メディアは災害報道の「メタ知識」を提供できていたか:COVID-19関連報道の総括に向けて

橋本 純次
メディアは災害報道の「メタ知識」を提供できていたか:COVID-19関連報道の総括に向けて

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)は、情報社会のゆがみと、そこで理想的なコミュニケーションを実現することの困難を浮き彫りにした。例えばこれまでの期間、SNSやニュースサイトのコメント欄は負の感情に覆われ、とても冷静な議論ができる状況とはいえなかった。また、公権力と人々の、あるいはマスメディアと人々のコミュニケーション不全も多く指摘されており、相互の不信感がこれまで以上に深まったのが2020年以降の状況といえる。

そもそも「情報」という日本語は戦争用語の和訳を出自としており(小野, 2005)、そこには「曖昧さを減らして、行動を決めるための手がかり」としての性質や意味が付与されてきた。翻って情報社会の現在地では、人々が莫大な量の情報と無責任な情報源に晒され続けるなかで、次第に思考すること自体への忌避感を覚え、政治や社会に関心を抱かなくなってしまう状況が指摘されている(LSE, 2018)。その帰結として立ち現れるのは、メディア史研究者の佐藤卓己(2016)が指摘する「輿論の世論化」、すなわち「理性的討議に基づく公的意見」から「情緒的参加による共感」へと民主主義の中心が移行する現象であろう。

自由民主主義は教会や君主による統治への反発から生まれた政治システムであり、合理的判断のできる市民による熟議はその存立基盤であった。そこでは感情は排除すべき「悪しきもの」と捉えられていたはずだが、大量の情報に囲まれ、考えることが面倒になってしまうと、こうした「センチメンツ・ドリブンの民主的政治過程(国民感情に基づく政治的意思決定)」ともいうべき状況がますます支配的になっていくことは想像に難くないだろう。

情報社会の構造的欠陥

では、こうした状況は一人ひとりの国民が気をつければ克服できるのだろうか。残念ながらそうではない。このことを考えるには、情報社会の構造的欠陥に目を向ける必要がある。政治学者のジョディ・ディーンは、情報社会の3つの特徴を指摘する。すなわち第1に、そこではメッセージの価値と広告価値が同義であること、第2に、そこでは検索サービスやSNSの運営主体など、一握りの「アルゴリズムを作る側」に権力が集中すること、第3に、そこでは主張の内容そのものよりそれをアピールするための「パフォーマンス」の巧拙が重視されることである。

これらは、発信力に乏しい専門家・政府・自治体よりも、こうした特性をハックして強いパフォーマンスにより誘客を試みるYouTuberやまとめサイトが見られ、読まれ、場合によっては信頼される原因を端的に示している。さらに現在の情報社会では、安易に情報を入手できすぎるが故の「知性の放棄」、あるいは検索結果を偏重することによる「情報や知識が生まれる過程へのまなざしの放棄」とも呼ぶべき現象さえみられる。そうだとすると「真理と誤謬が争えば必ず前者が普及する」という「思想・言論の自由市場」の考え方は、現代の情報社会では単なる思考実験に過ぎないといわざるを得ない。
 
かくして「情報の正しさ」の価値が後退する状況、感情に支配される現代の「情報社会」が立ち現れるわけだが、人々を理性から切り離すのが外的な要因、すなわち情報社会の特性そのものであるとするならば、それは短期的に解消できる問題ではないため、受け手側を責めることは生産的とはいえない。それよりもむしろ送り手側は、こうした構造を正面から捉え、受け手が置かれる状況を把握するため努力し、信頼を勝ち取るための具体的なコミュニケーションのあり方をメディアの矜持のもと検討すべきではないだろうか。

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<図 情報社会の現在地>

出典:筆者作成

リスク・コミュニケーションと
クライシス・コミュニケーション

ここで問題となるのは、「2020年1月から今日に至るまで、COVID-19関連報道はこのような情報社会の特性を考慮できていたのか」という点である。

たとえば、政府や専門家の見通しの甘さを非難する人々において、COVID-19のような「不確実性」の高い災害では「『客観的』現実や脅威を画定することは不可能であり、絶対的な解決策を導き出すこともできない」(山口, 2009: 79-80)という考え方がどの程度共有されていただろうか。また、「行政による感染者情報の発表時刻の関係で、夕方の生放送では新規感染者数を伝えることしかできない(そのため、いわゆる「発表ジャーナリズム」のように見えてしまう)」という事実を理解していた視聴者がどれだけいただろうか。両者は、メディアや専門家にとっては所与の前提であるが、それが視聴者へ適切に伝わっていたかというと、必ずしもそうではないだろう。

これまでに述べてきたとおり、情報社会においてこうした状況を情報の受け手に帰責するのは筋違いといえる。本稿では、メディアにおける情報発信のあり方をリデザインするため、災害や科学技術に関する「リスク・コミュニケーション」の考え方を参照したい。

社会心理学者の木下冨雄(2016)はそれを「対象のもつリスクに関連する情報を、リスクに関係する人々(ステークホルダー)に対して可能な限り開示し、たがいに共考することによって、解決に導く道筋を探す思想と技術」(木下, 2016: 27)と定義づけている。ここで注目すべきはもちろん「共考」、すなわち「多様なアクターがリスク事案についてともに考える」ことの重要性である。

リスク・コミュニケーションとよく似た概念に「クライシス・コミュニケーション」がある。社会心理学者の吉川肇子(2020)は、前者が「リスクを民主的に管理する」ためのアプローチであるのに対し、後者は「パニックを抑える」ことを目的としたコミュニケーションであると指摘する。共考の思想を欠いた情報発信は、受け手の疎外感を増幅し、結果として送り手との信頼関係を毀損してしまうわけだが、COVID-19関連報道のほとんどが説得的なクライシス・コミュニケーション、言い換えれば「罹患しないための情報発信」に偏っていなかっただろうか。日本社会には欧米に比して失業率が低く自殺率が高い傾向がある。これはすなわち、国内には元々「失敗が許されない」空気がまん延していることを示唆しており、COVID-19のまん延初期にみられた「罹患は自己責任であり悪」という風潮は、こうした状況とクライシス・コミュニケーション的報道が結びついて現れたものとは考えられないだろうか。

メディアによる「メタ知識の提供」

では、リスク・コミュニケーションに基づく情報発信とはいかなるものか。この点について筆者は、「災害や科学に関するメタ知識の提供」がキーワードになると考えている。

メタ知識とは「知識のための知識」、この文脈でいえば「災害や科学に関する情報を読み解くための知識」と言い換えることができる。たとえば、①「専門知」や「エビデンス」といった概念は固定的な「結論」ではあり得ないこと、② メディアや専門家が自分たちの知見を信頼できるものと考える理由、③ 報道の内容や専門家の主張が移り変わること(非一貫性)を許容する意識といった要素がこれにあたる。

こうした考え方を共有し、わからないことはわからないと述べ、胸襟を開いた対話を実現することはリスク・コミュニケーションにとって基本的な方法のひとつであり、「共考」のための第一歩といえる。いくつかのテレビ局や新聞社、業界団体は既に特番やシンポジウム、あるいは審議会を通じてこうした場を設定してきたが、これらは全国的にみれば稀な例といえる。このような取り組みが平時から行われることは、ステークホルダーとの関係づくりに資するとともに、緊急時の信頼獲得にも繫がり得るだろう。

もちろん、こうした理想を実現するためには、それを担う科学技術・大学担当記者、あるいは災害担当記者の人材育成が必要不可欠である。コストパフォーマンスの観点から二の足を踏む向きもあるだろうが、このことは東日本大震災の際にも指摘されたことであり、いよいよ本腰を入れて取り組む時期がきたと考えるべきではないだろうか。

また、上記②や③のような要素は記者のみならず、本来は広報部門が中心となって全社的に取り組むべき事柄であることから、その点においても今後は従来とは異なる情報発信のあり方が検討されることになるだろう。

構造的欠陥を有する情報社会においてまん延したCOVID-19をめぐる状況に求められていた「張り詰めた空気を緩め、社会に寛容性を与え、リスク事案を多様な主体とともに考えるための情報発信」は、メディア業界でどの程度実現できていただろうか。メディア報道は"正しい"情報による「説得」に終始していなかっただろうか。受け手が「納得」するような情報発信ができていただろうか。

本稿が各社においていずれ訪れる「COVID-19関連報道の総括」の際に役立ち、次の災害・次のウイルスに対応するための一助となれば幸いである。

※ 本稿の一部にはJSPS科研費 21K13450による研究成果が含まれる。


【参考文献】
小野厚夫(2005)「情報という言葉を尋ねて(2)」, 『情報処理』46(5), pp.475-479.
佐藤卓己(2016)「世論調査の『よろん』とは?」, 『放送メディア研究』13, pp.25-40.
LSE(2018) 'Tackling the Information Crisis: A Policy Framework for Media System Resilience'.
Dean, J.(2010)"Blog Theory", Cambridge: Polity.
伊藤守(2019)「公共と情動的ネットワーク -コミュニケーション資本主義と触発される情動-」,『思想』1140, pp.59-81.
山口仁(2009)「ダイオキシン問題とマス・メディア報道 『不確実性』下における社会問題の構築過程に関する一考察」, 『マス・コミュニケーション研究』74, pp.76-93.
木下冨雄(2016)『リスク・コミュニケーションの思想と技術』, ナカニシヤ出版.
吉川肇子(2020)「新型コロナウイルス感染症におけるリスクコミュニケーションの問題」, 『科学』90(10), pp.869-876.
大村英昭・阪本俊生(2020)『新自殺論 自己イメージから自殺を読み解く社会学』, 青弓社.

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