テレビ報道を見た子どもたちの反応から見えてくること~「子どもとメディア⑥」

加藤 理
テレビ報道を見た子どもたちの反応から見えてくること~「子どもとメディア⑥」

テレビの報道が子どもたちにもたらしていることについて考えるにあたり、学校での道徳のことから書き始めたい。1958年に特設されて戦後の道徳教育を担ってきた「道徳の時間」は、小学校では2018年度から「特別の教科 道徳」として教科化された。11年の大津の事例をはじめとする数々のいじめ事件や、残忍な少年犯罪の増加をうけ、国は道徳を教科化することで子どもたちの心の育成を図ろうとしたのである。

教科化に伴い、読み物の登場人物の心情の読み取りを中心として、望ましいと思われることを言わせたり書かせたりする指導に終始するきらいがあった道徳から、考えて議論する道徳への質的転換が図られるようになった。これからの時代を生きる子どもたちは、さまざまな価値観や言語、文化を背景とする人々と相互に尊重しあいながら生きていくことが求められているため、人としての生き方や社会のあり方について、多様な価値観の存在を認識しつつ、自ら考え、他者と対話し協働しながら、よりよい方向を模索することが求められているのである。

道徳の授業では、あるテーマに関して相反する意見を闘わせることが多い。たとえば、4年生の授業で、善悪の判断や誠実ということについて考えるために、嘘についてどう思うかという問いを子どもたちに発する授業がある。「嘘はどんな場合でもついてはいけない」という子どもと、「他人を傷つけないためなら嘘をついてよい場合もある」という子どもとに意見が二分される。二分された意見のもとで、他者の意見を傾聴しつつ、子どもたちは多様な価値観を持つ他者と議論を重ねながら自身の考えを深めていく。こうした議論の過程では、異なる意見を排除したり対立したりするのではなく、他者との信頼の中で相互理解に努めることが求められる。さらに、どちらかの意見が多数になったり、力を持つ誰かの意見に支配されそうになったりした場合でも、同調圧力に流されずに自分の考えを確かめていくことが必要となり、進行役の教師は、多様な意見を尊重した議論となるための整理を行っていく。

テレビでは「ニュース報道番組」や「情報ワイドショー番組」の中でさまざまな問題をめぐって連日議論が行われている。最近では、ロシアのウクライナ侵攻や安倍元首相の銃撃事件と「国葬」をめぐって、長時間にわたって放送された。ウクライナ侵攻ではロシアの侵略行為を糾弾しつつ、ウクライナを支援する立場での報道が行われる傾向にある。安倍元首相の銃撃事件では、安倍元首相の生前の功績や人柄をしのびながら追悼する報道が見られ、世論が割れた「国葬」問題では、多様な世論を反映して賛否がさまざまな角度から取り上げられた。

小学生たちの反応に危惧

放送法第4条に明記されている「公安及び善良な風俗を害しないこと政治的に公平であること」報道は事実をまげないで放送すること」意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は、民主主義の健全な発展と国民の知る権利を守るために重要であることは今さら言うまでもない。最近の衝撃的な出来事を伝える番組でも、放送内容について事実を確認しつつ、対立している問題については多角的に取り上げて偏った放送にならないように十分留意してきたものと思われる。

だが、ウクライナ侵攻の衝撃が伝わると、小学生たちの間で「プーチンは悪い人でしょ」「プーチンがいなくなれば戦争終わるんでしょ」との発言が多く聞かれ、子どもたちはプーチンの写真を見て笑ったり悪口を言ったりしていることを、筆者のゼミで学んだ多くの小学校教師が教えてくれた。安倍元首相が銃撃に倒れた直後は、みな一様に「安倍ちゃんかわいそうだね」「安倍ちゃんすごい人だったんだね」と小学生らしい表現で元首相への追悼と賛美がなされていたという。これらの報告を聞くにつれ、多角的に情報を伝える放送に接しているはずの子どもたちは、テレビからの情報をどのように受け止めているのか、という疑問がわいてくる。疑問というより、危惧を感じると表現した方が適切かもしれない。

モデリング理論から考える伝え方

テレビから子どもたちが受ける影響に関して考えるうえで参考になる興味深い実験がある。カナダ人心理学者アルバート・バンデューラの「ボボ人形実験」である。これは、他者の行動を観察しそれを模倣することで学習すると考える「モデリング理論」のための実験である。対象の子どもを3つのグループに分け、Aグループには空気で膨らませた等身大の人形を大人たちが罵声を浴びせたり叩いたり蹴ったりと攻撃的な行動をとっている映像を見せる。Bグループには大人たちが攻撃的な態度を一切見せない映像を見せ、Cグループには何も映像を見せない。その後子どもたちを、それぞれ人形を含めたおもちゃがたくさんある部屋に入れて観察すると、Aグループの子どもたちはBグループやCグループに比べて人形に対して攻撃的な態度が明らかに多いことが観察される。

バンデューラのモデリング理論では、注意過程、保持過程、運動再生過程、強化と動機付け過程の4つが指摘されているが、記憶に残したモデルの言動を再生する運動再生過程が指摘されていることに注目する必要がある。子どもたちがプーチンは悪い人だ、プーチンがいなくなればいいときめつけ、安倍元首相はかわいそうだ、すごい人だったと一様に話す姿は、テレビが伝える内容と、テレビの出演者のコメントと態度、そしてテレビを見ている身近な大人たちの言動からの影響が反映されていると考えることができるのではないか。子どもたちは、多角的な情報と多様な立場からの意見をテレビから得て、自らの意見を構築することができているのだろうか。

人形実験を視野に入れて小学生たちの反応を考えると、「ニュース報道番組」や「情報ワイドショー番組」の伝え方を検証していく必要を感じる。放送法第4条を遵守するうえで、正確性と公平性、公正性、そして客観性が大事になることはいうまでもない。正確性を担保するためには、先入観を排除することも重要である。菅元首相の追悼演説に対するコメンテーターへの非難は、感情的な反発を除けばこの点を問題にしたものであろう。

さらに、冷静さもきわめて重要となる。ロシアがウクライナに軍事侵攻するという世界の安全保障上の重大な危機、さらに元首相の銃撃事件という衝撃的な事件の後とはいえ、冷静さを保った放送はなされていただろうか。透明性をもって真実を伝えることも「ニュース報道番組」や「情報ワイドショー番組」にとって大事だが、政権政党や権力者に忖度して透明性を損なう報道になっていないだろうか。国民の知る権利に応えるためには、取材対象に深く入り込んでいく必要があろうが、取材対象との距離は適切に保たれているのだろうか。公平で透明な放送の実現と、取材対象との近すぎる距離を指摘されるコメンテーターや記者たちとの間のバランスは保たれているだろうか。

多様性を大事にしながら、多様な人々と共生していくことが求められている今、道徳の授業では多種多様な意見を幅広く集め、それらを尊重しながら議論し合い、自らの考えを深めていく授業が目指されている。一方で、子どもたちがロシアの侵攻や元首相の銃撃後に見せた反応は、バンデューラの理論を援用すれば、日常的に接する報道から多様性が損なわれ、同調圧力が感じられることを記憶に残した子どもたちが、モデルとなる番組内での言動を再生している姿と考えることができるのではないか。

アンデルセンの『裸の王様』ではないが、時には、子どもたちの言動を見て報道のあり方を見つめることも必要ではないだろうか。

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