1981年にテレビ朝日で開始され、その後、中断の期間を経て2003年からBS朝日で放送されている『ベストヒットUSA』。小林克也さんの軽妙洒脱な司会とディープな解説は、多くのファンを長年とらえて離さない名物番組となっている。このほど、開始から40年を超えた長寿番組の制作に長年携わってきたBS朝日の川岸才門プロデューサーに話を聞いた。
――番組立ち上げの経緯や当初のコンセプトは?
1980年の秋ごろ、ブリヂストンさんがタイヤの販売促進のために、10代・20代の若者をメインターゲットとしたテレビ番組を提供したいという意向を持っていて、いくつか企画を検討する中で洋楽の番組に落ち着いたと聞いています。アメリカでMTVが開局するよりも前の話ですね。最新のヒットチャートに基づいたカウントダウン番組にすることになり、その番組のナビゲーターを、当時FMラジオなどで大人気だった小林克也さんにお願いすることが決まりました。
――BS朝日で放送することになるきっかけは?
1989年に放送が終了した後、同窓会みたいな形で、テレビ朝日で2回くらい単発番組が放送されました。そのとき、懐かしい名曲を集めた番組はBSの視聴者層にマッチするのでは、という声があったのです。そこで、小林克也さんとも相談してBS朝日で復活することになりました。
――地上波とBS、どのような違いを?
地上波のときは10代・20代がターゲットで、流行っている曲をメインで紹介する番組でした。当時は最新のアメリカ音楽事情を知るすべがなかったですし、新人だったシンディ・ローパーやマドンナが番組に出演した後にブレイクするようなこともありました。BSでは最新の洋楽シーンと併せて過去の名曲も紹介していますので、幅広い世代の方が楽しめるような内容になっています。視聴者層は、M3(男50歳以上)が多く、次にF3(女50歳以上)がメインだと思います。ただ、面白いのが20代の男女が多いこと。今の洋楽に興味のある若い人たちが見てくれているのですが、「親の影響で80年代の音楽が好きになりました」という若い人たちもいて、意外と親子で一緒に見ている人も多いのです。世代を問わず、音楽が好きな人は『ベストヒットUSA』をちゃんと押さえてくれている、と思っています。
――制作するうえでこだわっているところは?
以前はビルボードなどの絶対的なヒットチャートみたいなものがあって、それを基に皆さん流行をつかんでいたと思いますが、今はそれにとどまらない時代になっていると思います。音楽のジャンルが無数に増え、選択肢がヒットチャートのリスト以上に増えていますし、才能豊かなアーティストもあふれているので、ユーザー側は、どれを聞いていいか迷ってしまう。だから、私たちの仕事というのは、ある意味キュレーション作業かもしれないと考えています。今知るべきフロントランナーみたいな、いわゆる旬のアーティストから昔のポップスの世界遺産的なアーティストまで、幅広くバランスよく配置しながら見てもらうということですね。30分という時間を、いろんな時代を飛びまわりながら、小林克也さんの解説と音楽で楽しんでもらいたいと思って届けています。また、字幕には特にこだわっていて、時間をかけて入れています。歌詞は人々の共感を生むポイントだと考えているからです。歌詞をきちんとひもとくと、なぜ流行っているのかという理由が見えてきます。その時のクールだと思う人物像や思考、恋愛だったり、日々の悩みや社会問題などが歌詞には表現されているのです。そういうところを私たちや小林克也さんはひろって、文化的なつながりも含めて紹介していくというところが、この番組の一番の「売り」なのかなと思っています。だから、歌詞の字幕は自分たちでほぼオリジナルで作っています。私たちの番組は日本人のためにローカライズしているものなので、アーティストのメッセージを日本語できちんと伝えたいのです。通訳などの専門家やレコード会社の担当者などに聞きながら、私たちなりに解釈した歌詞を必ず入れていますし、そうやってこだわって作っているところを理解してもらえたら、もっと楽しく見ていただけると思います。
――小林克也さんの番組への関わり方は?
<番組の顔・小林克也氏 ©SUKITA>
「このアーティストは一体どんな人間なのか?」を小林さんなりに分析して、より内面を探ります。その一環として歌詞にも着目するのですが、小林さんは「共感される音楽には社会にとって大事なメッセージが含まれている」という想いを強くお持ちです。だから、ヒップホップのようなスラングが含まれる歌詞なども一生懸命読んで、自分なりに仮説を立てて、解釈して番組に臨んでいます。また「『ベストヒットUSA』は洋楽の入り口だ」という考え方は、終始一貫していると思います。洋楽を知れば自分の世界が広がる、と小林さんは自負されているので、この番組を見ている人が、音楽や英語に興味を抱いたり、ファッションや映像に関心を持つようになったり、そんな「何かのきっかけになればうれしい」と常々おっしゃっています。これは私たちスタッフも同じ思いです。小林さんの英語に憧れて習得し、海外で活躍している人もいますので、番組が視聴者の人生に少なからず刺激を与えている部分もあるのではないでしょうか。
――昨年が番組開始40周年でした。何かイベントなどは?
昨年は番組開始40周年と同時に小林克也さんの生誕80年でもありました。社内で「ベストヒットUSA 80/40プロジェクト」というのを立ち上げて企画を考え、ブリヂストンさんに協力いただいて2時間の特番を放送したり、オンラインサロンを実施したりしました。特番にはジョン・ボン・ジョヴィにリモートで出演してもらったほか、マドンナなどがゲストに来てくれた過去の名シーンなども織り交ぜながら、『ベストヒットUSA』の誕生祝いみたいな番組となりました。また、小林克也さんの誕生日(3月27日)にZepp Haneda(TOKYO)でコンサートを開催しました。コロナ禍だったので会場の座席は半分、客席は声も出せないという制限もありましたが、小林克也さんのバンドにも出演してもらって、客席から温かい拍手をいただきました。ツイッターやフェイスブックでも熱意あふれるコメントをいただきましたし、手ごたえを感じましたね。
<オンラインサロンに登場した小林克也氏と川岸才門プロデューサー(右)>
――長年制作してきて、変わったこと、変わらないことは?
番組のフォーマットは、80年代から続くスタイルを変えていません。「STAR OF THE WEEK」という目玉特集のコーナー、「TIME MACHINE」という過去の名曲を振り返るコーナーや、話題のホットなアーティストを紹介したり、アメリカのチャートを知らせたり、変わらずやっています。ただ、私は20年近く携わっていますが、音楽の聴き方、メディアが変わってきましたし、最近の傾向ではTikTokの影響は大きいと思います。TikTokの動画に使われることで話題となった楽曲がチャートインするのが当たり前になってきているので、楽曲制作も変わりはじめています。スクロールされないように印象に残る言葉やキャッチーなフレーズを頭に置いたり、いきなりサビから始まる楽曲もあったりします。その結果、冒頭のイントロがなくなったので、以前のような曲紹介の「克也節」が出せなくなってしまいました(笑)。コメントや解説が、せっかくの良い歌詞にかぶってしまいますから。でも、「聞いてもらいましょう、どうぞ」でドンと曲がかかるから、逆にテンポがあるといえばあるんですけどね。楽曲のスタイルの変化に合わせて、少しずつ変化している部分もあります。
――今後の展開は?
放送以外の展開を、常に模索しています。先日のオンラインサロンも、実はSNSとの親和性を図るという目的もあったのです。個人的な願望なのですが、メタバースとかWeb3.0の時代になって、視聴者と一緒に『ベストヒットUSA』というコミュニティを作りながら、新たなものを生み出したい。コロナの影響も海外では収まってきている感じもありますし、海外アーティストの招聘なども番組のイベントと連動して実現できたらいいと思っています。また、リモート取材も普及しましたので、来日しなくても出演してもらえるようになりました。自宅の居間から出演してもらったりすると、視聴者はアーティストの素顔が見られるようでうれしいみたいです。海外からのリモート出演も活用していきたいですね。今の若手アーティストは、過去の音楽の歴史をとても勉強していて、それを踏まえた自分なりの音楽を作り出しています。歴史をちゃんとたどりながら、どこが隙間なのかというところを、彼らは探すんですよね。個性を出しながら音楽的にはシンプルに、でも深い。新旧両方の音楽の魅力を、これからも伝えていきたいと思っています。