【onlineレビュー】他者との新たな関係性構築に向けて 田中東子著『オタク文化とフェミニズム』を読んで

香月 孝史
【onlineレビュー】他者との新たな関係性構築に向けて 田中東子著『オタク文化とフェミニズム』を読んで

『オタク文化とフェミニズム』は、メディア文化論やフェミニズム、カルチュラル・スタディーズを専門とする田中東子(東京大学大学院情報学環教授)の論考集である。田中は書名に関して、「『オタク文化』と『フェミニズム』の相性の『良さ』と『悪さ』を、タイトルとして同時に示したかった」と述べている。すなわち、本書が捉えようとする「オタク文化」が、規範的な女性性から逃れるための逃走線として重要な意味をもつ一方、逃走したその先で今度は過剰なまでの男性性の消費を行ってしまうような、両義的な性格が念頭に置かれている。

「オタク」という言葉はきわめて広範なジャンルを横断し、語り手や文脈によって性質が大きく変動する単語である。そこで、あらためて確認すれば、本書が特にフォーカスするのは、アイドルなど生身の人格を享受対象とするジャンルにまつわる「オタク文化」だ。実在の人間である演者に対して常にまなざしが向けられ、そのパーソナリティが際限なく受容されるようなジャンルゆえの可能性と困難が、本書では多面的に記述されていく。

元々は、時期もテーマも異なる雑誌や書籍への寄稿を集めた本書だが、それだけに田中が「オタク文化」に一面的な評価を下すのではなく、その両義的な性格の双方を捉えて整理しようとする姿勢の一貫性も浮かび上がる。

男性アイドルや若手男性俳優などを射程に、消費主体/客体の転覆を議題にした第7章では、それまで社会のなかで商品化され客体として置かれ続けてきた女性たちが、消費する主体として自己決定権をもち、著しい不均衡から脱出する契機が観察される。しかし、それは同時に、彼女たちが消費行動に駆り立てられ、提供される商品への隷属化に導かれることと裏表でもある。

他方、本書でほぼ唯一、生身の人格を享受対象としないジャンルに言及した第10章では、「男同士の愛の物語を書く」同人活動が内包する、複雑な意味合いを解きほぐしてみせる。それは、既存の「女らしさ」から逃れるいとなみである一方、その志向が規範的な女らしさに従順な女性たちへの蔑みにもつながりうることを、田中は率直に省みる。また、それは主流の文化表象によって押しつけられる異性愛規範から逃れるためのすべであると同時に、同性愛のイメージを好き勝手に表象し、意味づける振る舞いにもなってしまうのだ。

このように、田中はファン活動が必然的に含み込んだ両義性について、複数の視点から繰り返し具体的に記述する。なんらかのジャンルをファンとして享受しつつも、どこかでアンビバレントな悩ましさを抱える人々にとって、本書は自分なりの言葉でその葛藤を整理し直すための導きになるだろう。

重要なのは、「オタク文化」のうちにあるこうした隘路をクリティカルに示しながらも、田中が特定のジャンルやファンに対する安直な否定からは距離を置こうとしている点だ。

「推し活」という言葉によってオタクの消費活動がメディア上で注目され、マーケティングの論理に絡め取られていくさまを概観する第3章では、生活時間が推し活に占められ、オタク当人が公共の問題に関心をもつ余裕さえなくなっていく様子が記述される。そのうえで、章の最後に紹介されるのは、そもそも普段それほど政治問題などを意識しないが、推し活によって「経済を回す」ことについては、社会貢献と解釈してポジティブに自認するようなオタクの存在である。同章の議論の展開からすれば、そのようなスタンスに対して俯瞰的な批判を差し向けることはたやすい。しかし田中は、オタク文化を生きるそうした個人のあり方について、一段高い場所から非難することをきっぱりと拒否してみせる。オタクそれぞれの切実な生活実感を尊重し包摂しながら、それでもなおベターな方向に向かうための言葉を探し、もがき続けようとする。

あるいは、旧ジャニーズ事務所の元社長である故・ジャニー喜多川による性加害問題を扱った第6章では、ながらく問題を黙認してきた放送メディア等の姿勢も問われる。この1年あまり、各放送局が同事務所と自局との関係について検証し、その結果を調査報告書や報道番組として発表してきた。もちろん、そうした一時の総括で何かが解決するものではなく、未来に向けた継続的な姿勢こそが肝要になることを考えれば、問題の整理を行った同論考が単に時評として流れていくのでなく、あらためて書籍に載録されることには大きな意義がある。

この章では、一部のファンが事件の被害者への誹謗中傷を繰り返したり、事務所が起こした問題そのものを捏造だとして否定したりする、SNS上の暴走にも言及している。だが、ここでも田中は、そうした暴走に至るオタク個々人を「ファン文化に帰属する女性たちの愚かさ」として切り捨てる言説に対して明確に抗い、人々の諍いを資本へと転化するSNSプラットフォームが生み出す問題として問い直そうとする。

各章終盤でたびたびみられる田中のこうした姿勢は、異なる属性、立場にある人々同士をともすれば「友/敵」の二項対立に落とし込んでしまうような、今日のメディア環境のそこかしこに埋め込まれた罠への抵抗といえよう。一見、相容れない他者との不幸な対立や分断へと陥るのではなく構造的な問題性を捉え、他者との新しい関係を模索しようとする希望を、田中は決して手放さない。

田中は自らが通ってきたジャンルを詳細に整理する一方で、自身の専門外のジャンルの愛好者たちにも言葉を紡ぐよう促す。実際、本書を読み進めるうち、自らの好きな分野がもつ可能性や意義、あるいは温存されている構造的問題について、語りたくなる人も少なくないはずだ。そのようにして新たに生まれていくはずの、葛藤を抱え込んだ言葉たちもまた、異質な他者と対立するためではなく、相互を理解し、同じ方向を向くためにこそ紡がれてほしい。


オタク文化とフェミニズム
田中東子著 青土社 2024年9月24日発売 2,420円(税込)
四六判/245ページ ISBN:978-4-7917-7674-0

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