今年の夏は暑かった。9月末まで、気温35℃を超える猛暑日が全国各地で続き、東京都心では30℃を超える真夏日も観測史上最多の90日に及んだ。
記録的な暑さが続いた今年の夏。外出を控え、"おうち時間"が長くなる中で、テレビをじっくり見る機会が増えた。最近は、リアルタイム視聴はもとより、「TVer」や「NHK+」を使った見逃し視聴もとても便利だ。
ようやく、3年あまり続いた新型コロナウィルスに伴うさまざまな制限がなくなり、テレビの制作現場も活気を取り戻し、見ごたえのある意欲作が相次いで放送された。テレビも熱かった今年の夏だ。
テレビドラマの挑戦
それは、海外への誤送金から始まった。返金を求めて現地に入った主人公は、テロリストが持ち出したという情報をつかみ、その行方を追う途中、タクシー運転手に砂漠の真ん中で置き去りにされる......。次々と、国境を越えたスケールの大きな物語が展開していく。
この夏、最も注目を集めたドラマ、日曜劇場『VIVANT』(TBSテレビ系)だ。堺雅人をはじめ阿部寛、役所広司ら主役級の俳優が次々と登場し、モンゴルでの長期ロケが行われた。
大草原を移動する3,000頭のヤギの群れの中を馬で逃げ回るシーン、ラクダに命を救われるシーン、車の屋根を次々と飛び越え日本大使館に駆け込むアクションシーン......。着想といい、スケール感といい、国内ロケではなかなか実現できない場面が数多く登場した。モンゴルの俳優陣の活躍も際立った。
一方で島根県奥出雲の旧家を舞台に、親子の関係がひもとかれるなど、派手なシーンとともに、心の内面の深さを感じさせる見ごたえのあるドラマだった。
このドラマは、初回放送まで積極的な番組宣伝をせず、ストーリーや役柄など具体的な内容を明かさない手法をとった。「VIVANT」「テント」「別班」など謎めいた言葉も相まって、放送開始とともにSNS等で「犯人はだれか」「次週の展開はどうなるのか」などの視聴者の謎解きが白熱し、社会的な現象となっていった。
初回の関東地区での世帯視聴率は11.5%(ビデオリサーチ)だったが、回を重ねるごとに上昇を続け、最終回には週間トップの19.6%を記録した。また、最終回を前にした第9話までの累計無料配信総再生数(TVer・TBS FREE)も4,000万回を突破したという。
リアルタイムのテレビ番組とネットの見逃し配信が、着実に相乗効果を上げ、コンテンツの魅力を広げていったのではないか。
「低予算でそこそこの視聴率」の番組が求められることが多いテレビ界の現状。
なぜ、これまでの"常識"を覆し、破格の制作費をかけた壮大なスケールのドラマが実現できたのだろうか――。ここでもネットとの相乗効果が指摘されている。制作費にはテレビの広告収入だけではなく、配信収入も想定した予算規模が検討されたと聞く。
これまで『半沢直樹』『下町ロケット』シリーズや『陸王』などの演出で実績を重ねてきた福澤克雄氏だからできたのか。福澤氏は今回、原作を手がけ、演出を担当し、オリジナルストーリーとしてドラマを作り上げた。
そのうえで、何よりもモンゴルの草原や砂漠を走り回った制作スタッフ全員の総合力だと思う。「Netflix、何するものぞ」という制作現場の気概を強く感じた。
まさに久しぶりに、テレビドラマの底力を見た気がする。
『VIVANT』はテレビの世界に新しい風を吹かせた。次に続く制作者の挑戦を期待している。
"関東大震災100年"に、放送の原点を考えた
9月1日は、関東大震災から100年。多くの関連企画や番組が放送された。その中で、NHKスペシャル『映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間』(前・後編)は、100年前の巨大地震を追体験しながら、テレビならではの手法で、地震大国日本でいまに役立つ防災の視点を提供してくれた。
関東大震災の記録映像は、これまでも何度となく見てきたが、「歴史上の出来事」としてのとらえ方にとどまっていた。番組では、残されているおよそ5時間のフィルム映像を、最新の映像技術を使って8Kで高精細な映像にし、さらにカラー化した。すると、当時のモノクロ映像では気がつかなかった、人々の表情や動き、建物の形、看板や影などのディテールが鮮明に浮かび上がってきた。
巨大地震の被災直後の混乱から、撮影した場所や時間がわからない映像が多かったが、番組では、残されていた166時間に及ぶ生存者の証言音声と重ねながら、ワンカットずつ研究者と照合していった。すると、撮影場所や太陽の影の方向から時刻が特定されていき、時間を追った被害の全貌が見えてきた。
浅草方面の火災が背後に迫る中、布団や家財道具を大八車に乗せながら行き交う人々の表情には緊迫感は見えず、中には笑顔まで見える。カラー化された映像からは、地震の揺れが一段落した後の同時多発火災に対する警戒感の薄さが実感を持って伝わってきた。
9月3日からの映像では「混乱に乗じて朝鮮人が襲ってくる」などの流言飛語、いわゆる根拠のないうわさやデマが飛び交った状況が記録されている。警視庁も全焼して機能停止。震災の混乱の中で、流言を信じた市民や軍、警察によって朝鮮半島出身の人たちが数多く殺害されるという事件が各地で起こった。日本でラジオ放送が始まる2年前の出来事だ。
9月1日に公開された映画『福田村事件』は、千葉県福田村(現在の野田市)で関東大震災の5日後に、実際に起こった惨事を描き、話題を集めた。これまで多くのドキュメンタリーを手がけてきた映画監督、作家の森達也氏による初の劇映画作品だ。
香川県からやってきた薬売りの一団が朝鮮人と間違われ、在郷軍人会などで作る村の自警団によって、幼児や妊婦を含む9人が虐殺された。大震災の混乱と不安の中で、ふだんは穏やかな村人が流言飛語に惑わされ、集団心理が加速し、暴徒化していくさまが丹念に描かれていた。
SNSを通じて、真偽不明な情報が大量に流れている100年後のいまに対する警告でもある。こうした事態をどう防ぐのか、放送が果たすべき役割は大きい。
戦争とラジオ 放送人の心構え
ロシアによるウクライナ侵攻から1年半あまりが過ぎた。依然として激しい戦闘が続き、犠牲者が増え続けている。日本はこの夏、戦後78年を迎えた。「8月ジャーナリズム」ともいわれるが、今年も数多くの終戦関連の企画や番組が放送された。78年がたっても、新たな事実が発掘される。戦争は罪深い。
8月14日に放送されたNHKスペシャル『アナウンサーたちの戦争』は、太平洋戦争で「国策の宣伝部門」に組み入れられたラジオ放送の実態を、関わったアナウンサーの実話を元にドラマ化した番組だ。NHKの前身である「社団法人日本放送協会」の負の歴史がどう描かれるのか関心を持って見た。
開戦・終戦の両方の放送に携わった和田信賢氏と館野守男氏、二人のアナウンサーを軸にドラマは展開する。大本営から開戦の第一報を和田が受け、それを館野が力強く読み、国民を熱狂させた。二人は緒戦の勝利を「言葉の力」「声の力」で力強く伝え続け、国民の戦意高揚と国威発揚を図っていった。
しかし、やがて戦況が悪化する中で、大本営発表を疑問視し始めた和田と、「国家の宣伝者」を自認する館野は、伝え方をめぐって激しく衝突。その館野もインパール作戦の最前線に派遣され、戦争の現実を自ら知ることになる。まさに「アナウンサーたちの戦争」を描いた番組だ。
アナウンサーの伝え方については、6月に出版された『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』(大森淳郎、NHK放送文化研究所著 NHK出版)に興味深い記述がある。太平洋戦争開戦前のニュースの読み方は、伝達者の主観を交えない「淡々調」が理想とされたが、開戦後は「雄叫び調」に変わっていったという。
当時の資料や証言、そして残された音源等から考察を進めていくと、「雄叫び調」は、軍から強制されたものではなく、国策の「宣伝者」として国民を戦争協力に導くために、あるべきアナウンスを模索し続けたアナウンサーたちが「主体的につくりあげたアナウンス理論」だったと大森氏は結論づけている。
放送人にとって忘れてはならない重い歴史だ。
放送とネット 求められる番組コンテンツの力
8月31日、総務省「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」で「第2次取りまとめ(案)」がまとまった。この中で、下部組織の「公共放送ワーキンググループ」は、1年近くにわたって議論を続けてきたNHKのネット活用業務について、継続的・安定的な実施が義務付けられる「必須業務」とするよう提言した。
必須業務の範囲は、「放送番組と同一の内容を基本」としつつ、国民の生命・安全に関わる緊急度の高い情報や、放送番組に密接に関連する情報・補完情報等に限定し、その旨を放送法に定性的に規定すべきとしている。
この取りまとめ案は一般からの意見募集を経て、10月18日に確定版が公表された。早ければ来年の通常国会に向けて、総務省で放送法改正案の策定が始まることになる。
では、NHKのネット業務の必須化で、視聴者にとって何がどう変わり、どんな効用があるのだろうか。具体的な姿はまだ見えない。NHKは、放送はもとより、ネット活用業務を含めた今後の"公共メディア"の全体像を視聴者に具体的に示して、理解を求めていく時期だと思う。
スマートフォンの普及とともに、情報の入手や発信、そしてコンテンツを楽しむ手段が多様化している。冒頭の『VIVANT』でも触れたが、放送とSNS、ネットをどう有機的に活用していくかが、視聴者との接点を深めることにつながる時代だ。
放送は電波を、ネットは通信を使うがいずれも情報を届ける伝送手段だ。何よりもいま視聴者から求められているのは、その手段を使って届ける中身、"番組コンテンツの力"だ。
放送が培ってきた正確な情報への信頼、多様で豊かな番組作り、こうした力をさらに高めて、視聴者にとっての放送の価値を最大化していくことが大事だ。
そのために、放送は常に新たな挑戦を続けていってほしいと願っている。
*
なお、塚田祐之の「続・メディアウォッチ」は今回で終了させていただく。雑誌『民放』で2019年に始まった連載は、今回であわせて25回を数える。長い間、お読みいただきまして、ありがとうございました。