大矢英代氏(元QAB)が早大で講演 「ジャーナリスト個人としてどう生きていくか」

編集広報部
大矢英代氏(元QAB)が早大で講演 「ジャーナリスト個人としてどう生きていくか」

7月5日、ジャーナリストでドキュメンタリー映画監督の大矢英代氏が「東京から沖縄、そして米国へ~ジャーナリストの選択」と題して早稲田大で講演を行った。同大大学院の政治学研究科ジャーナリズムコースと同大次世代ジャーナリズム・メディア研究所が主催した。

大矢氏は2012年に同ジャーナリズムコースを修了後、琉球朝日放送(QAB)で記者として勤務。18年に渡米し、この8月からはニューヨークのシラキュース大に勤務する。これまで、QAB『テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった元米兵たち』(17年、第23回PROGRESS賞最優秀賞)、ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(18年、三上智恵氏との共同監督、第92回キネマ旬報ベスト・テン文化映画1位)などを制作。記者経験を踏まえた講義を同コースで度々行っており、この日もジャーナリストを志した原点や、日米のジャーナリズム観の違いなどを語った。

対面での講演は2年ぶりだという大矢氏は、「10年前にここで学んでいた。皆さんが自身のキャリアを考える上で役に立てれば」と、主な受講者である学生らに語りかけながら、権力の監視、不正義の告発といった、民主主義を支える土台としてのジャーナリズムの役割を説明。学生の頃から社会・国際問題に関心を抱くようになり、留学先のカリフォルニア大で同級生が対テロ戦争に駆り出されていることへの違和感から、事実を人に伝えるジャーナリストを目指すようになったと明かした。

大学院時代には沖縄県石垣市の八重山毎日新聞でインターンを経験。そこで沖縄戦での"戦争マラリア"の被害を知り、家族9人を亡くした波照間島の女性と出会った。「『戦争の話はしたくない』と悲しそうに話す姿から、癒されない傷があると感じた。このまま論文を書いて東京に戻ったのでは『取り残された』と思われてしまう」と、大学院を1年休学して島に住み込み、サトウキビ畑を手伝いながら戦争体験を聞き取っていった。島に残ることも考えたが、取材した島民から「事実を知り、学んだ者の責任がある」と言われ、QABの契約記者に応募。「当時の記者は10人足らず。現場、中継、スタジオ、ドキュメンタリーと何でもこなした」。

IMG_5228.png

<大矢氏㊨と、進行を務めた早大の野中章弘教授

米軍による事件などの取材を重ね、被害者である沖縄が一層被害を強いられる日常に直面する中で、記者としての課題に気付いた。「米軍基地の問題は日本全体、ひいては国際問題であるはずだが、決定権のある当事者は本土やアメリカにいる。沖縄だけで取材することには限界がある」。こうして18年にアメリカに移り、アメリカから見た基地戦略やそれを支えるメンタリティなどを探求している。

質疑応答で日米のジャーナリズムを取り巻く環境の違いを問われ、ジャーナリストとしての訓練の充実ぶりや、取材活動を支える非営利団体の多さといったアメリカの特長を挙げるとともに、「受け手の政治的立場に応じた、信じたい情報を信じるためのニュースが流されている」と課題も指摘。アメリカで報道に携わる意義について、「今年が本土復帰50年であることを含め、沖縄の状況はアメリカでは知られていない。取材活動や授業を通じて、アメリカが世界で起こしている問題を伝えていきたい」「事実とデータを積み重ね、それを英語で発信していく」と語った。最後に受講者に対し、「地方の問題は日本の大きな問題の現れ。地方で暮らす人々の声を聞き、日本の姿を見つめてほしい」「ジャーナリストは"会社に就職して終わり"ではない。個人としてどう生きていくか、どういった経験を積めるかを考えながら働いて」とメッセージを述べて締めくくった。

最新記事