【インタビュー 熊谷典和・テレビ神奈川代表取締役社長】 「お役に立つテレビ局」「なくてはならないテレビ局」目指して

編集広報部
【インタビュー 熊谷典和・テレビ神奈川代表取締役社長】 「お役に立つテレビ局」「なくてはならないテレビ局」目指して

1972年4月の開局から50周年を迎えたテレビ神奈川(tvk)。音楽ライブのイベントをはじめ、多彩な周年企画を手がけています。記念番組には自らも"本人役"で出演した熊谷典和社長にインタビューしました。


――tvkとの"なれそめ"は。

生まれは三重県ですが、幼稚園に入るころには横浜に移り住んでいたので、完全に"はまっ子"です。私がtvkの存在を認識したのは、中学生になってから。校内で洋楽がブームになっていましたが、ミュージックビデオが最初から最後までしっかり放送される地上波の番組は、tvkBillboard TOP40と(当時、テレビ朝日系列の)『ベストヒットUSAぐらいでした。みんなが見ているので、「tvkは映るかな?」と自宅のテレビで試しにチャンネルを合わせてみたのが、きっかけです。音楽番組だけでなく、同級生や先輩が出場していた高校野球神奈川大会の番組もよく見ました。

当時、自宅のほぼ目の前にあったtvk本社の前で、若い人たちがたびたび長蛇の列をなしているのです。不思議に感じて覗いてみると、音楽番組の収録が行われていました。自分が大好きな音楽で、これだけの人を集めるテレビ局が地元にあるんだ――高校生活の後半ぐらいには、tvkを就職先として自然に意識するようになっていました。

――在京キー局と違う魅力を感じたということですね。

キー局の採用試験は全く受けていません。これだけ小さいテレビ局が多くの人を集めていることにとても魅力を感じていましたし、私が過ごした中高生時代の話題のど真ん中にtvkの番組があった。考えれば考えるほど、tvkに親近感を感じ、働いてみたいと意欲が湧いたのです。

憧れのtvk

――そして念願が叶いました。

1994年に入社し、研修後、販促部に配属され、さまざまなイベントを手がけました。当時は何から何まで一から全て自分でやりなさいという時代でしたが、憧れのtvkで「こんなに仕事を任せてもらえるんだ」「ローカル局って面白いな」という充実感を持ちながら、無我夢中で働きました。 

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――音楽番組を長く担当されたそうですね。

制作部に異動し、特番や現在も続くJAの広報番組などをはじめ、いろいろな番組を担当した後、音楽番組を10年以上担当しました。そのなかで、プロデューサーを務めた『saku saku』(2000年―17年までレギュラー放送)が最も印象に残っています。MCに木村カエラさんを起用するところにも携わり、やがて彼女がヒット作を世に出して、番組も全国区になりました。こういうヒットの瞬間に立ち会えることは人生で一度あるかないか......本当に幸せでした。

社長就任とtvkの強み

――2020年6月に社長に就任されました。いまも54歳で、お若い印象があります。

社長就任を打診されたとき、正直に言って驚きました。まさか自分が社長に?と。就任時にはすでに新型コロナウイルスがまん延していた状況でした。「若い社長だな」と客観視できる余裕もなく、とにかくやるべきことに取り組んできました。局長や管理職のメンバーとは年齢が近いだけに、一緒に働いてきた仲間として彼らを信頼しています。だからこそ、「よし、社長としてまとめよう」という意識よりも、就任前と変わらない姿勢で向き合えています。

――tvkの特色や強みは?

在京キー局とのスポンサーの競合は当然あります。ですが、神奈川県内、特に横浜の地元の皆さんとtvkのつながりの深さは他局に負けません。そもそも神奈川はローカルではない、と言う人もいますが、東京と隣接する県だからこそのローカル性の強みがある。しかも、周囲の局に負けない特色を出さなくてはいけない、という思いがあったからこそ、先人たちはハードロックや洋楽を扱う個性的な番組を作れたのではないでしょうか。

「売れる前の新人を起用する」というのもtvkならではの強み。前述の木村カエラさんもそうでした。現在放送中の『猫のひたいほどワイド』(月―木、12001330)もスタッフが目をつけた新人のタレントさんを"先物買い"し、出演してもらっています。制作費ではキー局にかないませんが、"新人を育てる目"は匹敵できると自負しています。

50周年を迎えて

――開局50周年を迎え、さまざまな周年企画を展開していますね。

社内でプロジェクトチームを作り、検討を重ねてもらいました。メンバーは副部長級を中心に構成しています。私のこれまでの経験から、部長級以上になるとなかなか他部署に目を配る余裕がなくなる。社長はまた別でそれではダメなのですが(笑)。いま副部長の社員は、60周年の際にはしかるべきポジションに就いているはず。部署を横断して、まんべんなく広い視野で検討し、コミュニケーションをとって互いの悩みも共有してほしい。現場に一番近い管理職として、若手の声にも耳を傾け、吸い上げてもらいたかった。こうして具現化したさまざまな企画から得られた成功・失敗の経験は、10年後に必ず活かせます。50周年を機によい教育の場ができました。

事業環境とこれからのローカル局

――放送事業が置かれている経営環境をどう捉えますか。

テレビとYouTubeは別物――かつてはそんなことも言われましたが、私は当時から共生すべきだと考えていました。愛社精神がないように聞こえるかもしれませんが、誤解を恐れずに言うと、「tvkで番組を見なくてもよい」とも思っています。インターネットを通じて全国や全世界に見てもらったとしても、tvkが制作したコンテンツであることは分かってもらえる。スポンサーの問題はありますが、デバイスは何でもよいから「多くの人に見てもらいたい」という気持ちでコンテンツ制作にあたれば、もっと面白い発想が出てくるはず。テレビを見ないのではなく、見る方法、見方が変わっているということを意識し、時代に適したコンテンツを見定める、こうした姿勢が求められるのではないでしょうか。それに、広く見てもらいたいという気持ちがあれば、スポンサーの共感もきっと得られる。高校野球の神奈川大会では同時配信を始めましたが、中継をYouTubeで流しても、テレビ視聴率の変化はほとんどないのです。このように、自社のコンテンツをどう広げていくか、というところにシフトしたほうがよいのではないかと考えています。

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――売上の3分の1が放送外収入ですね。

単に「放送外事業=放送に関係ない事業」ということではありません。横浜・平沼のtvk ecom parkでのハウジング事業や「横浜イングリッシュガーデン」のほか、実は山下公園や港の見える丘公園のバラの造園もtvkグループが携わっています。地域を活性化させることで、神奈川県民からの信頼に応えるだけでなく、県外の皆さんにも魅力を感じていただきたい。「神奈川に住んでみようか」と思ってほしい。そうした意味では、放送事業も放送外事業も、経営理念に掲げている「お役に立つテレビ局」「なくてはならないテレビ局」としてのコンテンツ提供のほんの一例です。そのためには、まずはコンテンツに信頼性があって、親近感を持ってもらう必要があります。

――ローカル局の将来像をどう展望されますか。

ローカル局にはローカル局にしかできないことがある。それは前述の、地域とのつながりの深さがあってこそです。われわれが地元の方々を知っている、視聴者に認知してもらっているというのは本当に大きな強み。これこそがローカル局ならではの宝ものです。だからこそ、地域のために役に立つ、なくてはならないテレビ局としてのコンテンツを増やして、皆さんにいかに"お返し"できるかが重要になってきます。そのために、"どローカル"で泥臭く皆さんと親密になって、人脈を広げていくことがヒントになる。もちろん、社内にも宝はあります。関連会社を含めて広く目配りしていれば、社外の人々との会話で使える種を発見でき、盛り上がれるはず。「目の前の仕事だけでなく、社内にも興味を持ちましょう」――そう呼びかけているところです。とにかく、これほど多くの業種の方とお付き合いできる仕事はありません。人脈は宝です。社内だけで完結せず、いろいろな人と交流して、多様なアイデアを持ってコンテンツを作り出すこと、これがローカル局の生きる道だと思っています。

(2022年10月14日、テレビ神奈川本社にて
/取材・構成=「民放online」編集担当・長瀬滉功)

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