神戸市外国語大学准教授・山本昭宏さん 作家の想像力は戦争の抑止力になりうるのか【戦争と向き合う】⑩

山本 昭宏
神戸市外国語大学准教授・山本昭宏さん 作家の想像力は戦争の抑止力になりうるのか【戦争と向き合う】⑩

シリーズ企画「戦争と向き合う」は、各放送局で戦争をテーマに番組を制作された方を中心に寄稿いただき、戦争の実相を伝える意義や戦争報道のあり方を考えていく企画です。
第10回は神戸市外国語大学准教授の山本昭宏さん。作家やクリエイターの想像力が生み出す作品が戦争を抑止する可能性を、漫画家・水木しげるさん(2015年死去)の作品と思想を中心に論じていただきました。(編集広報部)


『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の戦争

作家やクリエイターたちの「想像力」や、それを受け止める読者や観客の「想像力」は、戦争の抑止力になりうるだろうか? 細かい留保はあえてスキップして、答えだけを言うならば、筆者はなりうると考えている。そう主張すると、無視されるか、「お、出たな、脳内お花畑! 空想的平和主義者!!」という嘲笑と憎悪が入り混じったような反応が返ってくることが多い。もちろん、すべての「想像力」が戦争を抑止する方向に働くと言いたいわけではない。まったく逆に、戦争を支持する方向に働く「想像力」もあるからだ。それでも、戦争という愚行に向き合った表現者たちや、その志を継ごうとする者たちが作る作品と、それを受け止める私たちのあいだに、戦争を鋭く批判する力が宿ることがある。それを「想像力」と呼ぶならば、「想像力」は戦争の抑止力になりうる(ならない場合もあるので「なりうる」としておくことにする)。

作り手たちはなにもはじめから「戦争を抑止する想像力」のために作品を作るのではない。戦争に関わった人びとに思いを馳せたり、戦場を調査したりすれば、戦争を遂行する国家が人間をどのように「使い捨てる」のかを描くことになる場面が生じる。結果としてその作品には、戦争に象徴されるような「人間を人間でなくす権力」に対する批判的な力が宿るのだと言える。

とはいうものの、ここまでは、ある意味では「机上の空論」である。ほんとうの意味で、戦争を描く作家やクリエイターたちの「想像力」がすごいのは、それを多くの読者や観客に届けるための工夫を凝らしながら、作品としての質を落とさないところにある。戦争を題材にしているという理由で、どこか説教臭く、観る前から答えが出ているというような印象を持たれてしまっては、「商品」として失格だろう。別の言い方をすれば、現代の表現者たちは、一定の商業性を担保するための技術と、戦争への批判的思考を両立させているのだ。そうした作品に、人びとは拍手を惜しまない。

近年の表現でそれを感じさせてくれた作品のひとつとして、202311月に公開された映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(東映アニメーション、監督・古賀豪、脚本・吉野弘幸、原作・水木しげる)を挙げることにためらいはない。脚本もアニメーション技術もともに高く評価され、2023年の話題作のひとつとなった。202410月には再編集版が「真生版」として公開されており、これもこの作品の存在感を示している。

この映画は、戦争を描いた映画でもある。物語の舞台は1956年の山奥の村。絶大な権力を持つ旧家で連続殺人事件が起こるという横溝正史ばりの設定なのだが、ここでは主人公の「水木」という男に注目したい。彼は、陰惨で不条理な戦場が、いかに人間を破壊していくのかを目の当たりにして還ってきた復員兵だ。この男の造形が緻密である。ときおり戦争の記憶がフラッシュバックして平静を失う。異常なまでの早食い。「捨てられる前にのし上がる!」という出世への執着などは、PTSDの表現だと読むことができる。また、「大義のために死ぬ」などという大仰な言葉が、(その言葉を吐く当人を含めた)人びとの尊厳を踏みにじる様相を、そしてそれが戦争だけでなく、現代にまで続いているという苦い認識を見事に描き切った作品が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』である。

水木しげるの戦争体験と思想

筆者は2023年に刊行した『残されたものたちの戦後日本表現史』(青土社)のなかで、水木しげるの戦争体験とそこから生まれた思想とを論じたことがある。それもあって、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を興味深く観たのだが、映画とは別に、筆者が注目した水木の思想について、もう少し言いたいことがある。それを説明するために、簡単に水木の戦争体験を整理しておこう。

水木しげるは1922年に大阪で生まれ、鳥取県境港で育った。画家志望の青年だった水木にも、戦争の影が差す。水木は1942年秋に西宮で徴兵検査を受け、近視のために乙種合格。19434月に臨時招集の令状が来て、51日に鳥取連隊に入営、歩兵第121連隊に所属した。その後、南太平洋のニューブリテン島のバイエンで、水木たちは現地のゲリラの襲撃を受け、水木だけが生き残った。19445月のことである。虫の息でズンケンまで戻ったが、「なぜおまえだけ戻ってきた」となじられたという。その後、マラリアにかかって寝込んだあと、空襲で左腕を負傷。野戦病院で左腕を切断する手術を受け、生き延びた。

戦後は生活苦のなかで紙芝居と貸本漫画で活躍し、1960年代以降は大手出版社のマンガ雑誌に連載を持つ人気漫画家として成功する。貸本漫画家として戦記物を描くことはあったが、自らの体験をもとにして戦争を描くようになるのは、1970年代以降である。なかでも『総員玉砕せよ!! 聖ジョージ岬・哀歌』(講談社、1973年。現在は『総員玉砕せよ! 新装完全版』というタイトルで、講談社文庫で読むことができる)のラストシーンが名高い。

斃れた兵士の胸に去来する心情を、「ああ みんなこんな気持で死んで行ったんだなあ」「誰にみられることもなく 誰に語ることもできず......ただわすれ去られるだけ......」という言葉で水木は表現した。また、それまでのコマとは異なり、兵士の姿を迫力ある点描で表現している。水木は「屁のような人生」という言葉を遺したが、『総員玉砕せよ』を読んだあとにその言葉に触れると、達観の裏には「屁」のように死ぬことを強いられた幾多の兵士たちが貼り付いているように思えてならない。

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<水木しげる『総員玉砕せよ! 新装完全版』講談社文庫>

戦争と結びついた権力の空疎さ

さて、筆者が受け止めた水木しげるの思想のポイントは、「しない」という思想である。別の言い方をすれば、快・不快の選択があれば必ず快をとり、不快なことからはできるだけ逃げるという、自分本位の思想である。水木はよく「自分は生来のナマケモノだ」と口にした。戦争体験についても、軍隊の規律についていけなかった水木は、本人がどの程度自覚していたかは別として、消極的なサボタージュを続けているような状態だった。

ここには、暴力と距離を取り続けた水木の方法が表れている。集権的機構(あるいは集権的機構を体現するような人たち)への距離の取り方、と言い換えてもいいだろう。そのような人たちに褒められても仕方がない、むしろ異物だと思われたほうがマシだという、一種の厭戦感情・厭世感情である。「ナマケモノ」として自分を語る水木だが、軍隊のなかで、「しないこと」をし続けるという、それはそれで実は困難な道を歩んでいたと理解することもできる。

ただし、それで戦争を止めることはできない。そもそも、戦争の渦中に置かれた多くの人びとには、いますぐに戦争を終わらせる能力など備わっていなかった。そのような場合に、戦時下をどのようにして生きていくのかという問いが残る。心地よいこと以外は何もしたくない、という「積極的な消極」とでも呼ぶべき水木しげるの行為は、水木がどう考えていたかは別にして、私たちを摑んで一定の方向へと動かしていく権力全般に対する根本的な批判になり得ていたと筆者は考えている(ただし、現代においてもそれが有効かどうかはまた別の話である)。

普通の人生に即して戦争のバカバカしさを捉えるという思想は、何も水木だけに限ったことではない。意外に思われるかもしれないが、筆者は同様の思想を村上春樹にも感じる。村上春樹は、寄稿文を集めた『遠い太鼓』のなかで次のように書いている。「嵐だの洪水だの地震だの噴火だの津波だの飢饉だの癌だの痔だの累進課税だの神経痛だのとこれだけ多くの災難が人生に充ちているというのに、どうしてその上戦争まで起こさなくちゃならんのだ?」(『遠い太鼓』講談社文庫、150頁)。普通の人生からすれば戦争など迷惑でしかない、そもそも人生はやっかいな出来事だらけだということが、平易な言葉で綴られている。

権力の側からこの世界を見るという態度が、権力を持たない人間のあいだにもますます広まっているように思える。そうしたなかで、自分はひとりの小さな人間としてこの世界に存在しているという視点から、この世界を捉え返す表現者たちの実践は、私たちの認識を少し変えてくれるのではないか。

水木しげるは、反戦活動家ではないので、正面から反戦を唱えたわけではない。また、評論家ではないので、戦争と人間の関係を論理的に説明することもしない。彼が描いたのは、あくまで「自分はどのような経験をしたのか」という記憶の復元であり、その作業のなかに戦争をめぐる彼の思想が埋め込まれていた。

私たちにもよく似たところがあるのではないだろうか。正面から反戦を唱える機会はなくとも、戦争と結びついた権力の空疎さを、私たちは日常的に察知している。『鬼太郎誕生』の主人公「水木」が、因習にまみれた村の不条理に抗ったように、自分の身の回りの不条理に気がつき、それに多様な方法で抗うということ。それが、戦争と結びつく権力関係に批判的に介入する力となることを私たちは知っている。そのようにして、コンテンツの作り手のなかにも、受け手のなかにも、ひとりの卑小な人間の立場から世界と対峙している人は大勢いる。そういう人は「かっこいい」。そうした作品は「かっこいい」。それを探して、筆者はテレビをつけたり映画館に行ったりしている。

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