1975年にニッポン放送、STVラジオ、九州朝日放送の3局で始まった「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」。目の不自由な方たちが安心して街を歩けるように、「音の出る信号機」などの基金を募るキャンペーンは、現在全国11局で行われている。民放onlineは、初回から同キャンペーンに取り組み50回目を迎えたニッポン放送、STVラジオ、九州朝日放送の3局の担当者に寄稿いただいた。
今回は、STVラジオ編です。
2024年12月24日正午から24時間にわたって放送した「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」(以下、「ミュージックソン」)。ニッポン放送が音頭を取り「目の不自由な方へ音の出る信号機を」をテーマに始まったこの特別企画は50回目となりました。当社は初回からこの取り組みに参加させていただき、その募金によってこれまで北海道内に175基の「音の出る信号機」 を寄贈してきました(2024年10月時点)。当社は1962年に放送を開始し、満62年。歴史の大部分を「ミュージックソン」とともに歩み続けてきました。
50回の節目となる今回の放送では、企画の原点に返り、その趣旨をしっかりとリスナーの皆さんと共有できるメモリアルな放送にしたいと考え、20代の制作担当部員を中心に構成を組み立てました。
原点を知る喜瀬ひろしアナウンサーが担当
メインパーソナリティをお願いしたのは、喜瀬ひろしアナウンサー。1970年に札幌テレビ放送に入社し、定年後の現在も当社の番組MCを担当しています。節目のパーソナリティを喜瀬アナウンサーに依頼したのは、当社の長い歴史を知り、ラジオをとおして共有する時間が多くの人の幸せにつながるかもしれないという思いで、マイクの前で語り続けている方だからです。喜瀬アナウンサーは初回の「ミュージックソン」でパーソナリティを務めていました。当時は、STVホール(札幌市中央区北1条西8丁目)で、お客さんを前に24時間の生放送をしたと話します。「ミュージックソン」の原点を現場の第一線で発信していたパーソナリティが、半世紀の時を超えて再び担当し、多くの人にその意義や意味を伝えていくことが、北海道のリスナーの皆さんだけでなく、50年前を知らない私たち制作スタッフにとっても、得るものが多いと考えたのです。
<『リクエストプラザ チャリティ・ミュージックソンスペシャル』
村岡啓介さん㊨と喜瀬ひろしアナ㊧>
喜瀬アナウンサーは、「ミュージックソン」での出会いから、プライベートでも目の不自由な方の支援をするボランティア活動に参加しています。そのひとつが、北海道内外の視覚障がい者の皆さんでつくるアマチュアバンド「ブルーファミリア」です。代表の目黒達也さんをはじめ、メンバーは現在13人。各地でコンサートを開催しています。喜瀬アナウンサーは、コンサートの司会を担当。その収益金は、北海道千歳市立図書館のブルーファミリア文庫などに寄贈しているとのことです。その目黒さんは、初回のゲスト出演者の一人だったのです。
今回の番組では、目黒さんにもお越しいただき、喜瀬アナウンサーと再び共演を果たしました。今も変わらぬチャリティへの思いを語り合うだけでなく、二人の会話や演奏が記録された初回の放送音源もお届けし、50年の時を超えた番組の原点に触れる時間となりました。
<『まるごと!エンタメション チャリティ・ミュージックソンスペシャル』
左から、STVの油野純帆アナ、佐々木たくおさん、喜瀬ひろしアナ>
すべての聴取者に向けて
24時間の番組内では、ほかにも20代のディレクターが企画・制作したドキュメンタリーもお届けしました。札幌で働く視覚障がい者の山田健裕さん。5年前に受けた脳腫瘍の手術の影響で、視神経を損傷し失明状態となりました。右目の視力はなく、左目もかすかにものの形が分かる程度で、モノクロの世界だといいます。視力を失う前から勤めてきた会社のコールセンター管理部門で働いています。失明当初はふさぎ込んでいたという山田さんですが、会社の方々などの協力で勤務を続け、今では、「これまでの経験から、これからの人たちにアドバイスできる」と明るく話せるほど前向きに仕事を続けています。
私たちが山田さんに出会ったきっかけは、生ワイド番組『ごきげんようじ』(土、8:00〜12:00)の聴取者参加コーナーでした。パーソナリティと電話で会話するその声は、出演者に負けないほど明るく、パーソナリティとの掛け合いを楽しんでいました。「視力を失って落ち込んでいたときに、初めて笑ったのがこの番組(『ごきげんようじ』)だったんです」と山田さんは言いました。
さまざまな境遇の方が聴取するラジオ。時に、体の不自由な方たちに寄り添えていないんじゃないかと、疑心暗鬼になりながら番組制作をすることもあった私たちの心が軽くなった瞬間でした。そうは言いながらも、視覚障がいなどについて、まだまだ誤解や認識不足はあると思います。ラジオ番組という形で、健常者も含めた誰かと少しだけでも幸せな時間を共有できていることを確認することができました。このドキュメンタリー番組にご協力いただいた山田さんに感謝に堪えません。
<『ときめきミュージックスペシャル』
左から、五十嵐浩晃さん、STVの木村洋二アナ、喜瀬ひろしアナ>
この「ミュージックソン」という番組スキームは、視覚障がいの方々を支援する目的だけでなく、すべての聴取者に「人」を感じていただき、時間を共有しながらつながることだと思います。
喜瀬アナウンサーは、番組の最後に聴取者に向けてこう話し、締めくくりました。
第一回の放送から50年です。STVラジオでは24時間の放送の第一回が、1975年、STVホールからお送りをいたしました。その時よりも今強く感じるのは、平和を望む気持ちだと思うんです。なぜかと言うと、今、世の中がきな臭いからです。ニュースなどでお分かりだと思うんです。去年の暮れですけども、2024年はどんな年だと思いますかと訊かれた人が、「新しい戦前」と答えた。これ、とても怖いことだと思う。ラジオをお聴きの皆さん、いかがでしょうか。確かに、何か怖い。目の不自由な方もそうじゃない方も、もし平和じゃなかったらとっても過酷な世界がやってくる、そう思うんです。"平和の光"という歌を目黒達也さん、ブルーファミリアの皆さんと一緒に作りました。"夢見てる 平和の光 降り注ぐ世界を"これが締めくくりの言葉なんです。平和であることが、目の不自由な方だけではなく、今、大切なんじゃないかなと、50年を迎えて、しみじみそう思います。
「ミュージックソン」には、視覚障がい者の皆さんを支援するという大きなテーマがあります。しかしそれは、音だけで表現するラジオのごく一部の役割です。すべての聴取者が、ほんの少しでも幸せに暮らすための時間を共有することが、番組の本当のテーマなのかもしれないと感じました。
51年目以降も、平和を心の真ん中に置いて、番組作りをしていきたいと思います。
<24時間の放送を終えて>