「復興のシンボルとなるヒーローを誕生させたいんです!」そう言った時の皆のキョトンとした顔が忘れられません。東日本大震災からひと月も経たない2011年4月上旬のことでした。制作部と営業部が集まり、震災関連の番組企画についての会議が開かれた席上でのワンシーンです。「そういう企画は平時に考えましょうか」と華麗にスルーされ、取りつく島もなし。1回目のプレゼンは大惨敗に終わりました。あの時、諦めていたら岩手のローカルヒーロー、鉄神(てつじん)ガンライザー(=写真㊤)は誕生しなかったかもしれません。
三陸沿岸の被災地に泊まり込みで取材した2週間。瓦礫の山に囲まれた地で私が一番気になったのは「子どもたちの心のケア」という問題でした。近しい人が誰かしら亡くなり、テレビはもちろん電気すらない避難所で暮らす息の詰まるような毎日......。子どもたちは漫画を読み、トランプや折り紙で遊んでいました。そういうことでもしなければ、きっと心の平静を保てなかったのだと思います。入社以来、テレビ岩手で番組制作の仕事に携わってきた私はエンターテインメントの存在価値に初めて気づかされた気がしました。子どもたちを笑顔にしたい、前に進む勇気と元気を与えたい。だからこそニューヒーローは2011年に誕生しなければ、という強い想いがありました。三度目の正直でガンライザーの企画がようやく通った時は6月になっていました。
<震災直後の陸前高田市の様子(筆者撮影)>
ガンライザーの造形は秋田のローカルヒーローとしてすでに人気を得ていた超神ネイガーを誕生させた海老名保氏に依頼しました。「岩手に再び朝日が昇るように、という意味でガン(岩)とサンライズ(日の出)を組み合わせて命名したんです」と伝えると、額に大きな太陽が輝くデザインになりました。そして、両肩には岩手の特産品である南部鉄瓶、背中には大きく「岩」の字があしらわれました。8月には出演者オーディションを開催し、演技経験のない新人キャストを3人選びました。スタッフの誰一人としてドラマを製作した経験がなく、言わば見よう見まねで脚本を書き、カット割りをして演出し、劇中の音楽を作曲しました。そうしてゼロから新しい作品を創ることが津波で全てを失った沿岸部の被災地に勇気を与えることになると考えたのです。こうして「鉄神ガンライザー」は2011年10月に放送がスタートしました。
しかし、高い理想のもと、スタッフ一同意気揚々と取り組んだガンライザーは初めから岩手の人々に受け入れられたわけではありません。岩手初の特撮ヒーロー番組、という触れ込みによる期待値も高かったのだと思います。SNSでは新人キャストの初々しい演技は稚拙と捉えられ、ストーリーもアクションシーンも音楽も全て批判の対象となりました。「岩手の恥」という書き込みを見た時には心底悲しい気持ちになったことを覚えています。世帯視聴率も3%台と低迷しました。初めはうまくいかなくてもいい、だんだん成長していけばいい。スタッフやキャストにはそう言い続けていましたが、内心焦りもありました。それでも頑張り続けることができたのはイベント会場で飛び交う子どもたちの大きな声援のおかげだったと思います。
風向きが変わったと感じたのはシリーズ第4作を放送した2014年です。新ヒーロー・鉄神ガンライザーNEOを誕生させ、東京の第一線で活躍する及川拓郎監督や撮影スタッフを岩手に招きました。主演は岩手出身の俳優・鈴木裕樹さんが務め、片桐仁さんなどプロの俳優がずらりと顔を揃える形にリニューアル。当然のことながらクオリティは格段に上がり、SNSでの批判の声もピタリとやみました。17年には3人目のヒーローとなる鉄神ガンライザー零(ゼロ)が誕生。モデルやアイドルとして活動していた志田友美さんが主演したことも大きな話題となりました。それは更地となった岩手の被災地に次々と新しい建物が建ち始めた時期でもありました。
<2014年放送「鉄神ガンライザーNEO」のワンシーン>
東京からプロの監督や俳優を招いたことは、地元のスタッフやキャストにとって良い刺激になりました。それまで手探りだったことの答えが分かったようなものです。さまざまなノウハウを手に入れ、演出力も演技力も大きく向上することができました。そうなると今度はガンライザーの良さ、岩手の良さを多くの人にも知ってもらいたい、と思うようになります。18年には舞台を東北6県に拡大し、福島県のダルライザーなど各地のローカルヒーローと共演しました。岩手県内での人気と知名度も上がり、19年度に行われた握手会とキャラクターショーの数は80回以上。過去最高を記録しました。
<2018年のキャラクターショーの様子>
ところが「好事魔多し」とはまさにこのこと。2020年に感染が拡大した新型コロナウイルスの影響でイベントは激減。10年半続いた番組は21年度の視聴率が最も高い状態でしたが今年3月で終了しました。SNSを通じて番組終了を惜しむ声がたくさん届き、ガンライザーのことを「岩手の誇り」と称したメッセージを見つけた時には本当に胸が熱くなりました。「もしコロナがなかったら......」と思う時もありますが、10年という月日は小学生だった子どもが一人前のオトナに成長するほどの時間です。元気と笑顔を与えたい、と願った子どもたちの心の中でガンライザーがこれからも生き続けてくれたら、こんなにうれしいことはありません。
<歴代ガンライザーが勢揃いした場面>