8月15日、今年も平和を祈念し、尊い命を戦争によって奪われた方々を慰霊する日が訪れた。各局では、10日ほど前からニュース番組内の特集コーナーを中心に、戦争に関する話題を取り上げていた。終戦から76年の今年は、戦争の記憶が薄らいでいく中、どのように語り伝えていくことができるのか、どのようにすれば視聴者に戦争の悲惨さを伝えることができるのか、という大きな課題と向き合いながらの放送だったように思う。
特に子どもたちの場合、テレビが伝える戦争をどれくらい自分ごととして捉えられただろうか。街に戦争の痕跡はなく、日常の生活で戦争の悲惨さを見聞きする環境はほぼ皆無に等しい。沖縄、広島、長崎の子どもたちは、戦争体験者に間近に接することも多く、戦争について考える環境に恵まれている。他県の子どもたちも、『ちいちゃんのかげおくり』『一つの花』といった国語教科書に掲載された児童文学作品で戦争に触れる機会はある。ただ、多くの場合、授業では作中の人物の心情の読み取りなどに終始し、これらの教材を使って平和教育が強く推進されることはまれである。
現在の子どもたちが戦争について考える機会は、学校よりも、絵本や児童文学、アニメ、映画などのメディアによって得られることが多い。『はだしのゲン』は原作漫画が実写映画、アニメ、ドラマ、舞台、朗読劇になり、多くの子どもたちに原爆や戦争について考えるきっかけを作ってきた。それにもかかわらず、描写が過激だという理由で、2012年に松江市教育委員会が小中学校での閲覧制限を導入して議論になったことを覚えておられる方もいよう。
高畑勲監督の神戸大空襲を題材にしたスタジオジブリ作品「火垂るの墓」や、片渕須直監督の「この世界の片隅に」は、戦争に関するアニメ映画として最近の子どもたちに知られている。「火垂るの墓」は日本テレビ系列の「金曜ロードショー」で公開翌年の1989年から何度も放送されてきた。「この世界の片隅に」も、日本テレビのスペシャルドラマやTBSテレビの日曜劇場枠でドラマ化され、戦争について考える貴重な機会を与えてきた。こうしたドラマやアニメ、映画が子どもたちの心情に訴えかけ、戦争を伝える大きな力を持つ一方で、どんな映画もドラマも、実際の戦争の悲惨な景色を表現できるものではないことも事実である。テレビのドキュメンタリー番組で流れる実際の映像、テレビやラジオを通して戦争体験者が語る生の声の持つ力は大きい。
今年も広島と長崎の放送局をはじめ、多くの局が戦争関連番組を放送した。中国放送の「描く 被爆76年の広島から」のほか、広島テレビ「残してください 被爆ポンプです。」、テレビ新広島「被爆地にたつ孤児収容所~2千人の父、上栗頼登」、エフエム長崎「FM長崎 平和祈念特番~語り部としての被爆遺構」のように、子どもの視点や若者の思いに寄り添った番組もみられた。
TBSテレビの「戦後76年プロジェクト つなぐ、つながる」では、司会の関口宏さんやアナウンサーらが、戦争の記憶が薄らいでいく中でのテレビメディアの戦争報道の可能性を自らに問いかけながら番組を進めていく様子が印象的だった。また、身近に戦争を感じる環境で育った沖縄出身のタレント・りゅうちぇるさんのコメントは、戦争を他人ごとではなく自分ごととして視聴者に感じさせる力を持っていた。直接の戦争体験者ではないものの、自分の故郷、祖母らが体験した出来事を自分のこととして感じ、考えていこうとするりゅうちぇるさんの姿は、戦争を遠い出来事と感じている子どもたちも、自己を投影しながら見ることができたのではないだろうか。戦争体験者が少なくなっていくこれからの時代に、子どもや若者に戦争を伝え、平和への思いをつないでいくヒントが示されていたように思う。
今年の番組を視聴していて、戦争体験者としてインタビューに答えている方のほとんどが90代だったことは印象深かった。戦争を体験した1940年以前に生まれた方は、80年には人口の37・9%、2000年には23・4%を占めていたものの、20年にはわずか9・2%になっている。年々この数は少なくなり、戦争体験者の生の声を聞くことはできなくなっていく。
音と映像で訴求するテレビやラジオの果たすべき役割が、戦争体験者が少なくなることに反比例して、今後ますます大きくなっていくことを感じた8月15日だった。