「放送基準、作りました」 〜毎日放送64年ぶりの取り組み〜

中西 正之
「放送基準、作りました」 〜毎日放送64年ぶりの取り組み〜

手元に白い一冊の小冊子があります。「毎日放送 放送基準」。制定されたのは1958(昭和33)年で、民放連放送基準にほぼ準じた「一般基準」「広告基準」はたびたび改正されてきましたが、憲法にあたる「前文」と「綱領」は64年間ほぼ変わっていません。「放送法」が守らなければならない法律なら、「放送基準」は自分たちで守ろうと決めた約束です。現場を駆け回る報道記者、バラエティ番組に携わる制作ディレクター、広告主や広告会社と向き合う営業マン、会社を支える経理、人事――全員に配られているはずのこの冊子をどれだけの局員が見ているでしょうか。

「もう一度自分たちの約束を自分たちで作ってみよう」と 2022年9月1日、8人のメンバーを集めた新「毎日放送 放送基準プロジェクト」が始まりました。

画像1.jpg

9月1日の正式な社達の前に8人のメンバーが初顔合わせ。忙しく、また東阪に分かれているので夜にひっそりとリモートでの開催です。コンプライアンス局長から「放送基準は毎日放送の憲法。今の現場を支えている人たちの言葉で作ってほしい」との掛け声を合図にまずは自己紹介をしました。メンバーはリーダーである報道センター副部長(40代)を筆頭に報道(番組センター)、編成、アナウンサー、編成、コンテンツ戦略(東京)、制作(同)、制作(大阪)、人事――と年代も20―50代までバラバラ。同じ会社の人間とはいえ、部署が違えば育ちも考え方も全く違います。自己紹介は、自分が経験していない部署・仕事へのコンプレックスや引け目が垣間見えた時間となりました。最後に「これまで放送基準はほとんど見たことがなかった。みなさんの経験を頼っていろんなディスカッションをしながら前に進めたい」とリーダーから一言。

正解のない雲をつかむような作業であり、放送基準を作る前にこれまでの経験から思っていることを話すことに。若手からベテランまでそれぞれが日々放送に感じていることを見つめ直し、告白する場になりました。震災や事件取材における顔写真、隠しカメラについて語る報道やアナウンサー、視聴率について語る編成、バラエティとコンプラについて語るコンテンツ、SNSにはびこる「正論」について語る制作――と順番に体験や思いが語られます。この日欠席した人事(採用担当・20代)のメールには「メディアに対する信頼感は落ちていると思いますが、知らない人が放送を見て感動したと言ってくれると心が震えます。SNSとは異なり、私たち放送人には自分たちの放送が誰にどのように伝わるのか責任があります。学生たちにこのような説明をすると、納得してSNSとテレビの違いを理解してくれます。今回のプロジェクトをとおして、次の世代にも放送の意義や重要性が伝わるような前文にできたらいいなと思っています」と書かれていました。

改訂前 前文.jpg

「まずはそれぞれのメンバーで書いてみよう」

放送基準ができた当時は、日本が終戦からの復興へ向かって経済、娯楽あらゆる面で権力を批判、風刺し自由を求めたエネルギーあふれる時代。古めかしい言い回しはありますが、あらためて従来の前文を読み直すとメンバーからは意外にも「とてもよくできている」という意見が相次ぎました。60年以上経て、精神は受け継ぎながら今の時代にふさわしい言葉とは。

「正論と正義」「制作者の押し付け」

職歴が違えば価値観、大切にする言葉が違います。主に制作畑を歩んできた局員がこだわったのは「正論と正義」でした。誰もが発信できる時代。放送局も番組作りにおいて日常的にSNSの影響を意識せざるをえず、振り回されることもままあります。制作局員は「偏った正論正義に安易に寄りかかることなく」という文言を入れたいと主張しました。思いはわかるけれど、誰が「偏った」と判断するのか? この文言は最後まで長い議論となりました。また、その局員は「放送している側は『伝える義務』とか『尺がないから編集で切る』など自分の都合を押し付けがち」とし、「制作側の都合を押し付けることなく」と入れたいと主張。

これには報道畑を含め複数の局員から「押し付け」という言葉に抵抗感を示し、言葉が強すぎないかなど職場の温度差が見える場面でした。ただ報道であれ制作であれこのプロジェクトでメンバーに共通していたのは、「テレビはどこか上から目線」という意識。64年前の前文もどこか権威的で、「だ・である」調がいいのか「です・ます」調がいいのかという議論にもなりました。

「信頼」「地域」「アーカイブ」――
火曜夜のラジオ番組

阪神・淡路大震災を伝えたアナウンサーが一貫してこだわったのが「信頼」と「地域」でした。「地域の暮らしに寄り添う」「災害でも放送を止めることなく」などの文言が出た時、メンバーに報道経験があるかどうかなど職歴によって微妙に感覚が違いました。地域に根差した放送局でありながら、現実的には配信で全国に発信される時代に「地域」という言葉はどうするか。命を救う報道と言うが、実際に救っているのは警察や消防ではないのか――。

新しい言葉を入れたいという意見も出ました。結局採用にはなりませんでしたが「彩りある」や「エシカル(倫理的な)」などの案も。コンテンツ戦略の局員は「産業経済の繁栄」にこだわりました。視聴者も大事だけれど広告主やCMに対する言及も必要では。利益がないと健全な報道や番組制作ができない。建前になりがちな作業に本音の言葉は迫力を持ちますが、具体的にどんな文言にするのか。

今回の議論で大きなテーマとなったのが「アーカイブ」です。放送は流れて消えてしまうのが当たり前の 60 年前と、あらゆる形でいつまでも映像が残る現在とでは番組の捉え方がかなり違います。新しい放送基準に「アーカイブ」という言葉を入れるかどうか。時代が変われば番組の見られ方も変わるかもしれない。そこまで責任が持てるのか。ぐるぐる議論が回るオンライン会議はまるでラジオの深夜番組のようでした。火曜の夜に熱くなって文面を作り、また翌日冷静になって書き直すの繰り返し。年の瀬も押し迫った頃、ここまで8人で練り上げてきた文面をメンバーの一人は「深夜2時の恋文」と名付けました。

「放送基準は誰に向けているものなのか」

文言の議論を進めているうちに、根本的な疑問にぶち当たりました。「1割は外向けだが9割は内向けでは」「選手宣誓のようなもの」――など。「短文か長文か」も意見が分かれました。短文だと言い切れない。長文で書くとむしろ言えていない点が気になる......なかなか奥の深い議論になりました。

「民主主義という言葉がこわい」

いよいよプロジェクト案が固まってきた段階で、今さらですが民放連に確認しました。「放送基準は自由に作っていいのか?」「入れなければいけない言葉はあるか?」前者はYes、後者はNo。ただ放送基準で必ずといっていいほど出てくる言葉は「民主主義」と「表現の自由」。放送基準の精神から必須の用語と言ってもいいでしょう。この回答を会議に持ち帰ったところ、メンバーの一人が「民主主義という言葉がなんだかこわい」と言いました。民主主義が大切なことはわかっていても自分たちの言葉で使える実感や確信が持てないという意見。これには他のメンバーも共感しました。

こうして5カ月にわたり20 回の議論を重ねて新しい放送基準の「前文」「綱領」部分が完成。「前文」「綱領」という見出しはやめて、3行でまず放送人としての思いを表現した後、自分たちへの約束をつづる新しいスタイルの「前文」が完成しました。できあがった私たちの「憲法」はこちらです。

まず3行で「放送人としての思い」を語り、

新基準放送①.jpg

続いて「自分たちへの約束」を宣言し、

新基準放送②.jpg

具体的な心得を記しました。

新基準放送③.jpg

新基準放送④.jpg

番組審議会の諮問・答申を経て、2月下旬には「64年ぶりの大幅改訂 MBS放送基準パネルトーク」と題してエッセイストの犬山紙子さんをお招きし、プロジェクトリーダーと若手社員とのトークセッションを行いました(冒頭写真)。翌週には民放連の放送基準改正の説明会を開催し、2週にわたって社内周知しました。

「自分のルールを自分で作る」シンプルな作業は、世代や部署が違う人たちと放送を見つめ直し、新たな発見が生まれることを実感させてくれました。ここまで書いた内容はあくまでいち事務局員としての私の目線であり、メンバーそれぞれが考え抜いたプロセスは、そのまま一人ひとりの8通りのスト―リーになっているのだと想像します。そしてこのトライアルはどの放送局で、どのメンバーでやっても面白くなる予感がします。よろしければ放送基準を作り直してみませんか?

最新記事