1975年にニッポン放送、STVラジオ、九州朝日放送の3局で始まった「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」。目の不自由な方たちが安心して街を歩けるように、「音の出る信号機」などの基金を募るキャンペーンは、現在全国11局で行われている。民放onlineは、初回から同キャンペーンに取り組み50回目を迎えたニッポン放送、STVラジオ、九州朝日放送の3局の担当者に寄稿いただいた。
今回は、ニッポン放送編です。
今回(2024年)で50回目の開催となった「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」(以下、「ミュージックソン」)は、目の不自由な方たちが安心して街を歩けるように「音の出る信号機」や、目の不自由な方の社会参加につながるアイテムを一つでも増やすための募金を呼びかけるチャリティ・キャンペーンで、毎年11月1日から1月31日まで実施しています。そのキャンペーンの中心になるのが、クリスマス・イブの12月24日正午から24時間生放送でお送りする特別番組です。
「音楽とラジオの力で社会に貢献できることをしたい」という思いから1975(昭和50)年にスタート。当時としては画期的なラジオによるチャリティ活動で、"ミュージックソン"という言葉は「音楽」(ミュージック)と、24時間放送からイメージされる「マラソン」を掛け合わせて作られました。
「ミュージックソン」はニッポン放送とSTVラジオ、九州朝日放送の3局でスタートし、翌年にラジオ大阪、その後も参加順にラジオ福島、IBC岩手放送、青森放送、和歌山放送、ラジオ沖縄、中国放送、西日本放送――と全国11局でこのキャンペーンを実施、各局独自の特別番組を放送しています。
当社は2024年に開局70周年を迎えました。「笑顔にナーレ!」(70=ナーレ)をキャッチフレーズに掲げ、「リスナーに笑顔になってもらいたい」と思いを込めて、日々番組をお送りしてきました。そのような開局70周年の節目に、記念すべき第50回となる「ミュージックソン」のメインパーソナリティには、いま一番"笑顔"が似合う、そしてみんなに"笑顔"を届け続けている出川哲朗さんにお願いし、快諾をいただきました。
<ニッポン放送のメインパーソナリティを務めた出川哲朗さん>
最も"笑い声"がたくさん聞こえた「ミュージックソン」
第50回にふさわしいメインパーソナリティは決まりましたが、出川さんは私たちの想像をはるかに超える忙しさでした。超ハードスケジュールの中、打ち合わせの時間をまさに"削り出して"いただいた関係者の皆さまには大変感謝しております。11月下旬には出川さんが筑波大学附属視覚特別支援学校を訪れ、目の不自由な子どもたちと直接触れ合う機会を作ることもできました。その後も打ち合わせを何度も重ねて、12月24日を迎えました。
<生放送は有楽町駅前"愛の泉"ステージからスタート>
当社では12月24日正午からの「ミュージックソン」の24時間生放送は、"全員参加"となります。社長以下全役員、社員全員が何らかの業務を担うだけでなく、翌年4月の入社が決まっている内定者の皆さんにも手伝ってもらいます。私も入社前年1991年のクリスマス・イブから「ミュージックソン」に携わっています。
今回は私が経験してきた中でも、最も"笑い声"がたくさん聞こえた「ミュージックソン」のひとつになったのでは、と思います。とても出川さんらしい「ミュージックソン」で、たくさんのリスナーに笑って楽しんでもらいながら、たくさんの募金にご協力いただきました。
節目となる第50回の「ミュージックソン」ということで、これまでにメインパーソナリティを務めてきた方々にも多数、ゲスト出演いただきました。また、出川さんと親しい仕事仲間の芸人さんなども駆けつけてくれました。特筆すべきは、出川さんがテレビの仕事などで共演する皆さんに協力を要請して、たくさんのチャリティ・オークショングッズを自ら集めてきてくれたことです。おかげさまで、チャリティ・オークションは今回募金を集めるための大きな柱のひとつとなりました。
<12月25日の朝、ニッポン放送の玄関に立つ出川さん>
チャリティ・オークションにとどまらず、「ミュージックソン」の募金受付方法は回を重ねるごとに多角化しており、特に近年は「キャッシュレス募金」の拡充に力を入れています。ただし今回は、できる限りの時間を公開放送としたことや、当社アナウンサーで構成する「アナウンサー募金隊」に加え、出川さんご自身にも募金箱を持って街に繰り出していただいたこともあり、「直接募金」の額が大幅に増えました。この点も今回の「ミュージックソン」の特徴のひとつです。
<アナウンサー募金隊>
キャンペーンは1月31日で終了し、参加全11局による最終募金総額は9,244万9,463円となりました。これにより「ミュージックソン」の累計募金総額は、51億1,956万4,718円となりました。あらためて、リスナーの皆さまのご協力に感謝申しあげます。お預かりした浄財は、全日本交通安全協会や日本点字図書館などを通じ「音の出る信号機」の設置や、本を音声朗読した「声の図書」など多数の視覚障がい者用機器などの購入に使用させていただきます。
なお、音の出る信号機は、初回の「ミュージックソン」の募金によって設置した千葉市中央公園前を皮切りに、これまで全国で3,457基が設置されました。
<募金で初めて設置された千葉市中央公園前の音の出る信号機>
ぶれない目的で、誠実に
前述のとおり、私が「ミュージックソン」に関わっているのは1991年からですが、大先輩がスタートしてから50年にわたります。この間、「目の不自由な方へ音の出る信号機を」という目的がまったくぶれることなくキャンペーンを続けてきたことは、何事にも代え難い大きな財産だと思っています。
2024年1月1日、能登半島地震が発生し大きな被害が出ました。当社では1月3日から義援金の受付を開始しましたが、リスナーからはSNSでたくさんの反応をいただきました。
「どこにしたらいいのか迷ってたけど、ミュージックソンで信頼があるニッポン放送さんに募金させていただきます」
「ミュージックソンを続けられているニッポン放送さんなら安心と募金を決めました!被災地へ早く届きますように」
「募金する時って相手に届くかなって不安になるけど、ニッポン放送なら信頼できるって思える!」
「自分は何をしたらいいんだって悩んでる方、私は昔から信頼してるニッポン放送さんに寄付しました」
50年にわたって積み上げてきた、この"信頼"を決して裏切ることはできません。これからも目の不自由な方が安心して暮らせるよう、誠実に『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』に取り組んでいきたいと考えています。