コンプライアンス重視の時代を考える 「いつか来た道」を歩まないために

加藤 理
コンプライアンス重視の時代を考える 「いつか来た道」を歩まないために

TBS系金曜ドラマ『不適切にもほどがある』(以下、『不適切』)が描く社会への風刺が多くの視聴者の共感を呼び、大きな話題となった。

社会のあり方の違い、過去と現在の価値観の違い、文化や風俗の違いなど多様な内容を含んでいたが、1980年代と現在とのコンプライアンスのあり方について特に考えさせられるドラマだった。

1980年代のテレビ番組と現在のテレビ番組に隔世の感があることは言うまでもない。80年代の深夜番組、特に土曜日深夜は、今では考えられないような番組が各局で放送されていた。深夜番組だけでなく、ゴールデンタイム、プライムタイムに放送されるドラマ、温泉紹介番組の映像など、現在からみると「不適切にもほどがある」番組が山ほどあり、青少年へのテレビ番組の悪影響が頻繁に話題になった。

『不適切』第3話で描かれていたように、現在はコンプライアンスチェックを厳しく行いながら番組制作が進められ、誰をも傷つけず、誰もが安心して楽しく視聴できるテレビ番組を目指している。

一方で、セクハラ、パワハラなど各種のハラスメント、人種差別、障がい者差別、ジェンダー差別、職業差別などの人権問題、裏付けをきちんと取らずに誤った内容を事実であるかのように放送してしまうこと、そして性的表現や暴力的表現による子どもへの悪影響など、さまざまなことに配慮して万全の注意を払いながら作らなければいけないことで、誰もが安心して視聴できるようになった半面、何でもありだったかつてのテレビ番組が持っていた活力と面白さがテレビから消えたと嘆く声も多い。『不適切』の中では、令和の中学生の向坂キヨシがそうした声の代弁者になっていた。

厳しいコンプライアンスの中で作られる今のテレビ番組が本当に魅力と輝きを失ってしまったのか、なんでもありのかつてのテレビ番組をテレビの面白さだと思っている視聴者が、コンプライアンスを重視した安心感のある今のテレビ番組をつまらないと感じてしまっているのか、ここは見解がわかれるところであろう。

『不適切』第話に印象的なシーンがあった。犬島渚のハラスメントの嫌疑について査問する場で、リスクマネジメント部長の栗田が、人々の間に根強く残っている昔の価値観とハラスメントへの認識をなくしていくことについて、1986年からタイムスリップして現代に来た小川市郎の存在にたとえて、「ぼくたちの中にいすわっている小さな小川さんの存在を認めて駆逐しなければ」と発言していた。昔の人権意識と昔のハラスメントへの認識を意味する「小さな小川さん」が心の中に宿っているか否か、どれほどの大きさで存在しているかで、テレビ番組への個々人の評価と感想も大きく左右されるのではないだろうか。

コンプライアンスに基づいて厳しくチェックされた今のテレビ番組を視聴して育っている中高校生たちは、テレビ番組に裸の映像やいわゆるお色気シーンを積極的に求めることはない。テレビ番組にそうしたシーンが登場するとは思っていないので、テレビ番組にそれらを期待することはないのだ。テレビ番組に裸の映像を求めたり、お色気シーンを求めたりしているのは、かつてテレビ番組内で裸の映像やお色気シーンを視聴したことを記憶している「小さな小川さん」が心の中にいすわっている世代に限られるのではないか。

"子どもへの影響"が入り口に

 ところで、テレビだけでなく活字メディアも含めると、子どもをめぐってその内容が問題視され議論されたことは、過去に何度も繰り返されている。『不適切』で描かれた80年代の過激なテレビ番組以前では、読者懸賞の賞品が子どもたちに戦争を肯定したり憧れたりすることを助長するとして、児童文学者らが賞品の撤回を求めて抗議した少年マンガの『あかつき戦闘隊』事件(1968年)があった。

1968年から「週刊少年ジャンプ」で連載が開始された『ハレンチ学園』は、過激な性表現と教師批判に対して保護者や教育委員会から多数苦情が寄せられて問題となった。『ハレンチ学園』は1970年にテレビドラマ化され、PTAなどから「低俗番組」と批判され、当時の情報番組で教育評論家の阿部進らによって白熱した議論が展開されていた。

こうした、メディア規制の動きは、太平洋戦争前の1930年代にさかのぼることができる。1938月に国家総動員法が公布され、国家総動員上必要と認められる事柄について、政府が広範な統制を行えるよう定められる。ラジオが統制されたことはよく知られているが、同年10月26日には国民精神総動員体制のもとで「児童読物改善ニ関スル指示要綱」が出され、次代を担う子どもたちの読物を国家の意図によって統制する体制が作られていく。

廃止すべき事項には「卑猥俗悪ナル漫画及ビ用語」が含まれている。子どもへの影響を考えてメディア規制がなされる場合、卑猥で俗悪とみなされる内容が規制の対象となることは、昔も今も変わりない。

メディアの規制について考える際に、指示要綱の策定を主導した内務省警保局の佐伯郁郎が、「積極的な出版政策」を提言していることに着目する必要がある。「積極的な出版政策」とは、出版される前の出版企画に対して指導・統制を行うというきわめて危険な提言である。出版された物を見て表現の行き過ぎや内容について指導するのではなく、企画内容が国策遂行に合致するものかどうかチェックし、合致しないものは企画段階で内容を変更させたり、出版統制を行ったりしようとしたのである。

戦時下のメディアへの指導・統制と、コンプライアンスに縛られて放送前に厳しいチェックを受けて番組が作られる現在の状況を比べた時、「いつか来た道」を想起し、薄気味悪さを感じるのは筆者だけだろうか。

ただし、戦前の社会が強権的な力を持った国によって、国策遂行と国体護持のためになされた指導・統制だったことに対して、現在は社会の価値観を遵守しながら放送局内で自主的なチェックが行われている点は大きな違いである。放送局による自主・自律が失われ、強い権力の意向に沿って指導・統制が行われるようになった時、「いつか来た道」を本当に私たちは再び歩き出すことになってしまうだろう。それはなんとしても避けなければならない。そのために設立されたのがBPOだったのではないだろうか。

放送界にとってBPOの存在とは

それにもかかわらず、BPO(放送倫理・番組向上機構)の存在がかつての内務省と重なって見えてくる読者もいるかもしれない。かつての内務省警保局とは、性格も立ち位置もその力の大きさも異なるが、BPOは、確かにテレビ業界への影響力は大きい。本来の創設意図や目的と離れて、放送局の人々と多くの視聴者にとって、BPOが権威主義的な存在と感じられている現実は、かつてBPOの青少年委員会委員だった筆者も残念ながら否定できないと感じている。

BPOに指摘されないように、BPOで審議入りしないようにということが、番組作りの至上命題になってしまっては、内務省から指導と統制を受けないことが至上命題となって企画が立案され、認められていたかつての時代と同じになってしまう。

太平洋戦争に向かっていった時代の「児童読物改善ニ関スル指示要綱」は、皇国民の育成という国策遂行のための統制だった。そのイデオロギーも政治体制も戦後否定された。戦前と戦時中のメディアについて考えると、国家の意図に沿って偽りの情報を発信したり、国にとって都合のよい内容だけを発信したことに大きな問題があったが、それと同時に、国家の指導・統制に沿うものを放送・出版することに注力して、その内容について自らの思考と判断を吟味することなく思考停止状態になっていたことが、国民の知る権利に応えて情報を発信する立場にとって何よりも問題だったのではないか。自らが発信しようとする情報を自らの思考と判断の結果で決めるのではなく、放送局と出版社側が委縮して、国からの指導・統制が入らないようにすることが発信内容を判断する基準になってしまっては、ジャーナリズムは正しく機能しない。それは、表現者であることを自ら放棄する行為になってしまう。

ひるがえって、現在のコンプライアンスにがんじがらめにされて作られているテレビ番組について考えたい。コンプライアンス上問題ないかどうかに汲々とし、BPOの存在を意識の中に置きながら作られているテレビ番組の状況は、国策遂行上問題ないかどうかにとらわれ、常に内務省の顔色を気にしていた太平洋戦争に向かう時代の放送や出版状況と似た様相を呈しつつあるのではないだろうか。

BPOが問題にしなければその番組は問題ない、BPOから指摘されなければこうした映像の出し方はOK、BPOがかつて問題にした事柄を取り上げるのはNG......。番組を制作する人々が、BPOの存在に萎縮し、制作者として自らが思考判断することを停止して、BPOの判断と顔色をうかがうようになってしまっているとしたら、活力ある面白い番組作りは望むべくもない。BPOが制作者たちからこのように思われているとしたら、BPO自身がわが身を省みなければ、BPOはかつての内務省が果たした役割と存在に近づき、やがて健全に機能しなくなっていくだろう。

筆者が委員だった当時、BPOは視聴者と放送局の回路になる、ということが委員会内での共通認識だった。視聴者が感じた批判や苦痛、賞賛などを受け止め、視聴者が感じたことに専門的な立場から補足して放送局側に伝える。そして、放送局と一緒によりよい番組作りを目指していく、ということがBPOが担うべき役割だと認識していた。そのために、筆者が委員だった当時に、視聴してほしい番組を「青少年へのおすすめ番組」としてウェブサイトに掲載して広報することを始め、筆者が視聴した番組の感想を機会を見つけて放送局に伝えようと努力していた。

創立から20年の節目を過ぎた今、BPO自身がわが身を省み、制作者たちもBPOとは放送業界にとってどのような意味を持つ存在なのか考え直すには絶好の時期ではないだろうか。

創立20周年にあたり、BPOは『BPOの20年 そして放送のこれから』を発行してBPOのこれまでの歩みを振り返り、これからのBPOについて自ら考察している。こうした取り組みは、BPOが内務省のような組織になることなく、視聴者と放送局との回路として機能し続けていくためにとても重要な意味を持つ。BPOは検閲機関になってはならず、国民からも放送局の人々からも、権威を持った検閲機関と思われてはいけないのである。

求めたいコンプライアンスの検証とアップデート

コンプライアンスのもととなる価値観は、これまでの人類が幾多の苦難の中で獲得してきた人類の思想の到達点が集約されたものである。だが一方で、その思想が永遠不滅のものでないことは自明のことである。『不適切』の最終話では、2054年からタイムスリップした井上が登場する。30年後の2054年は、現在尊重されているコンプライアンスの数々も、中には否定され、中にはさらにアップデートされているものがあることは間違いない。

時代と共に価値観は変化し、倫理観も変化する。そこに人類の進歩がある。今あるコンプライアンスを尊重していくだけでなく、クリティカル・シンキングを保持しながら常に今のコンプライアンスを検証し続け、制作者たちが自主・自律の精神を保持しながら番組が作られていくことを願いたい。番組制作にたずさわる人々は、時代の価値観やコンプライアンスを常に検証し続け、自主・自律的に判断して、コンプライアンスのアップデートの最先端に立っていく人々であってほしい。

私たち視聴者も、数々のコンプライアンスが尊重されて作られた番組を無批判に受け入れている自分たちの視聴スタイルについて、メタ認知能力を働かせて俯瞰してみることも必要ではないだろうか。現在のコンプライアンスが金科玉条の不可侵のものではない中で、それをただ受け入れている私たちの思考停止状態をも顧みる必要があるのではないだろうか。

自分たちが歩いている道が、「いつか来た道」になっていないか検証することは、制作者にも視聴者にも、そしてBPOにも求められている。

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