韓国梨泰院転倒事故報道をめぐる温度差 政府はトラウマ予防のための報道ガイドライン発表

趙 章恩
韓国梨泰院転倒事故報道をめぐる温度差 政府はトラウマ予防のための報道ガイドライン発表

20221029日、韓国ソウルの繁華街・梨泰院(イテウォン)で158人が死亡、196人が負傷する事故が起きた。外交部(部は日本の省に当たる)の発表によると、外国人犠牲者も14カ国26人いる(執筆時点)。12月2日、韓国政府は事故発生後設置した「梨泰院雑踏事故中央災難(災害)安全対策本部」の運営を終了し、今後は支援団を設置して遺族をサポートすると発表した。事故当日の雑踏警備の不備、初動の遅れなど、事故原因と対応に問題はなかったのかを巡ってはまだ捜査が続いている。

1125日には国家トラウマセンターが「トラウマ予防のための災難報道ガイドライン」を発表した。ガイドラインは災害取材と報道において、災害当事者と家族、現場で対応した人、現場を取材した人、ニュースを見た人、その誰もが傷ついてはならないということを盛り込んでいる。そのため大きく3つの項目、「トラウマの理解」「トラウマ予防のための災害報道の細部ガイドライン」「記者のトラウマ管理」に分けてまとめた。この中では、▷取材記者は当事者の身体と心理状態を確認し意思を確認してから取材する▷取材中はちゃんと話を聞いているとジェスチャーなどで示す▷繰り返し質問したり災害を詳しく説明するよう求めることはトラウマ反応を引き起こすため注意する▷災害当事者と家族のプライベートと人格を尊重し否定的な印象を残す報道はしない▷被害事実だけでなく災害当事者の回復状況と前向きなメッセージも報道する▷記者も取材前後の健康状態を確認し、苦しいときはすぐ心理相談を受ける――といったことが書いてある。

国家トラウマセンターは2013年に前身の組織が発足後、14年のセウォル号沈没事故の被害者や新型コロナウィルス感染症による長期のステイホームで不安になった人の心理治療を支援してきた。今回も生存者と遺族を含め、事故の衝撃から立ち直れない国民の回復のために無料心理相談や心理治療を行っている。韓国の放送局各社も直接、または間接的に梨泰院事故を取材した記者の心理治療をサポートし、費用を負担している。

政府機関が「トラウマ予防のための災害報道ガイドライン」を発表しなければならないほど、梨泰院の事故は衝撃が大きかった。テロや自然災害でもなく転倒事故で、ソウル市内で大勢の若い人が犠牲になった。1カ月以上過ぎた今でも梨泰院の事故現場には追悼のため訪れる人が後を絶たない。

海外メディアとの温度差話題に

韓国内では事故を巡る報道体制に関して、韓国メディアと海外メディアの温度差が話題になった。海外メディアは積極的に事故現場を再現し、犠牲者の遺族を取材したニュースを放送した。ワシントンポスト、ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、CNN、英BBCなどは専門家を取材して事故原因を分析し、事故当時現場にいた生存者の証言や犠牲になった人はどんな人なのか、遺族の悲しみの声を紹介しながら追悼している。しかし、韓国メディアは梨泰院事故中央災難安全対策本部の発表や警察の捜査状況を紹介するばかりで、犠牲者に関しては海外メディアが犠牲者の実名を報道したという間接的なかたちで紹介する程度に留めた。韓国では日本のテレビ番組がマネキンを使い転倒事故を再現したことも話題になった。韓国のテレビにはいわゆる"お昼のワイドショー"のような番組はないため、不思議に見えたようだ。韓国メディアは視聴者のトラウマ予防のため事故現場の様子をイラストで説明する程度にした。1128日、「梨泰院惨事犠牲者遺族協議会」の設立方針を発表。遺族自ら事故の原因解明と責任者の処罰を求め声を出すようになってから、韓国メディアも遺族を取材し犠牲者を紹介するようになった。

韓国メディアもまた保守派と進歩派に分かれ、温度差がある。保守派は政府の発表や捜査状況を伝えることに焦点を当て、進歩派はなぜ今年のハロウィーンだけ雑踏警備をおろそかにしたのか、毎年ハロウィーンになると梨泰院に人が殺到することを知っていながら行政も警察もなぜ事故を予防できなかったのか追及する報道もしている。時間がたつにつれ、保守派といわれるメディアも少しずつ、政府の対応はこれでいいのかと責任を問う報道をし始めた。

「災害報道準則」を守り、淡々と報じる

紙を発行しないインターネット新聞ではクリック数を稼ぐためか、コミュニティサイトやSNS上のデマを確認せず報道するため、韓国記者協会が「災害報道準則を遵守し犠牲者と遺族に被害を与えないようにすべき」と声明を出したりもしたが、韓国メディアの報道は海外メディアに比べ全般的に淡々としている。これは「災害報道準則」を守るためともいえる。韓国メディアはセウォル号沈没事故以降、韓国放送協会・韓国新聞協会・韓国新聞放送編集人協会・韓国記者協会・韓国新聞倫理委員会が共同で「災害報道準則」を定めた。

セウォル号沈没事故を巡り全員救助という誤報をはじめ、記事のクリック数を伸ばして広告収入を得るため関係ない記事にまでセウォル号の見出しを付けるなど、韓国のメディアは数々の誤報で社会を混乱させ遺族を苦しめたことから、「災害報道ではなく報道災害」「言論沈没」と批判を浴びた。韓国記者協会の会長が2020年4月セウォル号の被害者遺族に謝罪したほど、当時の報道体制には問題があった。

その反省から定められたのが「災害報道準則」である。▷正確で迅速に災害情報を提供し国民の生命と財産を守る▷報道には防災と復旧機能もあることを心がけ、被害拡散を防止し被害者と被害地域が困難を克服して一日も早く日常に戻れるよう機能する▷災害復旧に支障を与えたり被害者の名誉やプライベートなど人権を侵害してはならない▷速報競争のため現場記者に無理な取材を要求し正確性をおろそかにしてはならない▷事故原因や捜査状況は責任ある災害管理当局の公式発表に従う▷公式発表の真意と正確性も最大限検証する▷過剰な感情表現や災害の本質と関連がない興味本位の報道はしない▷被害者とその家族の身元公開は最大限慎重に行う▷刺激的な場面を単純に繰り返すだけの報道はしない▷個人的な感情がこもった即興的な報道や論評はしない▷刺激的な用語や恐怖心または不快感を与える可能性がある用語は使わない▷報道した内容が事実と異なる場合は視聴者が納得できる方法で迅速に明確に正さないといけない――といった内容が盛り込まれている。東日本大震災時のNHKの災害報道体制をはじめ、海外の事例も参考にしたそうだ。

信頼を取り戻せるか

それでもセウォル号沈没事故の後から韓国メディアはますます信頼を失った。韓国言論振興財団が調査に参加した英ロイタージャーナリズム研究所の「デジタルニュースレポート2022」によると、調査対象46カ国のニュース信頼度平均は42%に対し韓国は30%とかなり低かった。もっとも信頼するメディアは報道専門チャンネル「YTN」が1位、民放の「SBS」が2位、公営放送の「KBS」が3位だった。もっとも信頼しないメディアは「TV朝鮮」が1位、「朝鮮日報」が2位、「中央日報」が3位、「東亜日報」が4位と保守派を代表するメディアが勢ぞろいした(韓国調査は2,026人が回答)。調査結果に対し、韓国言論振興財団は「ニュースメディアの政治偏向による不信、情報の過剰による疲労感、無力感がニュースに対する興味を失わせたようだ」と分析した。「災害報道準則」と「トラウマ予防のための災難報道ガイドライン」で韓国メディアは信頼を取り戻せるのかも注目したいところだ。

セウォル号沈没事故後、韓国では災害報道のあり方に関する研究も盛んに行われた。これまでの韓国の災害報道が災害現場の被害状況をリポートすることに重点を置いていたとすると、海外では被害を最小限にするためにはどうたらいいのか防災のための報道もしていると指摘する研究もあった。韓国内ではなぜ事故を予防できなかったのか、事故発生後の対応や救助過程は適切だったのか、このような事故の再発防止のために何が必要なのか、何を改善すべきなのかといったことも含め、事故後の状況をまとめた総合的な報道を期待する声が大きいが、まだ捜査中ということでそこまでは至っていない。

最新記事