NHKはどこに向かうのか<前編> ~塚田祐之の「続・メディアウォッチ」⑩

塚田 祐之
NHKはどこに向かうのか<前編>  ~塚田祐之の「続・メディアウォッチ」⑩

NHKの新しい会長に稲葉延雄氏が125日に就任する。稲葉氏は日本銀行の理事を務めたあと、リコーの取締役会議長などを歴任した。NHK外部からの会長就任は、2008年以降連続で6人目となる。

今年は、日本でテレビ放送が始まって70年を迎える。1953年2月1日にNHKが、8月28日には民放第1号の日本テレビ放送網が本放送を開始した。

かつては"茶の間の王様"と言われたテレビだが、インターネットを軸にメディア環境が激変している。スマートフォンの普及とともに、若い世代の"テレビ離れ"がさらに進んでいる。テレビ視聴を支えている高齢世代からも「最近のテレビは見るものがない」という声をよく聞く。

同時に、SNSを通じて、だれもが自由に自分の言いたいことを匿名で発信できる時代になり、事実ではない不正確な情報やデマ、フェイクニュースも大量に流れている。

こうした中で、放送はどんな役割を果たすべきか。いま、何が求められているのか。これまで以上に、"テレビの真価"が問われている。その中で、公共放送NHKはこれからどこに向かうのか。稲葉新体制が解決すべき直面する課題は山積している。

前編ではまず、外部の企業経営者が会長に就任し、NHKの何がどう変わっていったのか、私が直接関わった2人の会長の時代を振り返りたい。

そこには、NHKが直面していた課題解決のために、現場の意見にきちんと耳を傾け、企業経営で培った自らの経験を生かし、視聴者視点に立って公共放送の価値向上を図ろうとした明確な姿が浮かび上がってくると思う。

企業経営者がNHK会長に就任した日

15年前の出来事を私はいまも鮮明に記憶している。2008年にアサヒビール元会長の福地茂雄氏がNHK会長に就任する時のことだ。

当時、NHKは不祥事が相次いで発覚し、視聴者からの厳しい批判が相次いでいた。受信料の支払拒否・保留が一時は128万件にのぼり、支払率も60%台にまで落ち、半年間で約400億円が減収する事態に陥っていた。

福地氏の会長就任直前にも、職員が放送前の情報をもとに行った株のインサイダー取引が発覚。視聴者から厳しい意見が寄せられていた。そうした渦中、福地氏は就任直前の日曜日に千代田放送会館に現れ、これから視聴者コールセンターに行って、寄せられた視聴者の声を直接現場で把握したいと向かった。

福地会長は就任直後、お客様目線に立つ「視聴者第一主義」を基本方針として掲げた。消費者のニーズに常に向きあってきたビール会社の"経営者としての顔"が垣間見られた。

当時のNHKでは、それまで19年続いたプロパーの会長から、外部の企業経営者に変わったことで、経費の大幅削減を求める「コストカッターがやってくるのではないか」と強い警戒感を持って受け止められていた。

福地会長は職員を前にして、「番組の質にかかわるコストカットはしない」と、いきなり明言した。現場主義を貫き、『おはよう日本』『あさイチ』をはじめ、番組放送中のスタジオや各部局の職場を予告なしで次々と訪れた。生放送の番組に飛び入り出演したこともあった。職員と率直に言葉を交わしながら、現場の実態を自らの実感としてつかもうとしていたと思う。

全国に53ある地域放送局のすべてを回り、職員対話を続けた。出された意見の中で「なるほど」と思った提案を積極的に取り入れようとも務めていた。

こうした中で当初の局内の警戒感は薄らぎ、不祥事への批判にさらされ続け、モチベーションが低下していた多くの職員に、新たな活力を生んでいった。

その結果、一時は大幅な減収に陥っていた受信料収入も、役職員あげての信頼回復活動を進め、福地会長時代に不祥事発覚前の水準にまで回復させることができた。それまでには、7年という長い年月を要した。

「視聴者第一主義」をどう実現するか

2010年、大相撲は野球賭博問題で揺れた。NHKも、7月場所(名古屋)の中継をめぐって対応を迫られる事態となった。視聴者から連日、厳しい意見が寄せられ、大相撲中継を放送するのか、やめるのか、福地会長を中心に役員あげて検討を重ねた。

その結果、「力士らの野球賭博は暴力団の関与も指摘されるなど、極めて重大、遺憾な事態で視聴者の理解が得られない」との判断に至り、福地会長は「公共放送としてきちんと筋を通そう」と中継放送をやめる決断をした。そのうえで、福地会長は「中継を楽しみにしていた相撲ファンに、なんとか応える方策はないか」「たとえば、大相撲が終わった直後の午後6時台に、幕内の取組だけでもダイジェストとして放送できないものか」と発言した。

しかし、夕方6時台は地域ごとのニュース情報番組の放送時間であり、しかも、取組終了直後の編集作業や追っかけ再生は、当時の放送機材ではリスクが大きい。私は、それまでの"NHKの常識"だったら、中継しないと決めれば、その直後のダイジェスト番組の放送実施にまで至らなかったのではないかといまでも思っている。

福地会長の「公共放送としての筋の通し方」と「視聴者第一主義へのこだわり」を強く感じた瞬間でもあった。

2011年1月。福地会長が退任する日の夜。放送センターの正面玄関は、自然発生的に集まった大勢の職員で溢れ、大きな拍手が鳴り響いた。それまでのNHK会長の退任時には見られなかった光景だった。福地会長はNHKに"新しい風"を吹き込んだ。

東日本大震災を経験して...

続いて外部の企業経営者から2人目となる松本正之氏がNHK会長に就任した。松本氏は、JR東海(東海旅客鉄道)の社長、副会長を歴任し、旧「国鉄」時代には職員局雇用対策室長や新幹線総局総務部長などを務め、国鉄の分割民営化に大きな役割を果たした。

松本氏は、福地会長の後任人事をめぐって経営委員会の混乱が続いたため、決定からわずか10日後の会長就任となった。

それから1カ月半後。2011年3月11日にマグニチュード9.0の巨大地震、東日本大震災が発生した。大地震、直後の大津波や、その後の福島第一原子力発電所の事故等で、東北3県を中心に2万2,000人を超える死者、行方不明者、震災関連死が出る甚大な被害を受けた。NHKは総力をあげて、震災報道に取り組み続けた。

私は地震発生時に会長室で、松本会長と打ち合わせをしていた。放送センターが激しく揺れ、壁から額が落ち、もしや首都圏直下地震かと感じたほどだった。すぐさま松本会長から「放送は大丈夫か」と聞かれた。この時の、"厳しい顔"がいまも記憶に焼き付いている。長年、乗客の安全を第一に考え、公共的な社会インフラである新幹線、鉄道の運行を担ってきた経営者の顔だと感じた。

万が一、東京から放送が出せなくなった時の備えを万全にするため、すぐに緊急時の機能強化の検討が始まった。大阪局のニュース送出設備や体制の整備を進めるなど、全国で情報を途切れさせないための機能強化が最優先課題となった。

しかし当時、経営委員会では受信料の10%還元を巡って議論が続いており、「還元とは受信料の値下げだ」という意向が強かった。一方で、東日本大震災の経験から放送の機能強化が不可欠で、その財源が必要だった。

松本会長は経営委員会と粘り強い交渉を続けた。その結果、10%還元のうち約7%を受信料の値下げにあて、約3%を放送の機能強化に振り向けることでようやく合意ができ、2012年度からの3カ年経営計画がまとまった。

松本会長は政治に翻弄された国鉄での経験から、公共放送NHKのすべてのよりどころは「放送法」だとして、原点に立ち返った業務運営を進めた。

NHKでは業務の拡大が年々続く一方、国会審議等を通じて職員数や給与費の削減が繰り返し求められ、業務量と要員のアンバランスな状況が長く続いていた。その状況を改善しようと、業務の一つひとつを公共放送として必要なものかどうか棚卸しを行って、要員を再配置するなど、活力ある組織作りや人事改革に精力的に取り組んだ。

こうした大きな経営課題の検討にあたり、松本会長は"全員野球"で進めた。役員が全員出席する経営会議を開き、集められたデータや情報等を共有。そのうえで議論を深めて結論を出すという経営手法を貫いていた。

2014年1月、松本会長も1期で退任。再び正面玄関に、自然発生的に集まった大勢の職員の見送りを受け、松本会長は放送センターを後にした。

次回の後編では、稲葉新会長の就任でNHKはどこに向かうのか、いま直面している課題について考えたい。

最新記事