テレビの未来 立ち止まって想像する 静岡大学・国立科学博物館共同企画展 『テレビジョン技術のはじまりと発展』を訪ねて

丸山 友美
テレビの未来 立ち止まって想像する 静岡大学・国立科学博物館共同企画展 『テレビジョン技術のはじまりと発展』を訪ねて

「テレビ」と私たちが呼ぶようになって久しい電気家電は、いま、その立ち位置を急速に変えつつある。「テレビ離れ」という言葉をよく耳にするが、テレビ放送事業は奇しくも2月1日に70周年を迎えた。立派なオールドメディアである。

だが、テレビが積み重ねた膨大な時間の始まりは、もう少し前に求める方が正確である。というのは、テレビ放送が始まるずっと前、戦前の日本でその技術開発は行われていたからだ。1924年、静岡県浜松市に新設された浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の助教授として迎えられた高柳健次郎が「無線遠視法」の研究に着手したことで、日本におけるテレビジョン技術の開発は本格化したと言われる。これを始点とするならば、テレビは既に100年近くの歴史を持つメディアということになる。

かつて「テレビジョン」と呼ばれたこの技術は、「離れた場所に映像や音声を送り、それを受信した受像機で再現する放送設備」(企画展会場の掲示パネル「ごあいさつ」より)全般を指して用いられた。この頃、科学者たちが夢見ていたのは、「遠くの人にイメージを伝えることや、はるか遠くの世界の今を見聞き」(同パネル「はじめに」より)できるようにする技術を開発することだった。

国立科学博物館で20221213日から2023年2月5日まで開催された『テレビジョン技術のはじまりと発展』は、そんな科学者たちの足跡の一端をまとめた展示だった。例えばニポー円板テレビの原理実験機や巨大な高柳式テレビジョン装置のスキャンディスク(ニポー円板)など、一度はこの目で見たいと思っていた貴重な資料が公開されていた。ニポー円板テレビの原理実験機は、観覧者が実際にハンドルを回すと円板が左回りで動き始める。すると、円板に開けられた穴を通過した光がその先にある対象物に当たる。円板は左から右へ光線を動かしながらその対象物を照らすことで映像信号を送信機に伝達する。これを受信した受像機は、上から順にそれを並べ直していく。そうやって左から右に読み取った信号を、上から下に連なるように表示していくと、受像機には何かが映るというわけだ。文字を判別するためには、一生懸命ハンドルを回さないと判読できないのだが、離れた場所に映像や音声を送ろうとする当時の熱意が展示一つひとつから伝わってきた。そうして実験と試作を重ね続けた科学者たちは、19261225日、ついに離れた場所にある受像機に「イ」という文字を映すことに成功する。それはテレビジョンという科学技術が、一つの答えに辿り着いた瞬間だった。

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<高柳式テレビジョン装置のスキャンディスク(ニポー円板)

この企画展に携わった静岡大学・青木徹教授は、国立科学博物館との共同企画展は「さまざまなご縁がつながったことで実現した」と話す。「開催にあたっては、訪れた人が実際に実験機を動かす体験型の展示にすると興味関心を集めやすいと科学博物館から提案があり、静岡大学高柳記念未来技術創造館が所蔵する資料を色々と持ち込みました。ただ、その多くは古い実験機や試作品で、科学博物館の空間に合わせて色味や設定を再調整して展示する必要があった」と、苦労や工夫を語った。「機械の機嫌を保つのにも難儀した」と言い、「当時をうかがい知る貴重な資料とはいえ、どれも古く研究途中の成果物が大半ですから、映らなくなったり動かなくなったりとトラブルは色々ありました」と振り返る。

静岡大情報学部で放射線情報学の観点から研究に取り組む青木教授。「私は技術者として、テレビジョン技術の一つ一つがどう開発されたのかに興味を持って資料に目を通してきました。実際、今回の展示もテレビジョン技術を一般向けにわかりやすく伝えることを心がけました。でも、高柳先生のご著書や研究ノートなどを読むと、議論はそこで終わっていない。むしろ、テレビジョンという技術がどんな文化に発展する可能性があるのか考えようとした思索の跡があります。私はテレビ文化という切り口からテレビジョン技術のことを考えたことはありませんが、科学の発展と文化の形成の両面を解き明かしていく"文工融合型"の研究を静岡大から発信できるようにしたいと考えています」

離れた場所に映像や音声を送りたいと夢見た科学者たちは、「イ」という一文字が画面に映ったことを喜んだ。そんな彼らが、あらゆる状況を説明しようとするあまり、テロップに画面を埋め尽くされたいまのテレビの姿を目にしたらどんな反応をするだろう――そんな疑問が私の頭の中に浮かんだ。私は過去と現在の違いに目を向けることこそ、テレビの未来を想像するためには必要な作業だと考えている。それはすなわち、過去にはあって現在のテレビからは失われたものに目を向ける作業であり、いまのテレビに足りないものを補い、未来に"何を残さないでおくべきか"を考える思考実験である。企画展『テレビジョン技術のはじまりと発展』は、そんなふうに私たちに立ち止まって考えることを呼びかける展示になっていたと思う。

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<企画展会場入り口の模様>

この企画展から得た私の気づきは3つある。

1つは、放送に携わるあらゆる人のジェンダー平等を目指すことである。テレビの歴史は技術的にも文化的にも男性支配のもとで編まれてきた。そのことを示すように、科学博物館の隅で常設上映されている東京シネマが製作した『電子の技術――テレビジョン』(1961年)には、黙々とネジ止めとはんだ付けに勤しむ労働者の女性が映し出され、それとは対照的に、企画展ではテレビジョンという新しい技術を開発した科学者の男性が称揚されていた。そろそろ一つの性別に偏らないテレビのあり方が生み出されても良いはずだ。このことは恐らく、新しい視点が備わったり、過去に「面白くない」と捨て置かれたアイデアが芽吹いたりする好機になるはずだ。

2つ目に、テレビが重ねた時間の長さを「古さ」として片付けず、それを活用して「継承」する試みを始めることである。テレビは、電波を送り放っぱなしにすることで、現在だけを追い続けるメディアとして現れた。だが、過去の取り組みを適切に評価しないまま、新しい表現や技術を生み出すことは容易ではない。古いと思い込んでいるアイデアや手法の中に「新しさ」を発見し、それを現在の文脈に埋め込んで実践するとき、既存の評価が一新されることもあるはずだ。

3つ目は、先の議論と逆説的になるが、前例の踏襲と継承に躊躇する勇気をもつことである。制作現場で語り継がれる伝説的な番組を見返した時、その表現方法に眉をひそめたり目を背けたりした経験のある人は少なくないはずだ。差別的、性的、暴力的な表現は最たるものだろう。過去を振り返る意義は、現場で流通する「あたりまえ」を疑い、立ち止まって考えながら修正していくことにある。経験の長さや踏んだ場数は関係ない。残したくない現在を未来に継承しないために一歩引く勇気も必要である。

ここまで色々書いてきたが、メディア文化史を専門に研究してきた私の企画展探訪レビューが、放送に携わる皆さんの現在に届き、未来を考えるお手伝いになっていたら幸いである。

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