石川テレビ・山本岳人さん ベトナムで考える「これからのローカル局」 個の強みを地域に還元【提言!放送の未来】

山本 岳人
石川テレビ・山本岳人さん ベトナムで考える「これからのローカル局」 個の強みを地域に還元【提言!放送の未来】

2018年5月から民放連が刊行する機関紙「民間放送」で続いてきた、放送の未来を第一線の放送人に語っていただくリレー連載「提言!放送の未来」。今回登場するのは、石川テレビを休職し、JICA海外協力隊員としてベトナムのテレビ局で番組アドバイザーを務めている山本岳人さん(=写真㊤※ベトナムの農村地帯で撮影)。


ベトナムのテレビ局で活動しながらTikTokを始めて丸1年。フォロワーは50万人を超えました。視聴者のほとんどが20代以下のベトナム人です。中年の日常を発信するだけの地味なコンテンツにもかかわらず、多くの若者が応援してくれています。予想外の反響に驚いていますが、「これからのローカル局」をつくる一つの手段として、私がひそかに思い描いた展開でもあります。

※TikTokアカウント→www.tiktok.com/@gakujin_asia

「テレビ」と「地方」

地元を元気にする仕事に憧れ、私が石川テレビに入社したのは2005年。テレビ業界がまだ元気いっぱいだったこの年、YouTubeというものがアメリカで誕生しました。テレビ番組の違法アップロードがはびこる得体の知れない存在でしたが、世界中の映像をいつでも無料で見られるその新しいメディアに、新人テレビマンの私は魅力と脅威を感じていました。

営業・報道の両部署でもまれ、10年選手となった頃、得体の知れなかったメディアが頭角を現す一方、「テレビの衰退」をささやく声がこだましていました。

衰退に直面していたのは「地方」もまた同じです。2015年は北陸新幹線の金沢延伸で石川県は盛り上がりを見せましたが、限界集落はとうに限界を超え、人口がゼロになった地区を取材し無力感に苛まれたこともありました。

そんな「テレビ」と「地方」に軸足を置くローカル局は、とかく周囲から悲観的に見られましたが、「やりたいことは何でもチャレンジ」という社風のもとで育った私は、悲観よりワクワクが勝っていました。やりたいこととやるべきことを煮詰めていたある日、「日本とベトナムを結ぶ事業」という一案にたどり着きます。

ベトナムへの道

「放送エリアが県内のみ」というローカル局で新たな事業を起こすには、「放送エリアにとらわれないニッチな強み」が必要だと私は考えました。そこで目に留まったのが、経済成長著しい親日国、ベトナムです。「チャイナプラスワン」の流れを追い風に、全国の企業が続々とベトナムに進出し、日本で働くベトナム人も急増。そんなベトナム市場に情報を届ける手段が、極めて少ないことに気がつきました。メディアとして何か役に立てないだろうかと、夏休みにはベトナムへ渡って情報を集めましたが、具体的なビジョンはなかなか描けませんでした。

転機が訪れたのは2017年。ドキュメンタリー番組を作る機会に恵まれた私は、中国に住む同世代の日本人ディレクター、竹内亮さんに密着することにしました。元々テレビ業界で活躍していた竹内さんは妻とともに動画制作会社を設立。中国向けのプラットフォームで自ら出演する番組を配信したところ、一躍人気インフルエンサーになったのです。コンテンツを作る「メディア人」であると同時に、「メディア」そのものでもある竹内さんの存在が、私の道標になりました。

ちょうどその年、ベトナムのテレビ局でJICA海外協力隊員が活動していることを、後任募集の広告で知りました。本業の合間に励むベトナム開拓の成果に限界を感じていた中、2年間本業を休職して現地メディアの経験を積むという選択肢は、とても魅力的でした。

ただし海外協力隊はボランティアで、任期中は給料なしの単身渡航が条件です。妻子ある身でこの道を選ぶことに二の足を踏みましたが、妻は渡航を認めてくれて、会社の仲間や上司も快く背中を押してくれました。

番組アドバイザーに就任

2021年9月にベトナムの首都・ハノイへ渡り、翌10月にベトナムテレビ外国語放送局(VTV4)の番組アドバイザーに就任しました。毎週日曜放送の情報番組『ジャパンリンク』の原稿チェックや取材補助、ナレーションなどを担当しています。ベトナム独自のルールや難解なベトナム語に日々手を焼いていますが、日本語が流暢な同僚に助けられながら刺激たっぷりの日々を送っています。

yamamoto-3.jpg

<筆者㊧と『ジャパンリンク』の同僚

配属先は一党独裁体制の政府が管轄する国営テレビであるため、権力の監視という機能はほぼありません。また政府への批判はベトナムの法律上、場合によっては罪に問われます。ただ、YouTubeやTikTokのようなツールに特別な制限はなく、日本で想定していた以上に「言論の自由」はあるように感じます。私も各種SNSを活用し、担当番組の告知に努めていました。

ところが、日本語・ベトナム語併用という番組の特殊性から、不特定多数に番宣をしても効果はほぼありませんでした。「日本に興味があるベトナム人の若者」をコアターゲットに据え、効果的な広報を模索した結果、「インフルエンサー作戦」に着地します。若年層の利用が急増するTikTokを主戦場に、まずスタッフ個人がインフルエンサーとなり、そのスタッフが出演する番組の視聴につなげる作戦です。ヒントになったのは、中国で見たあの道標でした。

想定外のインフルエンサー活動

忙しい同僚に代わり、時間に余裕のある私が作戦の先陣を切ったものの、地味な40代がインフルエンサーを目指すのは無謀に思えました。当初は顔出しをせず、日本語・ベトナム語併用の「旅動画」を作っていましたが、ローカルフードの食リポが異様な伸びを示したため、腹をくくって顔出しを続けることにしました。

すると開始1カ月でフォロワー10万人に達し、3カ月を待たずに30万人を突破。勢いに乗じて番宣や収録時のオフショットを発信すると軒並み数10万回再生され、広報媒体としての手ごたえを感じました。ベトナムは視聴率の概念が薄いため詳しい実態はわかりませんが、日本語を学ぶ学生や日本語教師から「番組を教材代わりに使っている」と、ありがたい声が届くようになりました。

初めは視聴層の関心に沿ったテーマ選定で「広さ=フォロワー増加」を意識していましたが、ある程度軌道に乗ってからは「深さ=フォロワーとの関係構築」を優先しました。ある時は、ベトナムの大学で出前授業をして学生の夢を聞き、それを私の動画で発信する。またある時は、家族と離れて泣きべそをかく自分をさらけ出し、日本で働く人や留学生への共感を示す。そうやって視聴者にエールを送るつもりが、逆に私が日々励まされ、元気をもらっています。

yamamoto-2.jpg

<筆者とベトナムの大学生

帰国後の社会還元へ

いつしか日本やベトナムの企業から、「自社を紹介してもらえないか?」「SNSのコンサルティングをお願いできないか?」という問い合わせが相次ぐようになりました。海外協力隊の身分で副業はできないため、今はあくまでボランティアとしてお手伝いする範囲にとどめています。ただ、ベトナムのメディアで経験を積みながら、自身もメディアとして試行錯誤を重ねる中で、協力隊の理念でもある「帰国後の社会還元」に向けた道筋が、少しずつ見えてきました。

JICA海外協力隊の任期は2023年9月で終わり、その後石川テレビに復職する予定です。この経験をどう活かすのか。まだお伝えできる段階ではありませんが、元気をなくしたローカル局に「チャレンジ」の風が吹く限り、私は個の強みを組織で発揮し、地域に還元します。

しかし「これからのローカル局を作る」という大それた目標は、当然一個人では成し得ません。エリアや系列を問わず、果てはテレビという業界を問わず、さまざまなお知恵を借りながらチャレンジしたいと思っています。全国でワクワクしている皆さま、ぜひ一緒にやりましょう。

最新記事