放送における「差別・人権」を考える~知識よりも大切なこと

遠山 昭弘
放送における「差別・人権」を考える~知識よりも大切なこと

今回、"放送と人権"に関する原稿を執筆するよう、お話をいただきました。非常に重いテーマであり、私自身、そういった原稿を書く資格があるのかと逡巡するところはあるのですが、せっかくいただいた依頼ですのでお受けすることにいたしました。ただ、あまり硬い文章を書いてしまうと、読んでいただけないのではないかと思い、こういったタッチの文体とさせていただきます。

現在のように、ネット空間で罵詈雑言が飛び交う世の中というのも、なかなかすごい社会になってしまったものだと感じています。そういった意味では、"差別やヘイト"という、かつてはおもてになかなか出てこなかったことがらが、平気で多くの人の目に触れるような状況になっています。こういったなかで、放送はどのように"人権"と向き合っていくべきなのでしょうか。とてもむずかしいところですが、やはり、放送はネット空間、特にSNSと同列に考えることはできません。さまざまな意見があると思いますが、私はまだまだ、放送は多くの方から信頼を得ているメディアであると考えています。そんな放送における"人権"を考える場合、"差別"という領域が大きなテーマとなりますので、そのあたりを中心に、基本的な考え方を述べたいと思います。

人を傷つけないという当たり前

放送における「差別・人権」を考えるうえで最も大事なことは、「人を傷つけるのはやめよう」という、ごくごく当たり前の事実にたどり着きます。そして放送でもっとも気をつけるべきとされているのが、「差別用語」と言われているものです。民放連にも、会員社の方から「これは差別用語にあたりますか」といったお問い合わせをいただくことがあります。放送という表現行為をしている以上、用語の使用に敏感になるのは当然のことですし、そういった点に気を配らなければ、番組・CMを家庭に送り届けることはできないと思います。ただ、差別用語にあたるかといったお問い合わせには、「その表現が、差別に苦しんでいる方たちを傷つけ、さらに苦しめる表現であるのかどうか、全体の文脈で考える必要があります」とまずは答えることにしています。この言葉を使用しなければよい、という考え方は一見、解決の近道のように見えますが、「差別をなくす」という目的とは、むしろ正反対の対応であると言えるかもしれません。さらに言えば、いわゆる「差別用語」であっても、差別の実態を伝える必要があれば、放送で使用する場合があるとも考えています。
 
ちなみに、よく「放送禁止用語」なる表現を用いる方がいますが、そういった用語集は民放連にも、会員各社にも存在しません。そういったリストがあって、そこに「正解」が載っているのであれば、こんな楽なことはありません。そのリストのとおりにすればよいのですから。しかし、現実をみれば、そんな簡単なことではないことがわかります。

それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。もちろん、人権に関する知識を蓄えることが最も重要であることは、異論がないところかと思います。最近は、さまざまな書籍や資料がありますので、その気になればいくらでも知識の習得は可能ではないでしょうか。差別表現の問題が明るみになった際に、よく「知らなかった」「差別にあたるとは考えていなかった」といった当事者の弁を聞くことがありますが、やはり、放送のプロがそのような主張をするのを聞くと、悲しい気持ちになってしまいます。

一方で、「考査担当者でもないのに、そこまで知識を習得するのはむずかしいし、そんな必要があるのか」といった声もよく聞きます。こちらも本当にそのとおりであると思います。毎日、とても忙しく業務をこなしているみなさんに、普段の仕事をしながら、人権や差別についてそこまで勉強してください、というのも酷なものがあります。

知識の習得よりも、もっと大事なのは、「こういった表現をすれば、傷つく人がいるのではないだろうか、誰かを傷つけてしまうのではないだろうか」と感じること、そういった「想像力」を持つことなのではないかと思います。そして、そういった場面に遭遇したら、躊躇せずにほかのスタッフと議論し、考査セクション(専門家)に相談してみることです。そういった感覚・想像力を持つことは、そんなにむずかしいことではないのではないでしょうか。教材は、小説や映画やドラマだけでなく、生活のすべてといったところでしょうか。もちろん、私自身、こう立派なことを書いていますが、各社からのお問い合わせには、四苦八苦しながら対応しています。

放送基準は経験の集積でもある

最後に、民放連 放送基準の該当条文を紹介したいと思います。放送基準の第5条に「人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない」という条文があります。さらに、条文に付した解説文で「人種・性別・職業・境遇・信条・障害や身体的特徴、疾病などを表現する時に、なにげない表現が当事者にとっては重大な侮辱あるいは差別として受け取られることが少なくない。当事者の人権を尊重し、かりにも侮辱あるいは差別されたという念を抱かせることのないようにしなければならない。また、言葉の言い換えだけで差別がなくなるものではなく、意識の改革がこれに伴わなければならないことを銘記すべきである」と説明しています。

民放連 放送基準は、諸先輩方の貴重な経験(極論するとこれまでの失敗)を集積したものであると言うこともできます。この条文・解説文に目をとおすたびに、番組を制作・放送するにあたって、人権に関して留意すべきエッセンスがここに詰まっていると感じます。もちろん、放送という表現行為を行い、場合によっては他者を批判する以上、誰も傷つけないということは不可能であると言えるかもしれません。大事なことは、他者の批判に耳を傾け、誤りを発見した場合は、素直に反省し、次につなげることだと思います。

1996年にNHKと民放連が共同で制定した放送倫理基本綱領にあるとおり、放送は「社会に役立つ情報と健全な娯楽を提供し、国民の生活を豊かにするようつとめる」ものであります。言い換えれば、放送は「多くの人を幸せにすること」を目的のひとつとしていると言えると思います。多くの人を幸せにすることを目的としている放送が、「人を傷つける」結果となってしまわないよう、日々、気をつけていく必要がありますし、民放連としてもそのお手伝いができればと考えています。

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