インターネットを軸にメディア環境が激変する中、これからの放送はどんな役割を果たすべきか。いま、何が求められているのか。テレビ放送開始から70年、これまで以上に"テレビの真価"が問われている。山積する課題を前に1月25日、NHKの新しい会長に稲葉延雄氏が就任した。
就任の記者会見で、稲葉新会長は「私の役割は、改革の検証と発展です。第一に、特に人材活用の見地から、重要な人事制度改革については、私の目から見て検証、見直しを行っていきたい。第二に、収支の均衡が表面的に実現したとしても、それによってコンテンツの質や量が落ち込むことがあっては本末転倒。デジタル技術を活用して質量ともに豊富に提供していく。これは経営改革の第2弾、本丸として探っていく」などと所信を述べた。
稲葉新体制で、公共放送NHKはどこに向かうのか。
前編では、外部の企業経営者の会長就任で、NHKの何がどう変わっていったのか、私が直接関わった2人の会長の時代を振り返った。後編では、公共放送NHKがいま直面している課題を考えたい。
"三位一体改革"が求められ続けた7年
NHKの業務・受信料・ガバナンスの三位一体の改革が求められたのは、2016年9月の総務省「放送を巡る諸課題に関する検討会」の「第一次取りまとめ」からだと記憶している。
「インターネット時代におけるNHKの在り方」が定義され、インターネット活用業務のより一層の推進とともに、既存業務の合理化・効率化、その利益を国民・視聴者へ適切に還元、ガバナンスの改善と経営の透明性確保の三つが相互に密接不可分であり、一体的な改革の推進が必要だとされた。
いずれも受信料を財源とする公共放送として大事な改革であるが、私はそれぞれの立場によって"重点の置き方"に違いがあると感じてきた。
政府や自民党などからは、とりわけ"受信料の値下げ"が繰り返し求められている。昨年10月、NHKは3カ年経営計画の修正案を決め、地上・衛星契約とも受信料の1割の値下げを今年10月から行う方針を発表した。
当時の寺田稔総務大臣は記者会見で、受信料の値下げについて「これで打ち止めとは考えていない」と発言。今後も、三位一体の改革を継続的かつ不断に実施しなければならないと答えた。
受信料値下げについては、2006年に発足した第1次安倍内閣で菅義偉総務大臣が「受信料を義務化すれば、2割下げられる」と発言して以来、NHKの経営計画策定のたびに議論が続いてきた。受信料の値下げは、今回の方針が実施されれば12年以降4回目(19年10月の消費増税分の実質値下げを含む)となる。
また、新聞や放送などのメディア業界からは、公共放送NHKの業務範囲や規模を問う指摘が続いてきた。とりわけNHKのインターネット業務の拡大が、NHKの肥大化や民業圧迫につながりかねないとの批判が強い。
日本新聞協会のメディア開発委員会は「NHKが、巨額の受信料を財源にインターネット業務を際限なく拡大していけば、新聞をはじめ民間メディアとの公正競争が阻害され、言論の多様性やメディアの多元性が損なわれかねない」との意見を表明している。
一方でNHKは今月、経営委員会で現行の経営計画の修正議決を受けた際、前田晃伸前会長は「三位一体改革の総仕上げとして、受信料の1割値下げなどを実施する」旨のコメントを出した。しかし、NHKの業務のあり方を巡ってはいまも、総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」に設けられた「公共放送ワーキンググループ」で議論が続いており、三位一体改革の"総仕上げ"という状況にはなっていない。
"三位一体の改革"がNHKに求められて7年になる。いまNHKがみずから、標榜する"公共メディア"のこれからの全体像、グランドデザインを、視聴者が具体的にイメージできる形で示して理解を求めていくべき時ではないか。
"公共メディア"としての役割は
NHKが今月、総務大臣に提出した「2023年度(令和5年度)収支予算と事業計画」では、受信料の1割値下げとともに、衛星波の1波削減を盛り込んでいる。今年12月の番組改定で、「新BS2K(仮称)」と「新BS4K(仮称)」をスタートさせ、来年3月末には2Kの1波を停波し、保有メディアを削減するというものだ。
しかし、4Kテレビの普及が進んでいるとはいえ、まだまだ2Kテレビ受信機の視聴者が多い。チャンネルが減ることで、放送サービスの大幅な低下につながらないかという懸念がある。「新BS2K」は、どんな魅力ある番組や編成を展開してくれるのか、視聴者にはまだ具体的な姿が見えない。
同時にBSの4Kは、民放もチャンネルを保有しているが、まだまだ放送プラットフォームとしての存在感が薄い。「新BS4K」は新たなけん引力になりうるのか。
さらに、東京オリンピック・パラリンピック後にあり方を検討するとしてきた「BS8K」の今後や、2025年度に検討するとしたラジオ(音声波)のAM1波・FM1波への削減などの課題が控えている。
視聴者が、情報の社会的基盤として"公共メディア"に何を求めているのか。その内容と規模はどうあるべきか。いま必要なのは、受信料値下げありきの議論ではなく、公共メディアのグランドデザインだと思う。
そのためにもNHKみずからが、基幹放送である地上テレビの総合、Eテレや、インターネット展開を含めた放送サービス全体を、視聴者視点に立って総合的に見直し、位置づけ直すことから始まるのではないか。
ネットサービスに何が求められているか
メディア環境はいま、インターネットを軸に激変している。スマートフォンの普及とともに若い世代のテレビ離れがさらに進んでいる。NHK放送文化研究所の最新の調査によれば、平日にテレビをほとんど見ないと答えた高校生が37.6%、中学生が25.0%に及んでいる。
ネット情報には、SNSを中心に事実ではない不正確な情報やデマ、フェイクニュースが大量に流れている現実がある。こうした中で、公共メディアとしてどう役割を果たしていくのか。
ネットの世界はサービスの新陳代謝が激しい。常にアップデートが求められる。同時に、既存のマスメディアばかりでなく、だれもがすぐに参入できる開かれた競争の世界だ。アプリを使うかどうかも、利用者の選択に委ねられており、ニーズも刻々と変わる。
動画配信サイトのNetflixは、年間数兆円といわれる巨額の制作費を投入し、グローバル展開でコンテンツ勝負をしている。情報という点では、日本でもNews Picksをはじめオンラインメディアの存在感が高まっている。
こうした状況の中で、NHKのインターネット業務を巡って、これまでのような、あらかじめさまざまな制限を設ける議論では対応できなくなるのではと私は考えている。
他方、NHKの業務は放送受信料が財源であることから、インターネット業務に使える予算は、おのずと限られていることは言うまでもない。視聴者、利用者にとって真に役に立つコンテンツとは何か。公共メディアとしての役割を突き詰めて説明していく必要があると思う。
仮に"民業圧迫"というような事態が起きた場合は、具体的な事実やデータを踏まえ、当事者間で解決していく仕組みを作るなど、ネット時代にふさわしい議論が望まれる。
財源としての受信料収入と公平負担
私はNHKで、「営業」と呼ばれる受信料の収納業務や、受信料の公平負担を図る「支払率向上」のための業務に、担当役員として携わったことがある。
その経験から気になっているのが、受信契約総数の減少だ。今年度予算では当初、年間10万件の減と想定していたが、今年度末の見込みでは43万件の減となり、想定の4倍以上の契約総数の減少となっている。さらに来年度予算では、58万件の減を見込んでいる。
これは、前田前会長が進めた改革の一つ、「営業経費の構造改革」に伴う要因が大きい。受信料の収納業務にかかる経費を削減するため、これまでの「巡回訪問営業」から、「訪問によらない営業活動」へと業務モデルを大きく転換した。
それに伴って、訪問営業に携わっていた法人委託も来年度中に終了する計画だ。すでに、放送を使った理解促進活動を通じて、インターネットでの届け出を進めるなど、訪問によらない体制への全面的な移行が始まり、その影響で契約総数の減少が続いている。受信料の公平負担のバロメーターともいえる「支払率」も、今年度予算では81%とされていたが、今年度末では78%と見込まれ、8割を下回る状況となっている。
公共メディアを安定的に維持発展させていくためには、受信料の収入確保と公平負担が欠かせない。受信料の1割値下げに伴う減収に加え、急激な改革による余波の中で、財源をどう確保していくのかが差し迫った課題となっている。
経営委員長が"ひずみ"と指摘した人事改革
「人事のひずみ」。森下俊三NHK経営委員長は、稲葉新会長を選出した昨年12月の記者会見で、前田前会長の人事改革についてこう表現した。
さらに具体的に「若手を抜てきした非常にいい面もあるわけですけれども、逆にそれに合わない人がいたりして、必ずしも組織全体ですべてがうまくいっていると評価されていない。これは監査委員会の評価もそうですが、直すべきところは直すべきじゃないか」と発言した。経営委員長が執行部の「改革のひずみ」を記者会見で指摘し、「直すべきだ」と発言したのは異例なことだと思う。
前田前会長は、「組織の機能を最大限発揮するための"人財"改革の推進」を掲げ、40歳代の職員を公募で選考し、地域放送局の局長に抜てきするなど、全面的な人事制度の見直しや組織改革を行った。
その半面、これまで長年公共放送を支えてきた50代以上の職員のモチベーションが下がっているという声や、20代、30代の若手職員をはじめ、早期退職の増加がこれまでよりも目立っていると聞く。
放送は組織力、チーム力が欠かせない。急激な改革によって、組織全体にひずみが生じてはいないか。経営委員長の発言も踏まえ、この機会に現場の状況を正確に把握して組織全体の点検を行い、これからの公共メディアの活力につなげていくことが喫緊の課題だと考える。
NHKは来週2月1日で、テレビ放送開始から70年を迎える。ネットを軸にメディア環境が激変している中にあっても、テレビの「メディア信頼度」は、各種の世論調査の多くで60%を超えている。
公共メディアとして、この視聴者の信頼にどう応え、どう責任を果たしていくのか。山積する課題を前に、稲葉新体制のこれからを注視している。
NHKはどこに向かうのか。