰50年」に重ねて、どのようにコメントするのか。「自由にしゃべっていい」とは言われたが、かなり悩んだ。

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<琉球放送『池上彰と復帰50年を総決算スペシャル』の模様。一番右が新城さん>

復帰に至るまでの沖縄のさまざまな運動や暮らしぶり、日本政府との関係などを池上彰スタイルで語る主な対象は「復帰を知らない世代」である。しかし考えてみたら、復帰に至るまでの過程というのはぼく自身も当時まったく知らなかったことだ。「沖縄にとって〈復帰〉とは何か」と長年考え続けている過程で得た、後追いの歴史体験である。そういう意味ではぼくも「復帰(前)を知らない世代」なのだろうと思い至った。番組の最後の方で、池上氏が自らリポートした沖縄に配備された自衛隊の現状が紹介された。さまざまな問題があったが復帰50年というのは、自衛隊が沖縄に定着した50年だったという趣旨の池上氏の説明がさらりとなされたことに対し、「沖縄戦を忘れない沖縄にとって自衛隊に軍隊としての側面があることは忘れてはならない」という意味合いのコメントをかろうじて述べた。後日、視聴していた知り合い数名から「あのコメントは良かった」と言われたのは、うれしさ半分悔しさ半分というところ。

「復帰50年」関連番組では、NHKは、過去のアーカイブスもふくめて質量ともに圧倒的なボリュームで集中的に放送した。ぼくも結構早い段階から沖縄放送局制作の番組にいくつか参加した。沖縄タイムスとNHK沖縄の合同企画「#復帰検定~オキナワココカラ」は、「復帰」にまつわるトピックを四択クイズ形式で出題していくものだが、地元新聞社とNHKというメディアミックスは沖縄では初めてということで、ぼくは問題の監修者のひとりとして協力した。問題の幅は、政治、経済、基地問題といった社会的な事象から、衣食住、ブームといった社会風俗など、「復帰」に直接関係のないものも多々あった。こうした敷居の低い入り口をとおして、「復帰の日」がいつなのか答えられない、地元沖縄の高校生たちのような世代が関心を持つきっかけになればという意図はよくわかった。そもそも主な制作スタッフが「復帰を知らない世代」であり、視聴者と同じ目線なのである。当然といえば当然だ。しかし、こうした形式が「歴史トリビア」としてのみ消費されないかどうか。視聴者とともに復帰について考えるという姿勢が伝えられるかが大切なところだろう。

NHK『クローズアップ現代』の『50年前の沖縄にタイムトラベル 本土復帰"歴史への旅"』(5月11日放送)という復帰50年企画にも東京のスタジオでコメンテーターとして参加した。VRで50年前の沖縄の街を再現し、実際に全国の高校生・大学生らにVR空間に参加してもらうという、これも新しい手法の取り組みであった。他のコメンテーターとして沖縄出身の若手女優、沖縄好きな男性アイドルという組み合わせも、「復帰を知らない世代」を意識した点がうかがえた。そもそも全国の視聴者の多くが「沖縄の復帰に関心がない」のであれば、伝える手段としてエンターテインメント化する部分があるだろう。仮想空間で繰り広げられた沖縄の過去の追体験には意味があったと思う。一方で米軍基地がそのまま駐留しつづけて、沖縄が望まぬカタチであった「復帰」のさまざまな問題はより深刻化している。そうした問題を、世代を問わず共通した解決すべき、または対峙すべきものとして喚起するためには、単発の特番ではなくその後につづく番組作り、その姿勢の継続を視聴者に示していけるかどうかが課題だろう。

地元のテレビ・ラジオ局は、復帰50年特番としてじつに多様な取り組みをしていた。それぞれ局のカラーが味わえて、一視聴者、リスナーとしては「楽しめた」内容となった。あまりにも数が多いので個別に挙げることはできないが、中でも異彩をはなったのは、エフエム沖縄。リスナーからの投票による復帰後の沖縄の歌ランキング「OKINAWA SONG 50」の、1位「島人ぬ宝」(BEGIN)、2位「島唄」(THE BOOM)という並びは実に興味深い内容だった。また、前身である極東放送が復帰をどのように迎えたのか、放送免許という視点とアメリカ統治下でキリスト教をベースとした特殊な経由をもつ放送局という視点は、沖縄近現代史研究からこぼれ落ちているものだった(『ライセンス アメリカと日本のはざまで』(5月15日放送))。復帰後から現代にいたるまで、沖縄発サブカルチャーとしての沖縄音楽の隆盛を扱った『オキナワミュージックカンブリア』(同)は、地元のポップシーンと密接に絡んできた同局ならでの沖縄現代史であった。さらに、ラジオ沖縄『"復帰"を二度経験した奄美人』(5月29日放送)は、沖縄で見過ごされてきた「奄美と沖縄」の関係に着目。当事者の証言を淡々と重ねることによって、「復帰」とは何か、「国家」とは何か、という新たな問いかけとなっていた。

一方でNHK以外、全国放送として沖縄復帰50年を取り上げる番組がきわめて少なかったのは予想どおりだった。もちろんニュース番組などでその週に沖縄からの中継や、声を届けるという時事的な話題はあったが、沖縄にとって「復帰」とは、こうしてみたように50年間の時間と、それ以前の歴史さえも含む時代的転換点なのである。数字上の節目に際して作られる特番はいわば「沖縄ブーム」のように、なんども繰り返しやってくる大波のようだ。沖縄にとって、波が引いた後の状態が日常であり、日本が可視化を避け続けている「沖縄問題」と対峙していくのである。無論これは沖縄の問題ではなく、本当に日本全体の問題なのである。

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