1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から今年で29年。民放テレビ、ラジオ局が2024年1月17日に放送した特別番組や特集の一部を紹介する。
若手記者の「気づき」
関西テレビは今年も特番『この瞬間に祈る』(5・25―6・00)を組み、神戸市・中央区東遊園地で行われた追悼行事「阪神淡路大震災1.17のつどい」(以下、「1.17のつどい」)のほか、兵庫の東灘区・森南地区、西宮市・高木小学校、伊丹市・昆陽池公園で実施された追悼の様子を伝えた。同特番は震災の翌年の1996年から毎年放送しており、当初は地元から離れた仮設住宅などにいて追悼の場に行けない人と"時間"を共有することを目的にスタート。プロデューサーを務めた奥元伸報道部次長は特番を継続する目的を「高齢などが理由で現地に行けない人へ届けるとともに、震災を経験していない世代に震災そのものを、そして震災を忘れられない人たちがいることを知ってもらいたい」としている。制作に関わる記者やスタッフは震災を経験していない世代を中心とし、若い記者が取材の過程で得た「気づき」を大切にしたという。
特番では、中継のほか、震災で家族を亡くした被災者の想いに迫る3つの特集を放送。このうち、2015年から毎年、神戸でチャリティコンサートを開くフルート奏者の久保田裕美さん(=冒頭写真)は、音楽の道に進むことについて父親と毎日のように喧嘩していた中、父親を震災で亡くした。担当した原田笑加記者は「久保田さんは優しく明るい笑顔で接してくれたが、ときより見せる悲しい表情に、喧嘩したまま別れた父への後悔や悲しみがにじみ出ていたように感じた」と振り返り、「29年たっても心の傷が癒えない人がいることや、つらい経験をしても自分ができることを探し続けて強く生きている人がいることを伝えたかった」とコメント。奥氏は30年を迎える来年に向けて「長年取材している人たちに加え、時間の経過とともに話せるようになった人の想いも伝え、備えを進めるきっかけをいかに作っていけるか。これまでの取材などの『継続』が試される時だと考えている」と意気込んだ。
サンテレビは朝と夕方に特番を編成し、「1.17のつどい」の模様を中継した。夕方の特番『バトン1.17~震災29年 知りたい あの日 伝えたい あなたへ~』(17・00―19・30)では、①高校生や大学生で構成される「あすパ・ユース震災語り部隊」(=写真㊦)の活動や想い、②震災で兄を亡くした男性が父親の語り部活動を継ぐ様子、などを取り上げた。①では、震災を経験していない世代の中で、語り部になろうという意識が生まれていることを伝え、若い世代に「自分たちもできることがある」と思ってもらうことを目指した。②では、震災で兄を失った男性が初めて震災の体験を語った講演会を取材。兄の生きた証を残そうと長く語り部活動をしてきた父親からバトンを引き継ぐ男性の想いを伝えた。
プロデューサーを務めた社会報道部の篭谷亜美氏は「社内でも震災を経験した世代が減っており、震災報道に対する意識づけが課題になっているが、能登半島地震で現地を取材した記者たちは被災地の惨状を目の当たりにし、意識が変わったように思う。震災について、"いつか来る"ではなく、"必ず来る"という気持ちで報道を続けて防災につなげていく」とコメント。今後に向けては「震災を知らない人たちが基本的なことを学べるよう、私たちが当たり前と思っているようなことも掘り下げて丁寧に伝えたい」と展望を述べた。
<被災体験を神社の宮司から聞く学生たち>
日常的に伝え続ける
TOKYO MXは報道・情報生番組『堀潤モーニングFLAG』(6・59―8・30)のコーナー「激論サミット」で特集「発生から29年 阪神大震災の教訓を考える」を組んだ。29年前の教訓が能登半島地震にどのように活かされているか、また何が課題として残っているかを議論した。ジャーナリストの辛坊治郎氏やキャスターの伊藤聡子氏らをゲストに迎え、発災時の現場の様子や当時の報道を振り返ったほか、神戸市の復興の過程をもとに能登半島地震の現状や今後の復興、震災への備えなども考察。最後に、忘れてはいけない教訓として「自助、共助、シミュレーションが大切」(伊藤氏)、「災害は、日本列島どこでも起こり得ることを肝に銘じてほしい」(堀潤氏)などの意見があった。
同番組では節目に限らず、災害・防災を取り上げており、プロデューサーを務める報道局報道部の齋藤伊武輝氏は「自然災害は『いつ起こるか分からない』もので、被災者は絶えず災害に向き合っている。番組での議論を発信し続け、減災・防災を啓発していく」とし、「番組を通じて、災害の記憶を風化させず、どのように復興につなげるかを考えるきっかけになれば」と期待した。
1月1日から毎日、能登半島地震について現地から記者リポートを行ってきたTBSラジオ『荻上チキ・Session』(18・00―21・00)は、特集「当事者たちへの聞き取りで捉え直す阪神淡路大震災の記憶」を放送した。当事者から記憶を聞き取る「震災の記憶プロジェクト」に取り組む関西学院大学の金菱清教授と学生をゲストに迎え、「被災者」と「非被災者」の乖離について議論。学生は聞き取りを通じ、震災を経験している人とそうでない人との乖離によって、経験していない側が疎外感を感じることがあると紹介した。プロデューサーを務める野口太陽氏は「能登半島地震において、石川県内でも地震の当事者と非当事者のグラデーションが大きいと感じ、この企画は現在でも考えるべきテーマだと思った」と振り返る。
当日さまざまな追悼行事を取材したMBSラジオの亘佐和子記者が、神戸市で実施された追悼行事「1.17KOBEに灯りをinながた」の会場からリポート。当日の取材を振り返るとともに、能登半島地震について「阪神・淡路大震災から29年たっても避難所の状況は何も進歩していないという現実に打ちのめされた」と語った。野口氏は「災害について節目で報じることは継承のためには重要だが、メディアは"アリバイ的"な報道になりがちだ。どう報じればいいのか、その難しさはある」とし、「荻上さんや出演者、リスナーの指摘とともに、震災報道のあり方を考えながら、変化を恐れずに伝えていきたい」と意気込んだ。
防災・減災意識高める
ラジオ関西はレギュラー番組『モリユリのこころのメロディ』を30分から1時間に拡大し、18・00―19・00に放送した。2014年にスタートし、元気を与える言葉や歌を届けている同番組では初めての1時間放送。パーソナリティを務める福音歌手の森祐理さんは、当時大学生4年生だった弟・渉さんを震災で亡くし、その後被災地などで歌を届ける活動を続けている。森さんは震災当時を振り返り、その時の率直な想いを明かしたほか、親交のある読売新聞の元永達夫記者や元NHKアナウンサーの住田功一氏をゲストに迎えてトーク。元永記者は渉さんと面識があったことや、渉さんが読売新聞への就職が内定していたこともあり、当時の紙面に「一緒に仕事がしたかった」という見出しの記事を掲載。その時の経緯や震災への想いを語った。
番組を担当した齋藤靖典姫路支社長は「過去の出来事ではなく、現在進行形の出来事として震災について発信したいと思った」と番組の狙いを語り、「これからもリスナーに心の癒しと希望を届けるとともに、記憶を記録として刻み、今後の備えとしていきたい」とコメントした。
毎年4回の防災特別企画に取り組むラジオ大阪は、「『備え』被害を繰り返さないために~震災・風水害の歴史を未来に活かす」をテーマに、各ワイド番組で地元自治体の取り組みや備えなどを伝えた。街中を歩き、防災に関する情報をリポートする恒例企画「防災ウォーク」を今回は原田年晴アナウンサーが担当。水害に悩まされた歴史のある大阪・西淀川区の佃地域を歩き、自治会による津波避難ビルやその周知活動、市と府が進める防潮鉄扉や防災船着場などを紹介した。同局の担当者は「佃地域の取り組みを伝え、リスナーに地域防災と共助に関心を持ってもらい、備えのきっかけにしたかった」と狙いを明かす。今後については「放送で伝えた備えを、いかにリスナーに実践してもらうかが課題だ。実践してもらえるような取り組みを検討したい」とコメントした。
また、和歌山放送、京都放送、ラジオ関西とともに『関西AMラジオ4局同時ネット"あなたのそばにいつもラジオを"』(15・35―15・50)を生放送。各局のワイド番組をつなぎ、同時ネットした。災害時にいずれかの放送局の放送設備がダウンしても代替できる体制を確保することと、各局のパーソナリティがさまざまな防災の話題を届けてリスナーの防災意識を高めるために、毎年実施している。
2015年から毎年1月に災害への備えを呼びかける「1.17プロジェクト」に取り組むのはKiss FM KOBE(兵庫エフエム放送)。特番『1.17プロジェクト「減災」』(5・30―5・55)では「1.17のつどい」の中継のほか、神戸市が取り組む「防災DX」について担当者を取材した。担当者は、帰宅困難者にスマートフォンを通じて避難経路や避難所の混雑状況などを伝えるオペレーションシステムなどについて説明し、「アナログで残すものは維持しながら、デジタルで効率化できる部分は進めていく」と語った。番組ディレクターを務めた片平享伸編成・事業部長は「少子化により地域防災の担い手や行政職員の減少が想定される中、今後デジタルの力が必要になることを提起するとともに、『人と人との関わりの大切さ』を伝えたかった」と振り返る。
また、1月中は同局のサウンドクルー9人による呼びかけのスポットCMを放送。自治体の防災サイトやハザードマップ、イベント情報の紹介のほか、「減災」を呼びかける内容を届けた。片平氏は「日頃から備えることの重要さをどう伝えていくかが課題。防災だけではなく、いかに被害を減らすかという『減災』が引き続き課題となる。地域防災の担い手・行政職員の減少の問題をどう克服していくのか、自分ごととして考えていきたい」と意気込む。