北海道警ヤジ排除訴訟 最高裁判決と「表現の自由」

志田 陽子
北海道警ヤジ排除訴訟 最高裁判決と「表現の自由」

その時なにが起きたのか

20197月、北海道札幌市の駅前広場で、大杉雅栄さんと桃井希生さんの二人が、当時の首相・自民党総裁であった安倍晋三氏の参院選街頭演説中にそれぞれ声を上げた。これを北海道警察の警察官複数名が制止し、演説会場となっている広場から排除した。二人はそれぞれ、この行為について、北海道を相手に国家賠償を求める裁判を起こした。

一審で札幌地裁は、原告二人について警察による「表現の自由」の侵害があったことと、その行為の違法性を認め、北海道に対して合計88万円の賠償の支払いを命じた(2022325日判決)。その後の控訴審で札幌高裁は、(A)桃井さんへの賠償を命じた部分については地裁の判決を支持したが、(B)大杉さんについては警察官による排除は適法だったと判断し、地裁の賠償命令を一部取り消す判断をした(2023622日判決)。この高裁判決の桃井さんの部分(A)については、北海道が不服ありとして最高裁に上告し、逆転敗訴となった大杉さんの部分(B)については、大杉さんが上告した。

最高裁は、この両方の上告について、高裁判決には上告できる理由にあたる憲法違反などがないとして、上告棄却とした(2024819日決定)。この決定によって、札幌高裁判決が確定した。

裁判でなにが問われたのか

この裁判で問われた争点は、(1)原告に「表現の自由」などの権利の侵害があったといえるか、(2)この権利侵害が警察の違法な行為によって生じたといえるか、である。

(1)については、裁判所は地裁・高裁とも、「表現の自由」の侵害があったと認めている。しかし(1)が認められてもすぐに国家賠償が認められるわけではなく、賠償が認められるためには(2)の部分で警察の行為が違法だったと認められることが必要だった。この点について北海道は一貫して、警察官らの行為は法令に基づく適法な職務行為だった、つまり安全を守る上で必要な行為だったと主張していた。

ここで参照された条文は、警察法と警察官職務執行法(警職法)である。警察法は、各種の職務行為とその原則について定めている。警職法4条1項は、なんらかの危険があって当人を守るために必要があるときは、警察官が必要な限度で当人を引き留め、移動させることを認めている。また警職法5条は、犯罪など他者に危害・損害を与えるおそれのある行為が行われようとしているときで、急を要する時には、警察官がその行為を制止することを認めている。そこで、これらの条文にある「必要」が実際にあったのかどうかが、裁判で問われることとなった。

一審と二審、異なる判断はどこか

最高裁が支持した札幌高裁判決を理解するために、その前提となる札幌地裁判決を見ておこう。地裁判決の概要は、以下のとおりである。

(A)大杉さんは演説中に、演説会場の駅前広場から、「安倍やめろ」などの発言をした。その直後に、警察官が大杉さんの肩や腕をつかんで移動させた。この行為は、警職法4条、5条が求めている必要性がない。したがって警察官のこれらの行為は、違法である。

一方、大杉さんが演説車両に向かって走り出したところを抱きとめる形で制止し移動させた行為は、警察官が暴行などのおそれを抱いたとしても不合理ではないので、警職法5条にいう「必要」が認められる適法な職務行為である。

(B)桃井さんは演説中、歩道上から「増税反対」と発言した。その直後、警察が桃井さんの肩や腕などをつかんで移動させた。この行為は、警職法上、必要性があったとはいえない。また、その後も桃井さんに対して警察官らが両側から両腕に手を回すなどして「聴衆エリア」に行かないよう制止していたが、これも必要性は認められない。さらに桃井さんが演説会場から離れて駅前の商店に入り、店内にいる間もその後にタクシーに乗るまでの間も行われた追従行為(つきまとい)は、警察法と警職法が定めている職務行為とはいえず、違法である。

北海道はこの地裁判決を不服として控訴した。

控訴審の札幌高裁判決では、(A)の大杉さんの件については、大杉さんの逆転敗訴となった。まず、地裁判決で警察の行為が適法とされた部分はそのまま支持された。そして地裁が大杉さんの国家賠償を認めた部分についても、大杉さんが他の聴衆からの反感を買い危険な状態にあったので、本人の危険を避ける必要があったという警察側の主張が認められ、警察の行為は適法だったということになり、大杉さんの国家賠償請求は認められなかった。

一方、(B)の桃井さんに関する部分は、地裁判決が支持され、桃井さんの国家賠償請求が認められた。

判決の意義――「表現の自由」の確認

最高裁決定が支持した高裁判決・地裁判決は、街頭演説中に一般聴衆が発したヤジが「表現の自由」の保障を受けることを明確にしたところに大きな意義がある。このことはまず、権利侵害があったことを認める段階で示されている。次に、警察の活動に違法性があったかどうかを検討する中でも、まずは「表現の自由」を保障することが原則で、それでも警察が制止などの介入をすることがあるとしたら、それは例外的な場合、つまり危険防止の必要がある場合に限られるということを、法令に照らして確認している。そして、この理解に基づいて、事実認定の段階でそこが詳しく検討されたわけである。

この裁判では、地裁・高裁ともに、こうした原則・例外の関係の確認を通じて、警職法・警察法の解釈に憲法上の人権(今回は「表現の自由」)の尊重を読み込んでいるところに、今後の裁判に影響を与える意義がある。

残るグレーゾーン――国賠法上の「違法」認定

高裁判決では、大杉さんの逆転敗訴とはなったが、これは、賠償を受けるところまではいかなかった、という話であって、大杉さんの表現(ヤジ)が「表現の自由」の保障の範囲外、警察に取り押さえられて当然、と判断されたわけではない。

国家賠償法1条は、公務員がその職務上、違法に他人に損害を加えたときは、国または公共団体が賠償責任を負う、と定めている。そこでこの裁判でも、警察の行為が「違法」にあたるかが争点となった。警職法の4条も5条も、危険の「おそれ」があるときには警察官は制止行動に出てもよい、としている。この「おそれ」をゆるく解釈してしまうと、警察官が「おそれがあると思った」と言えば、人の自由をいつでも制止できることになる。しかしここで地裁判決は、この「おそれ」を具体的なものに限定し、警察の制止と排除は大杉さん本人を危険から守るためだったという警察の主張を認めなかった。一方、高裁判決は、新しい証拠が出されたとはいえ、この部分をかなりゆるく解釈し、警察の主張のほうを認めている。しかし大杉さんが実際に周囲の聴衆から攻撃を受けたといった具体的な事実は認められない。ここは警察側の《おためごかし》的な論法が認められたことに疑問が残る。

国家賠償法に基づいて国や自治体の責任を問う裁判では、先に整理した争点の(1)と(2)の間で、こうしたグレーゾーンで終局する例が多い。権利侵害はあった、しかしそれを惹き起こした公務員の行為は違法とまでは言えない、という論法で「請求は認められない」との結論になることは、当事者の大杉さんにとっては疑念の残るものとなっただろう。ここは、裁判で「違法性」を認めるハードルをもっと低くする必要があるのではないか。

このように、国家賠償法上の「違法性」の判断については課題が残るものの、このことは、「表現の自由」が認められた部分の意義を後退させるものではない。

判決の社会的意義
――「表現の自由」への理解を深めるきっかけに

「政治的表現」は、憲法上の「表現の自由」の理論の中では、もっとも手厚い保護が認められるべき表現と考えられている。「表現の自由」が民主主義を支える前提として重要な意味をもつ権利であることからすれば、これは当然のことなのだが、日本の一般社会ではともすれば政治的表現の自由の意義が十分に理解されないことがあるため、社会一般の理解を深める上でも、ヤジの「表現の自由」が裁判で確認されたことの意義は大きい。

とくにこの裁判の係争中の20227月には安倍氏が演説中に狙撃され死亡するという事件が起き、さらに、2024年4月に東京で行われた衆院補欠選挙をめぐっては、選挙演説を明らかに妨害する行為を行った者が逮捕されるという出来事があった。これらに照らして「ヤジの自由」を保護することは危険ではないのか、逮捕された選挙妨害と「ヤジ」はどこが違うのか、といった発言も見られたが、これらは法的には異なるものである。聴衆のヤジは、演説を不可能にするようなものではなく、「やめろ」「〇〇反対」といったものも含めて、応答的なコミュニケーションの要素を含んでいる。一方で、大音量での演説妨害は、コミュニケーションの要素のない妨害行為である。また、銃撃などの真正の危険は、警察がその回避・防止に取り組むべき職務そのものであり、これは一般人のヤジとは別の問題として整備すべき事柄である。最高裁決定が、これらの出来事を混線させることなく、法的な思考を一貫させたことにも、社会啓発的な意義がある。

この裁判は、判決以前から一般社会でも国政の場でも注目され、北海道や東京の弁護士会が「表現の自由」を侵害する重大問題であるとの声明や意見書を公表していた。その関心の中には、この件で警察が行った一連の行為は警察法2条の定める「不偏不党」「公平中正」の観点から疑わしいものではないか、との疑問もあったが、これについては、地裁判決・高裁判決ともに論じていない。この部分は一般市民が民主主義の担い手として、常に見守っていくべき部分だろう。

一般市民が政治的表現をすることは、民主主義を選択した社会においては当然で自然なことなのだということが理解され、生き生きとした民主主義が実現されるために、この裁判が多くの市民と公務員に参照されることを期待したい。


【注記】この訴訟の被告は、北海道警ではなく、北海道警を設置している地方公共団体である「北海道」です。この点を間違えて、被告・控訴人・上告人を「道警」と書いている報道がいくつか見られましたが、正しくは「北海道」または「道」です。ただ、裁判の過程での証言や証拠提出は、実務にあたった北海道警が行っている、という関係になっています。本稿はその理解で書いています。

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