新型コロナとSNS 「知った気」にさせるが、正確な知識にはつながらず 放送など伝統メディアには見られぬ特徴 米国・シンガポール調査から

水野 剛也
新型コロナとSNS 「知った気」にさせるが、正確な知識にはつながらず 放送など伝統メディアには見られぬ特徴 米国・シンガポール調査から

世界的な感染症の流行(パンデミック)が始まって丸2年以上がたち、ようやく疫病をめぐる人々の情報摂取に関し、質の高い実証的な研究が発表されはじめてきた。

今回紹介する論文、「なぜ、COVID-19について知らない人々ほど知った気になるのか」は、その1つである。放送を含む伝統メディアとSNSの利用が新型コロナをめぐる正確な知識量とどう関係するのかを解明すべく、アメリカとシンガポールで累計3,000人以上に対し、2020年8〜11月にオンライン上でアンケートを3回実施。その結果をもとに統計学的に分析したものだ。両国の3名の研究者による共著で、『Journalism & Mass Communication Quarterly』(22年春号)に掲載されている。

なお、正しい知識の有無は、その時点で新型コロナによる死者数が最多の国名、安全とされる対人間の距離、出入国規制、季節性の風邪との違い、マスク・ワクチンなどの防疫対策、政治指導者の言動......などについて、複数の選択肢から正解を答えさせる方法で測定している。

SNS依存は世界的な公衆衛生問題への
対応に有害・危険

両国をあわせたデータ解析の結果、SNSによるニュース摂取は、正確な知識量と負の相関(減少)がある一方、逆に知識量に関する主観的な評価とは正の相関(増加)があり、そのギャップ(「知った気」になる度合)も大きくなることがわかった。そして、感染症について知ろうとする意欲が高いほど、この傾向は強まる。つまり、SNSの利用者は、情報を得ることに熱心であるほど、実際よりも自分は現状を正しく理解していると誤解・過信しやすくなる、というわけだ。

他方、テレビ・ラジオ・新聞の場合、正確な知識量との相関は見られず、主観的な評価や「知った気」との相関はシンガポールのみで認められ、また、情報摂取の熱心さとの相関は弱いか、存在しなかった。つまり、伝統メディアの利用は、ニュースを求める意欲の強弱にかかわらず、必ずしも正しい知識を増やすわけではないが、SNSのように実際以上に「知った気」にさせることは少なく、比較的に冷静な自己評価につながっている、というのだ。

こうした結果をふまえ著者たちは、情報を得る手段としてSNSへの依存が世界的に深まりゆく現状に懸念を示し、背景に横たわる具体的な要因として、▷情報過多、▷「知るべきニュースは自然に集まる」(news-finds-me)という誤った認識による受動的な態度、▷誤情報に対する弱さ、を指摘している。その帰結と考えられる「知った気」にはとくに注意が必要で、コロナ禍のような世界的規模の公衆衛生問題に取り組むうえでは有害・危険でさえある、と警鐘を鳴らしている。

他方、伝統メディアについては、シンガポールでは主観的な評価や「知った気」との相関があったこと、またアメリカを含めて正確な知識量を増やすわけではなかった点で留保をつけながらも、SNSとは異なり、少なくとも正しい情報の取得を「阻害」(harmful)することはなかった点を評価している。

あらためて感じる伝統的なマス・メディアの意義

これらの知見は、以前、民放連発行の機関紙『民間放送』(2019年6月23日号)で取りあげた、「フェイスブックでわれわれはバカになるのか?」という別のアメリカ人研究者らの論文と符合する。全体的には、テレビ・新聞のニュースに対する関心は政治的な知識レベルを高める一方、フェイスブックの利用はむしろ否定的な影響を及ぼす傾向がある、という内容であった。

あらためて、一定の職業倫理観をもって取材・報道をする、伝統的なマス・メディアの意義を感じずにはおれない。もちろん、SNSとて「使いよう」ではあるし、既存の報道機関との境界線もあいまいだ。日本で同じ調査をすれば、結果が異なる可能性もある。しかし、筆者をはじめごく平均的な受け手の心構えとしては、SNSを通じて間断なく提供されつづける、膨大な量の玉石混交の情報を適切により分け、咀嚼し、体系的に整理する能力は、現時点では十分に備わっていない、と謙虚に考えるのが賢明だろう。

感染症に限らず、最近の国際紛争をはじめほとんどの社会問題に共通するが、ニュースはSNSだけで十分、という過信は禁物だ。とかく集中力を奪うスマホを切り、信頼に足る放送や印刷物に接する時間は、けっして無意味ではないはずだ。

ところが、きわめて憂慮すべきことに、とくに若者を中心とした「マス・メディア離れ」は世界的な潮流だ(ロイター・ジャーナリズム研究所の最新の調査結果『デジタル・ニュース・レポート』を参照)。告白しなければならない。現在のところ、日本、そして世界の民主主義の行く末について、筆者は楽観的な材料を見つけ出せずにいることを――。

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