【BPO発足20年 連載企画⑧】BPO20年の重みと課題

大日向 雅美
【BPO発足20年 連載企画⑧】BPO20年の重みと課題

2003年の発足から7月1日で20年となるBPO(放送倫理・番組向上機構)。放送倫理検証委員会、放送と人権等権利に関する委員会、放送と青少年に関する委員会の3委員会が、放送界の自律と放送の質の向上を促している。

「民放online」では、BPOの設立の経緯や果たしてきた役割、その成果などを振り返り、現在の立ち位置と意義を再認識するための連載を企画。多角的な視点でBPOの「現在地」と「これから」をシリーズで考える。 

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最後に登場いただくのは、BPOの大日向雅美理事長。

はじめに

『民放online』がBPO発足20年の節目にこのような連載を企画してくださったことは、誠にありがたいことであった。BPOが「これまで」果たしてきた役割を再認識すると共に、「これから」取り組むべき課題をいただけた思いである。BPO理事長として深い感謝の念をもって、本連載にご登壇くださった皆さまのメッセージにお応えする形で執筆させていただきたい。

"自由の質"と"社会の質"向上への貢献

本連載を通して、BPOが放送界の自主・自律を目指した第三者機関たらんとする深く、かつ非常に重い意義を改めて考えさせていただいた。
まず、「この20年で、放送において自律の仕組みが機能することをBPOが実績を持って証明し、そのことで放送界における自由が鍛えられてきた」との評価と共に、「スタート時点の緊張感をもって、自由の質の向上に努めよ」とのご指摘(第1回目:濱田純一氏・BPO前理事長)は、まさにBPOの「これまで」と「これから」を明示していただけたものと思う。
ここにご指摘されているスタート時点の緊張感に関して、放送倫理検証委員会の16年間を振り返る論考(第7回目:小町谷育子氏・放送倫理検証委員会委員長)の中で、「委員会発足時の社会状況の中で、表現の自由の闘いという問いを忘れてはならないという覚悟」との表現があるほどに、緊迫感を伴ったものであることを考えさせられた。
さらに「BPOの仕事は放送事業者にとって言論・表現の自由の分限とは何かを考えることであり、その受益者は放送界のみならず社会の質の向上につながる」とのご指摘(第6回目:清家篤氏)は、BPOが緊張感をもってあたるべき自由の質の向上の内実についての貴重なご示唆であると共に、BPOの存在意義の拡大についてのご指摘でもあった。

以上3氏のメッセージに、BPOが紡いできた20年という歳月の格別な重みを思い、BPOがこれからめざすべき課題の大きさを痛感させられた。

"誤解"と"厳しいまなざし"

さて、その課題にいかに立ち向かうべきかであるが、そのヒントとなるものをいただいたことも大変ありがたいことであった。それはほかならぬBPOに対するさまざまな"誤解"と"厳しいまなざし"である(第2回目:龍宝正峰氏、第3回目:松坂千尋氏、第4回目:奥村倫弘氏、第5回目:たむらようこ氏)。

かねてより番組制作現場からはBPOの存在が制作を萎縮させるという懸念の声は聞かれていたが、近年は視聴者からBPOが番組をつまらなくしているという声と、他方でもっと規制すべきではないかという声が数多く寄せられている。「それだけBPOが放送界向けの任意団体から一般社会に認知された社会的存在になった証しである」(龍宝正峰氏)というご指摘をうれしく思う一方で、「放送事業者とBPOができるだけ多くの機会をとらえて積極的な意見交換をする必要性」(松坂千尋氏)等、BPOの理念と活動についての理解と浸透に一層注力する必要性を考えさせられた。換言すれば「BPOの発信力の強化」(たむらようこ氏)にほかならない。 

BPO事務局スタッフとの座談会から

放送の現場とBPOとの溝

BPOの発信力の強化」を考える以前に、まず考慮すべきことがある。その気づきをいただいたのは、「BPOに押し付けられたかのような、その納得のいかない気持ちを現場はどう受け止めれば良いのだろうか」(奥村倫弘氏)とのご指摘であった。「放送界の自主・自律を促す」という言葉を幾度となく繰り返しながらも、放送現場とのギャップは正直、ぬぐい切れないものがある。現場とBPOの間に横たわる溝の正体にまず率直に向き合いたいとの思いを一層強めさせていただいたご指摘だが、実はこれを可能とする巧妙かつ類まれな仕掛けなるものをBPOという組織は内在している。それは、かつては放送の現場にあってBPOに対して納得のいかない気持ちを抱えていたかもしれない、そして、今はBPOの中に入って3つの委員会活動を支え、視聴者・リスナーと放送界の仲立ちたるべく業務に日々いそしんでいる事務局スタッフの存在である。外部からは黒子として見えにくいこの人たちの存在と働きの大きさに気づいたのは、理事長として"BPOの現場"に身を置いてこそ見えてきた貴重な発見でもあった。

かつて放送の現場に、今、BPOに

そこで、BPO事務局スタッフ(主に各委員会の統括等)に、放送現場にいた「これまで」を振り返り、BPOにいる「今」を語ってもらう会を設けた。時間近くに及んで交わされた声は、実に率直かつ興味深いものであった。

「制作現場にいたとき、正直、BPOのことは考えなかった。BPOの存在はもちろん知ってはいたが、できればかかわりたくない。スピード違反を取り締まる警察みたないもので、ひっかからないように。考えていたとしたら万一ひっかかったときの対応の仕方くらいだった」等々、正直な声から会は始まった。「それだけ現場は多忙をきわめており、BPOの存在を意識しないことが制作の順調さの証だとの思いもあった」という。しかし、こうした思いはBPOに入って一変。「現場にいた時からBPOの役割を知っていたらもっと役に立っていたのではないかとの思いで、今、BPOの仕事にいそしんでいる」。これが多くのスタッフに共通した声であり、制作現場のお立場から本連載にご登壇くださったたむらようこ氏のメッセージとも一致するものでもあった。

自戒を込めた提言

しかし、BPOがなすべき発信となるとスタッフの声のトーンは深みと共に熱を帯びていった。「発信力の強化は単に回数や媒体を増やすことではない。むしろ、当該局だけでなく、多くの局の方々にも当事者性をもって耳を傾け共有していただけるよう、発信の仕方にも工夫が必要」等々の声が続く中、しかし、「BPOへの理解促進はBPOの発信だけでできることではない。受け取る側の"成熟力・咀嚼力"の問題でもある」という声に至った。この声をお伝えすることに正直、躊躇する思いもなくはないが、これはかつて放送の現場にいた人々の自戒をこめたメッセージである。現場と言っても、部署によってBPOへの思いも理解も異なっている。「BPOが発信する見解や意見に真剣に向き合うべきであり、それなくしてメディアは生き残れないという思いは、現場にいた時から抱いていた。今も昔も変わらない」というスタッフも当然いる。他方でBPOに来てからあらためて現場との感覚のずれを意識しているというスタッフも多い。いずれも、より良い放送とは何かを思い、かつての自身を振り返り、今、各現場におられるかつての仲間たちを思ってのメッセージである。

BPOは漢方薬

座談会の終盤、スタッフの思いは今一度、自身のあり方に矛先が向かい、放送現場や一般視聴者にBPOはいかに、何を発信すべきかを問う議論が交わされた。「現場や視聴者にBPOの理念を理解していただくための王道はない。自分たちが考える自主・自律を愚直に発信していくだけだ。たとえば、人権一つとっても、以前はセーフだったものが、今はアウトになる。社会は一様ではなく、常に変化することを頭に入れて仕事をしている。あきらめずに、迷わずに、より良い放送を願って」。どのスタッフからも異口同音に聞かれた言葉であった。「BPOの仕事に特効薬などない。むしろ、私たちは"漢方薬"のようにありたい」。かつて制作現場の苦労を経験し、今、視聴者・リスナーの声に最前線で接しつつ、3つの委員会委員の真摯な議論を間近に見る人々の声であった。それは、濱田純一氏と清家篤氏が指摘された"自由の質の向上"と"放送界のみならず社会の質の向上"に真摯に応えようとする声でもあった。 

おわりに

メディアの多様化が急速に進む中でのテレビ・ラジオや放送界のあり方を考えて思うのは、「放送界に身を置くものは、変化しつつある社会の価値観をいち早く感じ取り、自らの内側に倫理的な規範を持ち、模範となるようなコンテンツを生み出すプロフェッショナルたれ」(奥村倫弘氏)とのご指摘の重みである。それは終わりのない永遠のプロセスを踏み続けることでもあろう。あらためて放送現場の皆さまのお働きに思いをはせ、それを支えさせていただくために不断の努力を惜しまないBPOでありたいとの思いを、本連載登壇者の皆さまからのご指摘に、そして、それが可能であるという手応えをBPO事務局スタッフの声に確かめることができた。これもひとえに『民放online』の本企画のおかげであり、そのことに今一度感謝をお伝えして、筆を擱かせていただく。

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