2019年12月初旬、中国・武漢市で新型コロナウイルスの感染者が報告され、翌年3月にWHOがパンデミックを宣言するに至った。感染症対策として「マスク」「リモート」「アクリル板」などが日常的なものとなり、放送の現場でも対応を余儀なくされた。そして、2023年5月8日、新型コロナウイルス感染症は感染症法上の「5類」に移行された。
民放onlineでは、コロナ禍の放送を連続企画で振り返る。今回はエフエム北海道の森本優氏に「ラジオ番組制作の現場」から当時の苦労や工夫を執筆いただいた。
2020年に突如世界から表情と接触を奪ったコロナの影響とは何だったのか。全ての事象に意味づけをするとしたらわれわれ"ラジオ業界"は何を失い、何を得たのか。はっきり言おう。得たのは「好奇」。失ったのは「好機」である。
「死にたい」という言葉に生かされた
申し遅れました。この文章を書いている私は、エフエム北海道編成制作部アナウンサーの森本優です。当社には報道部、アナウンス部がないので文字どおりアナウンサーという肩書きながら番組のプロデュースをしたり、素材の編集をしたり、イベント制作なども行っています。高知県で生まれ、沖縄県、愛媛県、東京都で学生時代を過ごし、就職を機に北海道に来ました。日常的にラジオが家や車で流れる家庭で育ったこともあり、顔を知らない人の声は身近でした。
2005年10月3日22時。14歳の私は部屋で勉強しながらエフエム高知を聴いていました。その日が私の人生を変えました。ラジオの中の学校『SCHOOL OF LOCK!』が開校。学校という設定とパーソナリティが紡ぐ言葉、ゲストアーティストの音楽に夢中になりました。
ある日の放送で同い年の女の子が電話出演。その子は学校でいじめを受け、家庭では両親から暴力を振るわれていました。数分後、ラジオから「死にたい」という言葉が聞こえた時に心が締めつけられました。その日、最後にその子はなんと言ったのか。「私には学校にも家にも居場所がない。『SCHOOL OF LOCK!』だけが居場所です。明日も放送が始まるまで生きます」と。私は「ラジオってすごい。誰かの居場所になれるんだ。ラジオをやりたい!」と思いました。顔も名前も知らないあの子が私に生きるための夢をくれたのです。
外出系ラジオの天敵
2014年10月、エフエム北海道に入社。入社してすぐに書いた番組の企画書には「イマリアル」というタイトルをつけました。コンセプトは「学生の"イマ"を"リアル"な声で伝える外出系ラジオ」。もっと多くの人にラジオの素晴らしさを知ってもらいたい。だから週に1度学校訪問をしに外に出る。そんな番組を妄想していました。2017年4月、初めてのレギュラー帯番組『IMAREAL』がスタート。公約どおり週に1度の学校訪問を始めました。この文章を書いている2023年5月時点で約17000人の学生に出会ってきました。
ただ2020年3月から6月、2021年5月から7月の間は学校訪問企画を中断せざるを得ませんでした。「緊急事態宣言」は外出系ラジオにとって天敵でした。ですが、コロナの影響で学校に行くことができなくなった私はこれを逆手にとりました。普段は気軽に行けない遠方の学校とコンタクトをとり、農業や漁業に携わる学生と生放送中に電話をつなぎました。これまで出会ってきた学校の先生に協力してもらい、休校や学級閉鎖をしていて学校に行けていない学生に向けて言葉を届けてもらいました。
そんな中で生まれたのが校内ラジオプロジェクト「#一緒にラジオしよう」です。当時「黙食」が学校に大きな影響を与えていました。番組宛てに「給食の時間がつまらない」「昼ごはんの時間に友達と喋ることができなくてつらい」と何通もメッセージが届き、だったら私が喋りに行くと決めました。
早速募集を開始すると数校からオファーがありました。15分程度の校内ラジオを学生と一緒に実施。放送を終えた学生たちの表情をあなたにも見せたい。放送室の外には人だかり。もちろんコロナ禍なので先生たちは大慌て。「こらー!集まっちゃダメだぞー!教室戻れー!」と笑顔で学生たちに声をかけていたのが印象的でした。直接行くことが難しい遠方の学校とはリモートで校内ラジオを収録、編集したものを学校で流してもらう仕組みにしました。
その結果、校内ラジオをした学校の学生から番組宛てにはたくさんメッセージが届くようになりました。「初めてラジオを聴きました!」「僕のリクエストを流してくれてありがとうございました!」という言葉。そして一緒に放送した学生からは「森本さんが来てくれたことをきっかけに週に1回、校内ラジオをやることになりました!」といううれしいおまけつき。コロナのせいで学校に行けなくなった時期に、コロナのおかげで出会えた学生が多くいました。
IMAREAL 学生芸術祭2022
コロナ禍で学生たちが考えていたことの一つに「部活をやる意味」というテーマがありました。大会の中止、開催されてもリモート、コンクールは家族さえ見に来てもらえないなど、学生たちは「誰かに見てもらうこと」が部活の原動力になっていたことを知ります。実際、私が取材したいくつかの学校ではコロナ禍になってから部活動に入る人数が減っていました。
そこで思いついたのが「学生芸術祭」という企画。ラジオが会場になれば北海道内、そして全国のリスナーに学生たちの声や音を聴いてもらえる。吹奏楽部、軽音楽部、放送部、合唱部、演劇部など、声と音楽で表現できる部活を集めて発表会をしよう! というのがこの企画です。構想を始めたのは2021年の年末。放送日は2022年10月21日。最終的に出てくれる学校が決まったのは2022年7月でした。市立札幌新川高校吹奏楽部、札幌市立手稲東中学校太鼓部、札幌北斗高校演劇部、北海道札幌月寒高校マンドリン部、北海道函館西高校放送局、札幌第一高校合唱部、北海道網走南ヶ丘高校放送局の7校です。
具体的に動き始めたのは8月頃。週に1度の学校訪問が8月からは週に2度の訪問となりました。さっきまで札幌にいたのに気づいた時には函館で取材をしている。それくらい無心になって学校に通っていました。各学校の取材も無事に終わり、迎えた本番当日。市立札幌平岸高校校長の開会宣言から始まった4時間の学生芸術祭はあっという間に終わりました。
放送中はもちろん、放送後にも多くのリアクションをいただきました。まずは参加した学生や先生の喜びの声、学生の保護者からは「自分の子どもの演奏を初めて聴くことができました」という感謝の言葉、そして社内外からの評価も高かった。その理由の多くは「コロナ禍でも直接学校に行っている」ことでした。
<函館西高校放送局の皆さまと筆者>
「学生向け番組」の向かう先
全国各地に存在する「学生向け番組」と呼ばれるラジオ番組は果たして本当の意味で学生に向いているのかと感じることがある。学生に人気のタレントやアーティストを起用することも大切だが、私は「学生から向かって来てもらう番組」ではなく「学生のところにこっちから向かって行く番組」が必要だと考えている。若者のラジオ離れという言葉があるが、そもそもラジオを聴いたことがない子が多いので離れているわけではない。まずはくっつく作業が必要である。コロナ禍こそラジオ界の好機だったはず。ラジオから学校にアプローチし、ラジオ局のタイムテーブルを配布したり、ラジオを聴取するためのビラを配るなど、全国規模で展開していたら今はどうなっていたのか。コンテンツは増えていくのに、1日の時間が24時間なのは変わらない。未来のリスナーは待っている。「好奇」を得るための「好機」を失うな。