2019年12月初旬、中国・武漢市で新型コロナウイルスの感染者が報告され、翌年3月にWHOがパンデミックを宣言するに至った。感染症対策として「マスク」「リモート」「アクリル板」などが日常的なものとなり、放送の現場でも対応を余儀なくされた。そして、2023年5月8日、新型コロナウイルス感染症は感染症法上の「5類」に移行された。
民放onlineでは、コロナ禍の放送を連続企画で振り返る。今回は千葉大学大学院の神里達博教授に放送のコロナ禍との向き合い方を執筆いただいた。
本稿では、この3年あまりのコロナ・パンデミックにおけるメディアのあり方を概括的に振り返り、特にパンデミックの複雑さや不確実性と、放送がどう向き合ってきたのかを考えてみたい。もっとも、網羅的な議論にはなっていないし、そもそもメディア論は専門外なので、見当違いなことを書いてしまっている可能性は大である。それでも、この門外漢の見立てが、メディアの未来を考えるために、いくばくかでもヒントになれば、それは望外の喜びである。
目次
・リスクの実態とイメージのギャップ
・どんなメディアに頼ったのか
・テレビの立ち位置
・コロナの不確実性
・トランス・サイエンス的課題
・おわりに
リスクの実態とイメージのギャップ
周知のとおり、新型コロナ感染症(COVID-19)は、2019年末に中国・武漢で確認されて以降、急速に世界に拡大し、各国は緊急事態へとなだれこんでいった。おそらくパンデミックの始まりの頃は、この病気をとても恐ろしく感じた方も多かったはずだ。
その後、私たちは何度かの感染拡大の「波」を経験してきたが、2023年5月には「5類への変更」がなされ、ほぼ同時にWHO(世界保健機関)も、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言を終了すると発表した。おおむね一般の人々には、「コロナも終息に向け、大きな節目を迎えた」と受け止められているのではないか。
だが、これまでの日本での死者数を調べてみると、意外な印象を受ける。2020年初頭にいわゆる「第1波」が来たが、実は「第5波」以降は、「波」が来るたびに、死者数が増え続けているのだ。例えば、2022年8月末をピークとする第7波では第1波の15.7倍、2023年1月頃をピークとする第8波では同じく28.6倍の方が亡くなっている(注1)。
もちろん、ウイルス自体の変異や、ワクチン接種など対策の充実により、この病気の具体的な姿はこの3年間で大きく変化した。基本的には死亡リスクは下がったものの、感染者数がそれ以上に増えたと考えられる。また第8波では、元々基礎疾患を抱え弱っている高齢者が多い施設などでクラスタ-が発生し、感染が引き金となって亡くなるケースが多かったという(注2)。流行の初期で報じられた、人工肺"ECMO"が使われるような重症例とは、かなり病像が違ってきているようだ。
とはいえ、2023年に入ってからも「桁違いの犠牲者」が出ているという実感は、日本社会において共有されていないのではないか。
このようにコロナ・パンデミックにおいては、医学的な意味でのリスクと、政策的な対処、また私たちの病気に対するイメージは、必ずしも互いに一致しない。それはなぜなのだろうか。
まず考えられることとして、この病気のもたらす影響が非常に広範囲で複雑であるため、どういう観点で、誰の立場から、どのくらいの時間的・空間的スケールで捉えようとするかによって、この病気の様相が大きく異なったものに見えるということがある。
例えば、繰り返し語られてきたとおり、企業や学校などの活動を減らせば感染確率は下がるが、社会全体のさまざまな人々の経済的利益や、教育を受ける権利などが損なわれる。このようなリスクのトレードオフがパンデミックにおいてはしばしば生じたわけだが、この例一つをとっても、立場や時期、問題を理解する視点が違えば、同じ政策でも受け止め方は大きく変わることが分かるだろう。
従って、やや誇張して言うならば、「あなたにとってのコロナの経験は、『あなた』の数だけ存在する」ということになる。だとすれば、そのような複雑で多様な出来事を、メディアはどのように伝えたのだろうか。
どんなメディアに頼ったのか
このことを考える前にまず、パンデミックにおいて人々はどんなメディアから情報を得ることが多かったのかを確認しておこう。
世紀転換期くらいまでの私たちは、さまざまな社会の出来事について、新聞・放送・出版などのマスメディアを通じて知ることが多かった。しかしインターネットが一般化し、さらにスマートフォンが世界的に普及し始めたこの10年ほどで、その様相が世界的に大きく変貌したのは、周知のとおりである。
そんなITが浸潤する時代に広がったCOVID-19について、人々はどんなメディアに頼ったのか。これについてはいろいろな調査が始まっているようだが、どうやら従来型のメディア、特にテレビに依拠する割合が大きかったことが分かってきた。
例えば日本を対象とした2020年の調査(複数回答)では、95.6%の人がテレビを情報ソースとしており、ネットのニュースサイト(68.5%)や新聞(62.8%)、家族や知人(57.1%)と比べても、かなり高かった。一方で、ソーシャルメディアと答えた人はわずか18.6%に過ぎない(注3)。また、報道のみならずドラマなども含め、コロナ期にテレビの「復権」の傾向が見られたという報告もある(注4)。
これらを見る限り、少なくともCOVID-19のパンデミックという世界的危機において、私たちの社会のマスメディア、特に「テレビ」の持つ力は、依然として大きかったと総括できるだろう。緊急事態においては、新しいメディアよりも、慣れ親しんだマスメディアが頼りになると考えた人が多かったのかもしれない。このことは、衰退傾向が指摘されるようになって久しい放送業界にとっては、なんらかの転機となる可能性もあるかもしれない(注5)。そこで本稿では、以下、特にテレビを中心に考察を進めてみたい。
テレビの立ち位置
さて、先ほど触れたように、コロナ・パンデミックは非常に複雑で、さまざまな側面がある。立場が違えば、別の姿に見えてくる。ならばテレビは、その複雑さ、多元性、多様性を適切に伝えることができたのだろうか。
まず、緊急性の高いトピックに関して言えば、報道番組においては基本的に、政府の公式見解に若干の解説を付けて伝えるというスタイルが多かったと思われる。パンデミックは時間との勝負という側面もあり、またテレビ報道のメリットは速報性にあることを考えれば、そのようなスタイルになるのはある意味で当然だろう。主流の専門家の見解や政府の責任者の決定内容を正しく伝えることこそが、緊急時の報道の重要な役割だという考え方は、常識的ともいえる。
一方で、緊急事態ゆえに、テレビ報道が通常よりも政府と接近しているという印象を受けた人もいるかもしれない。そこに違和感を抱いて、あるいは決定内容そのものへの疑義などから、政治や科学の示す対処方針に同調しない人々も一定程度現れた。では、そのような意見はどんなメディアで表明されたのだろうか。
一般に、公衆衛生上の政策決定に対して異を唱える時に使われたのは、まずはソーシャルメディアであったと考えられる。当然ながらそこに登場する言論はさまざまで、スタンスにも幅があった。例えば、マスクの使い方についての議論やリモートワークの評価、またPCR検査の不足問題やワクチンのリスクといったものが、トピックとして多かったように思う。しかし一部では「標準的な科学」の枠を逸脱し、むしろ「陰謀論的」と言うべきタイプの発言も見られた。
しかしテレビも主流派の見解のみならず、そのような非主流派的な言論の(その中の比較的穏健な)一部も取り込む「枠組み」を持っていたと考えられる。例えば、「ワイドショー」では、政府の方針をかなりダイレクトに批判することで有名になった論者もいる。またコロナに翻弄される一般市民の悩み、あるいは自粛要請に苦しむ飲食店の本音を日々伝えていた。
加えて、「バラエティ」や「ドラマ」の枠でも、「コロナの時代」を少し異なる視点から扱ったものが見られた。例えば『#リモラブ〜普通の恋は邪道』(日本テレビ系、2020年10―12月)は、コロナに翻弄される産業医が主人公であり、さまざまなディテールも含め「コロナ時代」を前提としたストーリー構成となっていた。2020年の前半はドラマの撮影自体が困難であったことを思うと、短期間でこのような作品に仕上げることができたことは、テレビが底力を発揮したとも言えそうだ。
このようにテレビは元々いくつかの枠組みの集合体であるため、かなりさまざまなモードで情報を提供したり、議論のアリーナを構築したりすることが可能であったと言える。これは、冒頭で指摘したコロナ問題の「複雑さ」と向き合う際に、他のメディアと比べ有利に働いた点かもしれない。
コロナの不確実性
では報道番組のあり方について、もう少し考えてみよう。先ほど触れたように、報道は基本的に政府から発表される主流的な見解を、比較的政府に近い立ち位置から報じるものが多かったように思う。
しかし、そもそもCOVID-19は未解明性が非常に高い、新興感染症である。世界中がさまざまな対応を模索しながらもうまくいかず、かなりの人命が失われたり、社会システムが混乱したりといったことが起きた。そうなったのもやはり、COVID-19に関する科学自体が基本的に発展途上であり、さまざまな点で不確実性が高かったということが大きく影響していると考えられる。
実際、番組に登場する「専門家」と目される人たちの見解も、常に一致していたわけではない。注意深く発言を聞いていれば、同じ医師であっても、例えば公衆衛生の専門家と、呼吸器の臨床医では、病気に対する見方はかなり異なることが分かる。
このように言えば、「政府に批判的だったのは一部の在野的なスタンスの専門家だけではないか」と感じる方もいるかもしれない。だが、政府の対策のための組織に入って、科学的助言を続けてきた専門家の中にも、異なる考え方が存在していた。例えば「8割おじさん」というニックネームがついた京都大学の西浦博教授は、日本という国に人生で初めて絶望したと新聞のインタビューで答えている(注6)。
さらに言えば、そのような科学的な意味での未解明性・不確実性に加え、そもそも「正しさ」を語るための価値基準が、この問題では自動的には決まらないという点も忘れてはならない。先ほども少し触れたが、光の当て方によってコロナの様相は大きく変化するため、個々の政策決定の「正しさ」もまた、立場の違いで大きく異なるものに見えるのだ。学校の休校、飲食店の休業要請、「トリアージ」の議論、いずれもその典型だろう。
このように、コロナ・パンデミックにおいては、特に初期の段階では、もっぱら科学的な論点でさえ、医療・科学の専門家にも明確には分からないことがあり、専門家の中で必ずしも意見が一致しない場合もあった。科学だけでは答えが決まらないがゆえに、別の利害対立の影響が大きくなり、なかなか結論が定まらなかったり、合意形成が困難ないし不安定になったりするケースも出てきた。
だとすれば、報道番組において政府の公式見解を流すにしても、もう少しそれらを対象化し、その背景を掘り下げるような報道を厚くしてもよかったのではないだろうか。
トランス・サイエンス的課題
不確実性の高い社会問題の扱い方という観点から、さらに掘り下げてみたい。
パンデミック期における政府の諸政策・諸決定の中には、当初から批判され、また現在も否定的に言及されているものも少なくない。先ほど触れたPCR検査の不足問題や、いわゆる「アベノマスク」の問題、さらにGoToキャンペーンやオリンピック・パラリンピックへの対応など、時には国論を二分する議論になった。
これらは、科学的な要素と政治的な要素の両面が、さまざまなレベルで関係してくるため、おのずと複雑な議論になるという性質がある。
だが実は、このような問題構造はパンデミックに限った話ではない。一般に、科学的不確実性が高い問題に対処するには、(自然)科学だけで自動的に決定しない側面が残るため、必然的に科学以外の判断基準を動員することが必要になる。これは、地球環境問題であれ、生命倫理であれ、エネルギー問題であれ、共通している。これらは、一見すると科学的な問題に見えるため、専門家に問うてみるのだが、しかし実際は科学を超える要素が関わってくるがゆえに、本来は個別の専門家だけでは判断ができないタイプの問題なのである。
このような問題域を50年ほど前、米国の物理学者ワインバーグは「トランス・サイエンス」と名付けた(注7)。パンデミックへの対処は、典型的にトランス・サイエンス的課題なのである。
しかし政府は、実際には科学以外の要因がさまざまに影響しつつ選択された政策決定でありながら、あたかも科学的理由のみで決まったかのように説明することが多かったと思われる。これは結局、政治の側が、助言者である医療・科学の専門家に対して、政策決定の責任を転嫁したことにほかならない(注8)。
本来メディアは、そのような科学と政治のせめぎ合いの構造にこそ、切り込むべきだったと考えられる。政策決定の結論を報じるだけではなく、例えば「専門家の間で合意ができているのはここまで。ここから先は、以下の条件を考慮し、政治的な判断の結果、この結論となりました」といったいわば「舞台裏」の解明ができたなら、科学者と政治家の責任分担も明確になり、より納得のゆくリスク・ガバナンスが可能になったのではないか(注9)。
もちろん、科学と政治の両面からリアルタイムで取材・分析し報じるのは容易なことではなかったであろう。当然、かなりハイレベルの専門知識が必要になる。とりわけテレビの報道は、新聞などと比べて一般に記者の数も少ないと聞く。
なかなか難しい課題かもしれないが、今後のテレビ報道も含めたジャーナリズムへの宿題として指摘しておきたい。
おわりに
以上、ごく大ざっぱに、この3年間のメディア、特にテレビのコロナ対応について見てきた。先ほどは少し苦言めいたことも書いたが、グローバルに相互依存した複雑な現代社会にあって、これほど大規模なパンデミックが起こったのは人類にとって初めての経験である。誰もが難しい課題に取り組むことを強いられたはずだ。その意味で、日本のテレビは基本的には、まずまずの役割を果たせたのではないかと、率直に感じている。
そう考える一つの間接的な根拠は、COVID-19による総死者数の国際比較である。この3年間における人口当たりの日本の総死者数は、アメリカや英国の約6分の1、欧州では比較的犠牲者が少なかったドイツの3割に満たなかった。また、パンデミックの初期は東アジアや東南アジアの中で比較すると日本の感染者は相対的に多かったが、オミクロン株の登場以降は近隣諸国でも感染が急拡大し、人口当たりの総死者数は台湾や韓国よりも少なく、フィリピンとほぼ同じ、タイやベトナムをやや上回る位置である。そもそも、この病気は高齢者ほどリスクが高いことを考えれば、老人国家・日本の「防御力」の強さには驚かされる(注10)。
この結果は、まずもって医療関係者、そして一般市民の努力と忍耐のたまものだろう。そしてテレビは、そのような「日本的なコロナへの対処」についての、いわば「壮大な井戸端会議」を毎日主催することで、日本全体の緩やかな合意形成を促す役目を果たしたといえるのではないか。
複雑で流動的・多面的なパンデミックという現象は、堅いメディアだけではどうしても取りこぼしてしまう、小さいけれど重要な論点を数多く伴っていたと思う。また逆に、ある程度、総合的な視座を用意しなければ、社会としての考え方の基準も定まらなかっただろう。個別性が強く極論が出やすいネット言論は、案外、パンデミック対応には不向きだったのではないか。
というわけで、やり方は必ずしもスマートではなかったかもしれないが、それでも、本来の意味でのリスクコミュニケーションのアリーナを、日本では結局、テレビが構成していたように私には思われるのだ。
もちろん、個々の問題や扱い方について、注文を付けるべき点は他にも多々あるだろう。出演を依頼する専門家の選び方は適切だったのか。また、さまざま点で配慮に欠けていたり、時には「同調圧力」の発生源にもなったのではないか。
だがそうだとしても、未解明性が高く、複雑で多様な側面を持つパンデミックに向き合ううえで、テレビの持つ守備範囲の広さと高い柔軟性は、かなり役立ったと思うのだ。
これらのことを踏まえつつ、いずれまた起きるであろう「コロナ級の社会的危機」に対処するために、今回のパンデミックへの対応を自ら検証する作業を、今後も進めていただければと思う次第である。
注:
(1)Johns Hopkins大学が公表する、2020年1月23日から2023年3月9日までの日本の死者数のデータ(Johns Hopkins CRC 2023)と厚生労働省が公表する2023年3月10日から2023年5月9日までのデータ(厚生労働省 2023b)に基づき、第1波から第8波までの死者数をそれぞれ算出した。なお、「波」と「波」の境界は、データの7日間移動平均の最小値をとる日付とし、ここではそれぞれ「第1波」は2020年1月23日から7月9日、「第5波」は2021年7月23日から12月30日、「第7波」は2022年6月20日から10月25日、「第8波」は2022年10月26日から2023年5月1日、としている。
(2)NHK 2023 や 厚生労働省 2023a などを参照。
(3)Ishikawa & Kato 2023
(4)田窪 2020など。
(5)本稿では主としてテレビについて扱ったが、ラジオの復権についての報告もある(永須 2021)。
(6)毎日新聞「西浦教授が人生で初めて絶望した日 8割おじさんに聞くコロナの今後/上」
(7)詳細は 小林 2007 を参照されたい。
(8)科学的助言のあり方については、政治学者のPielkeが優れた整理をしている(Pielke 2007)。
(9)パンデミックにおける科学と政治の関係については、 神里 2023 を参照のこと。
(10)Johns Hopkins大学が公表する、2020年1月23日から2023年3月9日までの各国の死者数のデータ(Johns Hopkins CRC 2023)によった。
文献:
・Hirono Ishikawa & Mio Kato, "Health literacy and COVID-19-related beliefs and behaviors: a longitudinal study of the Japanese general population", Health Promotion International, Volume 38, Issue 2, April 2023, daac196.
・Johns Hopkins Coronavirus Resource Center 2023.
・神里達博「パンデミックが照らし出す「科学」と「政治」」『世界』,966, 2023,pp.214-225.
・小林傳司『トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ』,NTT出版,2007年.
・厚生労働省 「オミクロン株による第8波における死亡者数の増加に関する考察(第117回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード資料3-8)」,2023a.
・厚生労働省 「死者数の推移」(オープンデータ),2023b.
・永須智之「若いリスナー急増「ラジオ復権」導いた3つの要素-人気パーソナリティの番組分析でわかったこと」,東洋経済ONLINE,2021年8月6日
・NHK "サイカル Journal:新型コロナ「第8波」どこで亡くなっているのか",2023.
・Pielke, Jr., R. A.,The Honest Broker: Making Sense of Science in Policy and Politics. Cambridge:Cambridge University Press, 2007.
・田窪和也「コロナ禍で「テレビ復権」が進んだ決定的証拠-データから探るメディアの「ニューノーマル」」,東洋経済ONLINE,2020年.