"隠れたカリキュラム"とメディア~「子どもとメディア」①

加藤 理
"隠れたカリキュラム"とメディア~「子どもとメディア」①

メディアが子どもに与える影響について論じる貴重な機会を与えていただきました。さまざまな角度から子どもとメディアについて考える場にしていきたいと思います。

テレビ・ラジオが子どもに与える影響に対して、社会はとても敏感です。少年犯罪が起こると、メディアの影響ではないかとの指摘がしばしばあがります。1988年から89年にかけての東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人宮崎勤元死刑囚が、暴力的・性的・猟奇的な内容のマンガやビデオを多数所持していたことから、それらの影響が指摘されたことを記憶している方もおられるでしょう。この事件の後、有害コミック騒動が起こり、青少年とメディアの関係、特にメディアが及ぼす悪影響の問題が大きく取り上げられることになりました。

私が委員を務めたBPO青少年委員会でも、2000年から04年にかけて、青少年へのテレビメディアの影響調査を行いました。15年には中高生の生活とテレビに関する調査、18年には青少年のメディア利用調査を行い、科学的知見を得るための取り組みを続けています。

こうした社会の動向やさまざまな取り組みを視野に入れながら、子どもとメディアについて、これから多角的に考えていきたいと思います。

教育の世界で近年注目されている言葉の一つに、「隠れたカリキュラム」というワードがあります。このワードは、教育する側が意図する、しないに関わらず、学校生活を営む中で、児童生徒自らが学びとっていく全ての事柄を指すと説明されます。たとえば、児童生徒を教師が力で押さえつけて支配することが日常的になされている空間では、力が人を支配することを是とすることを、「隠れたカリキュラム」として児童生徒は学び取っていくことになります。いじめ事件の中には、こうした場のあり方が「隠れたカリキュラム」となり、児童生徒の中にいじめを生む土壌が形成されるケースがあることが指摘されています。

テレビ・ラジオの青少年への影響を考える際にも、「隠れたカリキュラム」というワードから見えてくることがあるのではないかと思います。

性的な表現と暴力的な表現に対するクレームは、テレビ・ラジオ番組へのクレームの中での双璧です。筆者がBPO青少年委員会の委員だった期間にも、性的表現と暴力的表現へのクレームは頻繁に寄せられていました。これらの問題についてはまた稿を改めて取り上げたいと思いますが、他者が大事にしているものを土足で踏みにじるような行為に対するクレームも、しばしば見られました。

一つの例をあげてみます。私が見たある番組の中で、俳優夫婦の別荘に遊びに行った芸人たちが、俳優夫婦から焼肉やワインをふるまわれる、というコーナーがありました。楽しく飲んで騒いでいるうちに、芸人たちが暴走し始めます。やがて、別荘の中に置いてあったワインを勝手に開けて飲んでしまいます。それは、俳優夫婦の一人娘が生まれた日付が刻印された記念のワインでした。俳優夫婦にとってはこの世に二つとない大切なワインであり、このワインは絶対に開けない、と芸人たちにも伝えていたワインだったのです。

芸人たちがワインを飲んで大いに盛り上がっている様子を楽し気に見ていた俳優夫婦は、娘が生まれた日付が刻印されたワインを勝手に開けて飲んでいることに気がつき、顔色が変わります。その場の空気も凍り付いてしまいます。気を取り直した俳優の、「まあいいか」の一言で、再び芸人たちは飲めや歌えの大騒ぎを展開する、というコーナーでした。

これらのシーンは、番組上の演出だったと思います。娘が生まれた日付が刻印された本物のワインではなく、ダミーのワインを用意していたと考えることが自然でしょう。演出側からすると、日付の刻印されたワインを本当に開けてしまったと視聴者に思わせられるかどうかに、このシーンの成否はかかっています。クレームが多かったということは、俳優夫婦も芸人たちも、演出意図を見事に達成して視聴者を信じ込ませたということになるのでしょう。

視聴者が、番組の演出意図を汲み取り、画面に映し出されているその裏側を探りながら見ることは稀だと思います。そもそも、そんな醒めた目で番組を見ていても面白くありません。このシーンが多くの視聴者から問題とされたのは、他者が大切にしているものを土足で踏みにじりながら、そうした行為を笑いのネタにする、ということにあります。他者が大切にしているものを土足で踏みにじり、相手が悲しんだり困惑したりすることもお構いなしに、傍若無人に振る舞う様子から笑いを生もうとすることに対して、多くの視聴者は大きな違和感とともに、人と人との関係で大切にされてきたことが崩壊していくことに対するある種の危惧を感じたのではないでしょうか。

このシーンに対して世間が示した反応を、「隠れたカリキュラム」というワードですくい取ってみましょう。他者が大切にしているものへの敬意や配慮を伴わず、他者の心を傷つける行為が番組の中で頻繁に見られ、さらにそうした行為が笑いのネタとして面白おかしく表現されていく中で、青少年の心にどのような影響がもたらされるでしょうか。

過激なシーンや表現を子どもたちがまねをする、といったことを多くの人々は警戒します。過激なシーンによる直接的な影響も、確かに心配です。ただ、それよりも、テレビやラジオに見られる表現が、「隠れたカリキュラム」となって子どもたちの心をいつの間にか浸食していく方が、表面的にその影響が見えないだけに、より根深い問題となっているように思われます。例としてあげたシーンの場合も、違和感を持ったり怒りを感じたりした視聴者ばかりでなく、芸人たちの振る舞いとそれによる俳優夫婦の困惑ぶりをゲラゲラ笑っていた視聴者も大勢いたと思います。

子どもとメディアの日常が、隠れたカリキュラムとなって、じわじわと青少年に影響を与えている現状を注視することは、これからのメディアを考えていくうえで重要です。「隠れたカリキュラム」というワードは、視聴者、番組制作者、出演者等、メディアに関わる全ての人々にとって大切なワードになっていくのではないでしょうか。

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