放送番組センターは6月11日、公開セミナー「ラジオを楽しむ!(10) J-WAVE SELECTION GENERATION TO GENERATION~STORIES OF OKINAWA~」を横浜情報文化センターで開催した。2019 年、沖縄県の慰霊の日である6 月23 日に放送され、2020年の民放連賞ラジオ・グランプリや19年度のギャラクシー賞ラジオ部門大賞に輝いた同番組の制作背景を、出演者らとともに語り合った。
番組は、台湾で生まれて戦後に沖縄に引き揚げ、琉球放送常務や沖縄放送協会初代会長など、沖縄の放送史を体現するキャリアを歩んだ川平朝清氏に着目。当時91歳だった川平氏に息子のジョン・カビラ氏がインタビューし、戦後沖縄の放送史と川平氏の個人史を対話形式でたどった。セミナーでは番組を聴取した後、川平親子とJ-WAVEの高知尾綾子プロデューサーが登壇し、上智大の音好宏教授の進行でトークを行った。
高知尾プロデューサーは、番組を企画したきっかけを「カビラ氏の車中で耳にした、沖縄の本土復帰の日に関する親子2人の会話だった」と明かし、「言葉づかいがきれいで、親子の間で尊敬し合っていることが感じられた。自分だけ聴いていてはもったいないと思い、6 月23 日に放送枠があったためカビラ氏に番組化を相談した」と経緯を説明した。構成や演出、番組中に流れる楽曲の選定などは、カビラ氏の番組ディレクターを担当する坂本彰範氏と相談して進めた。ほぼ台本なしの収録は一日で行い、親子の壮大な会話に3時間があっという間だったという。「『えっ、そんな話もあったの』と、ブースのスタッフたちは度々顔を見合わせた」。
企画を提案された当初、川平氏は「親子の会話が番組になるのか?」と訝ったものの、「伝えたいことを伝えられるまたとない機会だと捉え、沖縄や息子と向き合った。J-WAVEの懐の深さに感謝したい」と振り返った。またカビラ氏も、「面と向かって親と3時間も話す機会はなかなかない。聞き手として切り込んでいく稀有な時間を過ごせた」と番組の意義を語った。
<川平朝清氏>
年齢を感じさせない淀みない語り口で、自身と沖縄、さらに日本とアメリカの放送史を回顧した川平氏。番組の終盤では、沖縄の今について問われ「辺野古で建設が進む基地は、普天間の代替にとどまらない『+α』の部分が大きいからこそ県民は反対している」と、米軍基地をめぐる施策への失望を語っている。この日のセミナーでも、「沖縄は良くなった。しかし、1972年の復帰の際に屋良朝苗知事が述べたとおり、期待した内実ではない。それは50年経っても変わっていない」と現在の心情を吐露した。
会場の参加者との質疑応答も行った。番組タイトルを踏まえ、世代間の継承をどう進めるべきかを問う質問にカビラ氏は、「家族一人ひとりにストーリーがあり、個人史を聞く行為自体に価値がある。若い世代は"聞いて話すこと"をぜひ実践してほしい」と呼びかけた。また、川平氏も「コミュニティの始まりはパーソナル。身の回りの人の話=オーラルヒストリーを聞いているかと投げかけたい」と応じるとともに、「この年齢なのでこれからの沖縄は若い人に任せるが、(自身が志賀信夫賞を受賞した)今年のギャラクシー賞は、琉球放送(『わした島のオーケストラ~琉球交響楽団~スペシャル!』=ラジオ部門優秀賞)、沖縄テレビ(『遺骨~声なき声をきくガマフヤー~』=テレビ部門選奨)も受賞した。皆頑張っている」と沖縄の番組制作者をたたえた。そして、セミナーの模様を配信しているサテライト会場(沖縄県立図書館)の参加者に向けて「皆頑張れよ!」と激励の声を飛ばし、満場の拍手のうちにイベントは幕を閉じた。
番組はJ-WAVEの音声配信サービス・SPINEARでディレクターズカット版を聴くことができる。