第100回箱根駅伝中継・担当者の声(日本テレビ・アナウンス編) 「いつもどおり」を提供する

平川 健太郎
第100回箱根駅伝中継・担当者の声(日本テレビ・アナウンス編) 「いつもどおり」を提供する

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、2024年で第100回を迎えました。第1回は、1920年に東京高等師範学校(現筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校の参加でスタート。第二次世界大戦による中断もありましたが、その歴史、たすきをつないできました。青山学院大学が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした今大会も、民放はテレビが日本テレビ、ラジオは文化放送とRFラジオ日本が生中継を行いました。

民放onlineでは、連続企画として各局の担当者に第100回箱根駅伝を振り返ってもらいます。
今回の日本テレビ・アナウンス編は、放送センター実況を担当された平川健太郎アナウンサーに執筆いただきました。


入社当時のわたしには、ぼんやりとではありましたが、将来の目標がありました。それは、「箱根駅伝・第100回大会で、母校・上智大学の優勝を実況する」。残念ながら母校の箱根駅伝出場はいまだかなっていませんが、幸いなことに自分自身はアナウンサーとして中継を担当することができました。本当に、感謝しかありません。

箱根駅伝実況の信念

日本テレビが箱根駅伝の中継を始めたのが1987年の63回大会、今回が38回目の生中継になります。初回放送時のアナウンサーのシフト表を見てみると、担当アナは実況アナのサポート役のサブアナを含め計13人、今回が25人だったことを思うとかなりの少数精鋭でした。63回大会当時はアナウンサーが乗る移動車も3台のみ、まだバイクの稼働はありませんでしたし、中継所の実況も「鶴見と小田原」、「戸塚と小涌園」がなんと兼務! 電車が止まってしまったらどうしたのだろうと、いま想像してもなかなかヒヤヒヤする中での実況リレーでした。

そんな草創期の頃から、箱根駅伝実況において、アナウンサーの中でこだわり続けてきていることが何点かあります。

まずひとつは、出身地・出身高校を伝えよう、というもの。今回エントリーしたメンバーは23大学・総勢368人ですが、47都道府県で唯一、出身のランナーがいなかったのは徳島県だけでした。箱根駅伝は関東の大会ながら、実は全国からランナーが集まり、各大学で切磋琢磨しているのはご存じのとおりです。学生それぞれに故郷があり、母校があります。できるだけ出身地や出身高校に触れることで、全国各地から応援を送ってほしい、その思いを込めています。

また、なるべくコース上の地名を言う、という点も意識しています。中継所が「第1」「第2」などではなく、鶴見、戸塚、平塚、小田原と、全国的にも地名でイメージできるのは箱根駅伝くらいではないでしょうか。そのほかにも地名としては品川、横浜、川崎、藤沢、茅ヶ崎、大磯、箱根湯本――などなど、実況から東海道の旅を感じてもらえる、そんな工夫をするようにも考えています。街から海、そして山へ、これだけ壮大なロードレースは他にはありません。

そして、なるべく一度はフルネームで選手を紹介するようにしています。わたしが初めて放送センター実況を担当した91回大会、青山学院大学・原晋監督の作戦名シリーズではありませんが、「フルネーム大作戦」と銘打ち、実況の中で必ず一度は選手をフルネームで紹介しよう、と取り組みました。公式記録があるわけではないのであくまで手元の集計ですが(笑)、91回大会は出場全選手を一度はフルネームで紹介できていたと思います。いまは言えたかどうかを細かくチェックはしていませんが、すでに担当アナの中では普通の取り組みになっています。大学名だけでなく、ちゃんと選手の名前に触れるという中継開始当初からの思いは変わりません。いまはさらに踏み込んで、一度でもフルネームで触れることができれば、より温かい放送になるのでは、と思っています。

変わることなく臨む

このように、実況面でも歴史を重ね迎えた第100回、ではわれわれが今回どのように臨んだかと言えば、「いつもどおり」だったと思います。もちろん、記念のイベントや盛り上げ等はさまざまありましたが、レース中継そのものに関しては、前述の点を忘れずに臨む、これに尽きると思っていました。「いつもどおり」と言うと、せっかくの記念大会なのにずいぶん後ろ向きだな、という印象を与えてしまうかもしれませんが、大事にしてきた価値観や表現方法に自信を持って堂々とやり切ったという意味でもあります。見てくださる方々にいつもどおりの放送の流れ、いつもどおりの実況・解説の空間を提供する、100回だからと放送がレースの見せ方を変えてしまうことのないよう、取り組んできたつもりです。

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<第100回大会・大手町のスタートシーン>

箱根駅伝が他の大学駅伝と決定的に違うのは、毎年必ず、1月2日、3日に行われるという点だと思います。曜日に関係なく、毎年この2日間に行われる定着感、やはり今年も変わらずこの日に、というのはそれだけで素晴らしいですし、貴重なことだと思います。われわれも変わることなく、選手を大事に、コースを大事に、そして歴史を大事に、今年も臨みました。

さまざまな思いを

わたしはこれまで何回か、「支える仲間、見守る家族、祈りを込める卒業生」というフレーズを中継の中で使いました。1本のたすきには選手だけではない、たくさんの方々の思いが染み込んでいます。沿道のご家族、給水のチームメイトにはたくさんのストーリーがありましたし、今回10年ぶりに出場の東京農業大学は、陸上部OBに負けないくらい、応援団OBの方が箱根駅伝出場を熱望していたと聞きます。やはり卒業してもあの名物応援「大根踊り(青山ほとり)」を箱根路で見たかったのでしょう。そういったさまざまな思いを、往復2日間、お伝えしてきました。

今回をもって監督生活にピリオドを打った神奈川大学・大後栄治監督が大会前、箱根駅伝について語った時に、「100回続くものには、本質があると思います」と表現したひと言がとても印象に残りました。今後の中継においても、箱根駅伝の魅力を余すことなくお伝えしていきたいと思います。

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