参院選を前に青少年と子どもの目線を大事にした報道について考える~「子どもとメディア⑤」

加藤 理
参院選を前に青少年と子どもの目線を大事にした報道について考える~「子どもとメディア⑤」

2022年4月1日から、成年年齢が20歳から18歳に引き下げられた。今回の民法の改正は、明治時代から今日まで、約140年間変わる事のなかった成年年齢を変える歴史的な出来事だった。すでに公職選挙法の選挙権年齢や憲法改正国民投票の投票年齢は18歳に引き下げられていたが、今回の改正によって、18歳からのクレジットカードの作成や、一人暮らしのための部屋の契約もできるようになったほか、大学や就職の進路も親の同意を得ることなく決めることができるようになった。成年年齢の引き下げによって、18歳から父母の親権に服さなくなったのである。そして、自らの意思と判断でさまざまなことがらを決定することができる一方で、その行動に付随する責任も負わなくてはならなくなった。これらのことから明らかなように、成年年齢の引き下げは、18歳と19歳の生活に大きな影響を及ぼすエポックメイキングなできごとなのである。 

これほど大きな変化であるにもかかわらず、当該者である18歳と19歳は驚くほど関心が低い。大学1年生と2年生の多くは今回の民法改正の当該者ということになるが、筆者のまわりの大学生の中で、自分たちの問題として成年年齢の引き下げをとらえている学生は少ない。

ただし、学生たちが社会的出来事に無関心かといえば、決してそうではない。筆者が勤務する大学の学生は、ほとんどが教員志望の学生たちだが、最近では、和歌山県の高校の給与未払いによる教員たちのストライキや、熊本県の高校サッカー部での体罰事件などについて、講義の中で学生たちから見解を求められ、みんなで討論する機会を持った。文科省が昨年2月に始めた「#教師のバトン」プロジェクトについては、多くの学生が非常に高い関心を示していた。報道から広範囲に情報を集め、一人ひとりがしっかりとした自分なりの見解を有していた。これらの事例からわかるように、自分たちに関わりがある身近な問題だと感じさえすれば、学生たちは高い関心を示すのである。

現在、未成年者の権利と福祉に関して国際的に締結されている条約は、1989年の国連総会で採択された「児童の権利に関する条約」である。この条約では、第17条に「締約国は、大衆媒体(マス・メディア)の果たす重要な機能を認め、児童が国の内外の多様な情報源からの情報及び資料、特に児童の社会面、精神面及び道徳面の福祉並びに心身の健康の促進を目的とした情報及び資料を利用することができることを確保する」という条文を掲げている。第17条を保障するために、「児童にとって社会面及び文化面において有益であり、かつ、第29条(児童の教育が指向すべきこと)の精神に沿う情報及び資料を大衆媒体(マス・メディア)が普及させるよう奨励する」ことも条文は求めている。

日本は1994年4月22日に国会でこの条約に批准した締約国の一つだが、日本のマス・メディアが子どもや成年年齢前後の青少年を意識して発信している情報は十分とは言えない。新聞では、「毎日小学生新聞」「朝日小学生新聞」「読売KODOMO新聞」をはじめとして、中高生向けの「朝日中高生新聞」「15歳のニュース」などさまざまな情報発信がなされている。地方紙も意欲的である。「道新こども新聞」「宮古毎日こども新聞」など、北海道から沖縄まで各社から70紙ほどの子ども新聞が発行されている。子ども記者が情報を集めて発信する「西日本新聞こどもタイムズ」という意欲的な取り組みもある。「西日本新聞こどもタイムズ」は、子どもの社会参画を促進し、報道の中で子どもの目線を大事にしようとするきわめて意義深い取り組みである。 

新聞各社が子ども向けの情報発信に取り組んでいる一方で、テレビ各局の取り組みは弱いと言わざるを得ない。NHKの『週刊こどもニュース』が201012月に放送終了してから、明確に子どもを対象としたニュース番組は存在しない。わずかに、NHKが「NEWS WEB EASY」というウェブサイトを運営し、15記事配信し、子どもに向けた情報発信を続けている。民放各局も子ども向けの情報発信について取り組む必要は感じているのだろうが、『おしえて!四千頭身』(北陸朝日放送)や『つながる絵本 for SDGs』(BS朝日)のような番組はあるものの、あまり見受けられない。

この夏、参議院議員選挙が実施される。昨年の1031日に投開票が行われた衆議院議員選挙では、18歳の投票率は51.14%19歳の投票率は35.04%だったことが報告されている。18歳と19歳の投票率は前回から2.52%アップしたものの、全体の投票率55.93%と比べると12.92%下回っている。この年代の投票率を上げることは、多様な年代の声を反映した社会を構築していくうえでも重要な意味を持つ。参議院議員選挙に向け、投票権を有する年齢に達した青少年が社会的な問題に関心を寄せるためには、これまでの報道と情報発信のあり方とその内容を見直す必要があるのではないか。

民放各局によって長時間放送される報道番組ではさまざまな話題が取り上げられ、国政選挙が近づくと選挙関連の特集も組まれるようになる。だが、それらの報道の中で、子どもや青少年の関心や心に"寄り添う"報道はどれくらい意識されているだろう。先にも述べたように、大学生たちが社会的なできごとに対して無関心というわけではない。関心のあるできごとに対して自分たちで情報を集め、自分なりの意見をまとめる力も持っている。青少年が社会的なできごとに無関心であるように見えたり、投票率が低かったりするのは、自分たちにとって身近な問題で、自分ごととしてとらえることのできる問題の存在を知る機会が乏しいことも一因ではないだろうか。

たとえば、SDGsに関する報道では、子どもや青少年が自分ごととして考えるきっかけを得ることができるような、彼らに寄り添った情報と話題の提供はどれくらいあるだろうか。SDGsを「総合的学習の時間」で取り上げる中学や高校も多い。その中では、2020年1月から段階的に導入されているスターバックスの紙製ストローを視点にして、「気候変動に具体的な対策を」や「海の豊かさを守ろう」「陸の豊かさも守ろう」について考える子どもたちがいる。部活動のマネージャーは女子がほとんどであることと、その仕事内容を取り上げることで、「ジェンダー平等を実現しよう」にアプローチすることもある。「質の高い教育をみんなに」について考える際に、学校の中間試験や期末試験で落第点を取らないためだけに、生活の中で必要だという実感を持てない元素記号を覚えたり、微分・積分や因数分解を勉強したりすることの意味について考える中高生たちもいる。青少年や子どもたちが日常で感じている問題や疑問、彼らの視線を、テレビの報道はもっと大事にしてもよいのではないか。 

「傘がない」(1972年)で井上陽水は、「テレビでは我が国の将来の問題を/誰かが深刻な顔をしてしゃべっている/だけども問題は今日の雨/傘がない」と歌い、「行かなくちゃ/君に逢いに行かなくちゃ/君の家に行かなくちゃ/雨に濡れ」と続けていく。この歌は、社会の問題と自分が抱える問題の乖離を歌っていて、自分の幸福や関心のみを追求する若者のミーイズムが表現されていると論評されることがある。だが、社会の問題を論じる人々にとっては取るに足らない問題に思えるかもしれない若者たちそれぞれが抱えている問題や関心事も、実は、社会を構成する一員である若者が関心を寄せる大切な問題であり、看過してはいけないことをうたいあげているのではないだろうか。

社会を構成する一人ひとりが抱える問題の総体が、社会全体の問題となっていく。若者たちが幸福を実感できるようになることは、やがて社会全体の幸福の実現に結びついていく。大きな問題を取り上げて社会を論じるだけでなく、若者が抱えている身近な問題とささやかな問題、関心事に目を向けなければいけないことを、陽水の歌は教えてくれる。

政治や経済、外交といった社会のあり方に関わる問題だけでなく、子どもや若者の立場に立ち、彼らが直面している身近な問題や疑問に寄り添った報道がもっと増えてもよいのではないか。18歳や19歳の青少年やその下の年代の子どもたちに、取材カメラを渡してみるのもよいかもしれない。さまざまな問題にアプローチして情報発信していく機会があれば、これまでの報道の送り手とは異なる目線でとらえた多様な問題を子どもたちは発信してくれるのではないだろうか。そしてそれは、子どもや青少年の社会参画を促し、多様な年代の人びとの意見が反映された豊かな社会の実現の原動力になっていくかもしれない。

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