北海道遠軽(えんがる)町。札幌から車で4時間かかる、オホーツク海側の小さなまちで生まれ育ったぼくは、テレビを通していつも「テレビの向こうの世界」を見ていた。
毎朝見る『めざましテレビ』では、今日の渋谷スクランブル交差点の模様。家で夕食を食べながら見る『どさんこワイド』では、建て変わってピカピカになった札幌駅の風景。それらはぼくの日常からかけ離れた、一生交わることのないかもしれない「テレビの向こうの世界」だった。当時の道東エリアは北海道内なのにテレビ東京系列が見られなかったので、大流行したアニメ『ポケットモンスター』さえ、札幌や旭川に行ったときでなければ見ることができなかった。
ローカル局本社から日帰りできない、電波が届かず系列外ネットもない。そんな地域が全国的にも珍しいことを、ぼくは新卒で入社した広告会社で、テレビ広告担当の営業となって初めて知ることになる。
ローカルメディアの台頭、
そしてローカル活動へ
2010年代前半、「ウェブメディア」の大流行があった。00年代前半はインターネットの普及、後半にはブログブーム。その後、SNSの台頭に合わせて、「まとめブログ」形式を中心に、トピックにひもづいたウェブメディアが数多く生み出された。同時期に企業の情報発信がマーケティングの一環として、オウンドメディアを通じて盛んにおこなわれるようになった。
その中で10年代中盤、「ローカルメディア」と呼ばれるタイプのウェブメディアが各地で多数生まれた。ローカルメディアとは、地方または都市の特定のエリアに関して、これまでマスメディアであまり取り上げられてこなかった地域の情報を拾い上げ、住民や関心のある人々に向けて発信するメディアである。ウェブメディアと同様に、▷個人ブログが会社・団体化したもの▷メディア企業がまとめブログ形式で立ち上げたもの▷大手企業がCSR文脈で立ち上げたもの▷個人ブログとしてそのまま活動しているもの――など、さまざまなかたちがあった。こうしたメディアは特に、県庁所在地に本社を置くことが多いマスメディアが詳細な情報を取り上げにくい地方部や、都市部における特定のエリアに多く生まれていた。
<ウェブメディア「オホーツク島」>
私も北海道オホーツク海側地域の情報を発信するメディア「オホーツク島」を16年に立ち上げ、人口30万人のオホーツクエリアの情報発信をおこなった。地域で活動する方々や、地域に関係して都市で活動する方々にインタビューし、その内容を投稿していった。なお「地方創生」という言葉が生まれたのは、第二次安倍内閣が地域活性化に特に注力し始めた14年、ちょうどこの時期のことである。
ローカルメディアは、地域の情報発信を変えた。マスメディアが取り上げない、地域の人々が本当に伝えたい、知りたい地域の情報を伝えた。それは明らかに「テレビの向こうの世界」と異なる、「こちら側の世界」の情報だった。新聞の地方面でしか知ることのなかった情報が、ローカルメディアを通じてネットで知ることができるようになった。ページビューが重視された時代に、ごく小さな情報を扱うローカルメディアが収益を生み出すことは滅多になかったが、その活動は地域の未来を担う人々のつながりを着実に生み出していった。
さらに20年ごろ、SNS利用者の増加にともないメディア環境が大きく変化した。情報は単なる発信だけでは何も届かなくなり、より身近なコミュニケーションをもって届ける必要が出てきた。一方的に発信するだけのメディアから、交流の実態が伴うコミュニティへと形を変えていった。ローカルメディアもローカルコミュニティ、そしてローカル活動へと形を変えていくことになる。
ローカルフレンズが変えた、
地域とマスメディアの関係性
NHK北海道「ローカルフレンズ」の企画はそんな中で生まれた。「地域に必要とされるNHK」を目指して新たな取り組みを模索していたNHK北海道の有志チームが、19年の札幌クリエイティブコンベンション「NoMaps」に登壇していたローカル情報発信者としての私たちを訪ねてくれたことがきっかけだった。その後Facebookなどを通じてコミュニケーションを図るも、なかなか接点を見いだせない。そこで私がローカル情報発信者たちの協力を受け、NHK北海道のディレクターに企画の提案をおこなった。
<実際に提出した企画書の一部>
企画の趣旨は「地域の情報発信者を『ローカルフレンズ』と呼び、テレビを通してローカルフレンズとともに地域の情報発信をする」というもの。ここには、幼少期から感じてきた「テレビの向こうの世界」を、なんとかして「こちら側の世界」にしたい、という強い意図があった。当時東京から来たばかりのディレクターいわく、この時は「よくわからんけどやってみますか」ということだったが、パイロット版の制作に私も加わり、オホーツク地域の方々を紹介することになる。
20年度内の1年間のトライアルを経て、2021年からは「ローカルフレンズ滞在記」として定期コーナー化。「ディレクターが1カ月ローカルフレンズのもとに滞在し、地域の方々と一緒に地域の魅力を発信する」という内容である。話を聞いた時はそんなことができるのだと驚いた。現在まで丸2年ほどの活動があり、15以上の地域で60組以上のローカルプレイヤーを紹介している。この取り組みはNHK地方局としては初めて、2022年のグッドデザイン賞・グッドデザインベスト100の評価を受けた。
従来のテレビ制作は、テレビ局の都合で内容を決め、取材や撮りたい画を撮影し、テレビ局の権限で制作・編集をおこなっていた。それを「ローカルフレンズ」企画は、テレビ局と地域住民が"一緒に"内容を決めて取材を行う。フードトラックに乗るのも、イクラの醤油漬けを作るのも一緒だ。そのうえで、映像の制作・編集は責任を持ってテレビ局がおこなう形をとっている。この制作スタイルが、いかに従来と異なるテレビ局と地域住民の関係性を築いているかは、想像に難くないだろう。
本当の意味で、地域の目線に立つ
リソースのことを考えれば、「地域に1カ月滞在する」というやり方はローカル民放には単純には真似しにくいやり方だろう。しかしこの企画は、やり方そのものよりも「本当の意味で地域の目線に立つ」という部分に重要な意義がある。
従来のテレビ制作は、「撮られる側=地域の人」の意見よりも、多くの場合でテレビ局の都合が勝ってきた。毎日大量の映像を準備して放送する必要を考えれば、やむを得ない部分も多々あるかもしれない。しかし、SNS等でのテレビ局に対する風当たりの強さを考えれば、世間に悪い影響を及ぼしてきた部分も少なくないだろう。そうした印象の積み重ねにより「テレビの向こうの世界」の信用は薄れ、「こちら側の世界」の情報を地域の人々は求めるようになった。
その中で今後ローカル局が地域に役立ち、必要な存在であり続けるためには、「本当の意味で地域の目線に立つ」ことが不可欠だと思う。放送局の優位性の多くが失われた時代に、そこには囲う土地も呼び込む引力も、もはや存在していないのではないか。「刈り取る」人と自分が同じ立場だとしたら、自分が「刈り取られる」ことを想像できるだろうか。ローカルメディアはコミュニティへ、ローカルの発信からローカルの活動へとシフトした。それは発信力の優位性を利用した誘導から、双方の得意技を生かした共創にシフトした状況ともいえる。
ローカル局が得意技を通して、地域の視聴者に、そして「視聴していない人々」に、貢献できることは何なのか。そのヒントを得たければ、ローカルメディアが形を変えたローカル活動に、テレビ局の肩書きを脱いで飛び込んでみてほしい。自分もローカル活動メンバーの一員となり、新しいアクションを起こす。そのために手を動かし、工夫を凝らし、同じ時間を過ごし、ともにリスクを背負う。そうして本当の意味で地域の目線に立つことによって、地域の人が本当に求めるものが見えるかもしれない。
量と質の指標を長期的に積み上げる
もう1つ重要なことは、「割合」の考え方から脱却し、「積み上げ」の考え方にシフトすることである。昨年のワールドカップでABEMAは2,000万人の視聴があったというが、ここに疑問を持ったテレビ局の方々も少なくないだろう。ABEMAの視聴カウントは、番組開始からのユニークユーザーの「積み上げ」であり、すでに離脱した人、その瞬間見ていない人の数も含まれている。この数値の性質は、テレビの最重要指標である「視聴率」の考え方とは大きく異なっている。
でも、それが何だというのだろう。実際にワールドカップを少しでも見た人は2,000万人いる。ページビューから再生回数に至るまで、「量」はインターネットを通じた活動を評価する根本的な考え方だ。同時に、動画配信サービスにおいては、▷ユーザーあたりの視聴時間▷顧客転換率▷LTV(ライフタイムバリュー、1人の顧客が取引を開始してから終了するまでの間にもたらす利益)▷ログイン回数▷エンゲージメント数――など、「量」を評価する指標と別に「質」を評価する指標も取ることができる。視聴の数以上に事業につながる数字や、反響を判断するためにモニタリングすべき数字が多数存在している。テレビやラジオの放送を同じ数値で分析することは難しいが、例えば自社ウェブサイトやSNSアカウント、もっと言えば事業や番組制作、広報や採用に至るまで、この考え方を放送以外の部分で応用していくことは、まだまだ可能性があるのではないだろうか。これこそが、いま世の中で言われている「DX」のいち側面でもある。
量と質をひとつの指標で見極めようとした時代はすでに終わり、積み上がることのない視聴率と毎日刹那的に向き合うことを越えて、量と質の指標を長期的に積み上げることで、地域に本当に必要なものを積み上げていける。「ローカルフレンズ滞在記」は2年間の活動を通じて、北海道内15以上の地域と強いつながりを生み出し、60人以上の(きっと)忘れられない記憶を生み出した。「地域に必要とされるローカル局」を目指していくうえで、本当に必要なのはこういう「数字」ではないだろうか。
優位性による誘導から、得意技による共創へ。刹那的な割合から、長期的な積み上げへ。テレビの向こう側からこちら側に、ローカル局が活動を移していくことができたとき、きっと地域はもっと面白くなる。そんな日がきっと来ることを、日本の片隅でテレビを眺める彼にも教えてあげたいと思う。