【メディア時評】相互理解のためのメディア・リテラシー 知見の共有・体系化、局越えた連携に課題 BPO青少年委との共同研究から

飯田 豊
【メディア時評】相互理解のためのメディア・リテラシー 知見の共有・体系化、局越えた連携に課題 BPO青少年委との共同研究から

日本マス・コミュニケーション学会は今年1月、「日本メディア学会」に名称変更するとともに、学会規約を大幅に改正した。新聞業界の強い後押しによって、日本新聞学会として設立されたのが1951年。放送学やマス・コミュニケーション研究の隆盛を経て、日本マス・コミュニケーション学会になったのは91年である。この学会は70年間ずっと、事業目的のひとつに「ジャーナリズム教育の普及・助成」を掲げていたが、それが今年、「ジャーナリズム教育およびメディア・リテラシー教育の促進」に改正された。「送り手教育」に「受け手教育」が追記されたと理解するのが一般的だろうが、そのように解釈してしまうことで、送り手と受け手のあいだに無用な壁を立ててしまいかねない。

たしかにメディア・リテラシー教育は従来、マスメディアの受け手が批判的思考を育成することを意味してきた。それゆえ90年代半ばまで放送局には無縁で、警戒すべき教育運動と捉えられることさえあった。ところが、日本では現在、多くの放送局が視聴者・リスナーに対するメディア・リテラシー教育に自ら取り組み、送り手と受け手の相互理解に努めている。

2019~21年度にかけて、筆者は放送倫理・番組向上機構(BPO)青少年委員会との共同研究として、「青少年のメディア・リテラシー育成に関する放送局の取り組みに対する調査研究」を実施した。民放連会員社(以下、民放局)205社とNHK地域放送局(首都圏局を含む)54局を対象に実施したアンケート調査(回収率は約80%)によれば、過去20年のあいだに青少年を対象とした番組制作体験やワークショップなどに取り組んだ経験がある民放局は約70%、小・中・高等学校での出前授業に取り組んだ経験がある民放局は約65%に達している。

注目すべきことに、多くの事例で「中学生に教えることで、自分たちの仕事を再認識した」「テレビ局の存在意義、公共性等を改めて考える機会となっている」といった自己評価が示され、送り手にとっても重要な学びの場になっていることが明らかになった。こうした活動を社員研修の一環に位置づけている放送局もある。

もうひとつ興味深かったのは、放送を支える技術を積極的に見せていることだ。多くの局が中継車や電波塔の見学に取り組んでいるほか、活動の種別にかかわらず、技術部門の局員の参加を重視していることも明らかになった。

それに対して、今後の課題も浮き彫りになっている。さまざまな活動を細かく見ると、それぞれの放送局の特性や経験などを踏まえた創意工夫が細部に宿っているのだが、裏を返せば、知見の共有や体系化、放送局同士の連携や協働は進んでいない。とりわけ近年、フェイクニュースが流通する仕組みをはじめ、インターネットの新しい潮流を知ることが、あたかも新時代のメディア・リテラシーであるかのように語られる機会も増えてきた。こうした社会的関心を放送局としてどう受け止め、視聴者・リスナーに向き合うべきか――。いずれの局も同様の悩みを抱えながら、おのおので試行錯誤を繰り返しているように見える。

当初の計画では、分析的な実態調査にとどまらず、できる限り現地取材に出向くつもりだった。参加者や実践者の生の声を聞くだけでなく、調査の過程で他局の活動を知ってもらい、局を越えた連携の強化に寄与したいと考えていたからである。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大で、状況が一変した。オンライン化によって新たな手応えを得ている局もあるが、多くの活動が依然として中止や延期を余儀なくされている。それゆえこの調査では、これまでの実績を歴史として記録することに専念した。詳細については、間もなく刊行される報告書をご覧いただきたい(BPOのウェブサイトにも公開予定)。そして、調査に協力いただいた皆さんには、改めて感謝を申しあげる。

コロナ禍でやむを得なかったとはいえ、それでも悔いは残る。そんな折、日本メディア学会が「メディア・リテラシー教育の促進」を掲げたことは一会員として非常に心強い。インターネットが日常生活に欠かせない技術基盤になっているなかで、放送という営みや電波という現象そのものに魅力を感じている若者が少なくないと、この調査を通じて改めて確信した。送り手にとっても、放送の価値を再発見していく手がかりが、こうした地道な活動のなかに溢れているはずだ。

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