【旧統一教会報道の現在地③】再び「空白の30年」を繰り返さないために ――メディアへのお願い

阿部 克臣
【旧統一教会報道の現在地③】再び「空白の30年」を繰り返さないために ――メディアへのお願い

2022年7月8日、安倍晋三元首相が演説中に銃撃され死亡した。殺人罪などで起訴された山上徹也被告の供述をきっかけに、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について指摘されている不当な布教活動などの問題があらためて注目され、政治家とのつながりや被害の実態が明るみになった。

事件からまもなく1年。放送局はどのように報道してきたか、そして今後は......。チューリップテレビ、読売テレビ、旧統一教会の問題に取り組んできた阿部克臣弁護士に、それぞれの視点から「これまで」と「これから」を執筆いただいた。今回は阿部克臣弁護士。


「偏向報道」「過熱報道」ではない

2022年7月の安倍元首相銃撃事件を契機として、旧統一教会をめぐるさまざまな問題がメディアにより大きく報じられた。これにより、教団の持つ顕著な反社会性や被害の凄惨さが広く世間に知られるようになり、同時に政治家との癒着の実態も次々と明るみに出て、旧統一教会は大きく社会問題化した。政治家や政党は旧統一教会との関係を絶つ旨を次々と表明し、文化庁は解散請求の可否を判断するためとして初めての質問権行使に至った。被害者救済新法が異例の早さで成立し、厚生労働省により「宗教2世」が受けた宗教虐待を念頭においたガイドラインが作成された。

これらの動きは、全て、メディアの報道により正しい事実が国民に伝えられ、世論が動いたからである。民主主義社会におけるメディアの重要性については、既に博多駅事件における1969年の最高裁決定で、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕する」と的確に指摘されている。

2022年7月以降の一連の旧統一教会報道は、「偏向報道」でも「過熱報道」でもなく、これまで報じられていなかったあまりにも多くの事実が正しく報じられたにすぎない。旧統一教会問題はそれだけ大きな問題であり、銃撃事件を契機に、機能不全だったメディアが正常に機能したものと言ってよい。

いわゆる「空白の30年」

過去の旧統一教会報道をさかのぼると、「空白の30年」と呼ばれる長い沈黙の期間がある。

旧統一教会は既に1960年代には国内でさまざまな問題を引き起こし報道もされていたが、87年には壺・多宝塔・印鑑などの販売による霊感商法が社会問題化し、大きく報道された。また92年には著名人が信者として合同結婚式に参加したことにより、ワイドショーなどを中心に再び大きく報道された。

しかし、それ以後、特に95年の一連のオウム真理教事件以降は、旧統一教会に関する報道は大きく減少し、散発的に、オウム真理教などと併せた新宗教・カルト問題として報じられたり、民事裁判の結果が報じられたりするにすぎなくなった。

2009年に旧統一教会の関連会社が刑事摘発された際に大きく報じられたものの、後には続かず、12年の第二次安倍政権後、特に15年の教団の名称変更後はほとんど報じられなくなってしまった。

21年に安倍元首相が旧統一教会の関連団体へビデオメッセージを寄せた際も、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が抗議し声を上げたにもかかわらず、ほとんど取り上げるメディアはなかった。

このような報道の空白を埋めてきたものが、鈴木エイト氏など一部ジャーナリストであり、「やや日刊カルト新聞」「ハーバー・ビジネス・オンライン」(現在は配信停止)など一部メディアである。

なぜ報じられなくなったか
それにより何が生じたか

報じられなくなった理由としては、まず、カルト問題を扱うと教団側から攻撃を受け、訴訟を起こされるリスクもあるが、そのような面倒な事態を避けたいというある種の忌避感があり、萎縮があると思われる。その根底には、カルトは怖いという恐怖や不安もあるだろう。

カルトの特色の一つとして、批判者に対しては徹底して攻撃し、スラップ訴訟も頻発してくるということがある。オウム真理教はメディアに対して繰り返し抗議し訴訟も起こしていたし、旧統一教会自身、かつて社会問題化した際にはメディアに対して組織的な無言電話やビラまきなどを行い徹底的に攻撃していた。

また、教団や信者には憲法上保障された「信教の自由」があり、特に教義や内心の信仰はセンシティブで扱いづらい面があると思われる。宗教といういわば「聖域」に踏み込むことへの根本的な抵抗感があるのではないか。

さらには、教団側が違法行為を否定しているにもかかわらず、被害者や家族の話だけでは報道しづらいという、メディア側の奇妙な公平性の論理も働いているように思われる。

報じられないことにより生じたものとしては、まずは、旧統一教会問題の「風化」であり、それによる被害の放置・拡大である。

かつては、多くの国民が「統一教会」という悪名とその問題性を知っていたため、旧統一教会がその名前を明かしたまま勧誘し入信させるのは極めて困難であった。そのため、「正体隠した勧誘」と呼ばれる、名前を伏せたまま教義を先に教え込むという違法な勧誘手法が用いられた。しかし、報道がされなくなった結果、旧統一教会の問題性はもちろん、その存在すら知らない国民が増えたため、そのような勧誘手法を用いる必要もなくなり、勧誘が容易になって被害が拡大した。また、問題性が報じられない結果、家族が信者を脱会させるのも困難になった。

次に、メディアが報じないために国民による監視機能が働かなくなり、旧統一教会と政治との露骨な癒着を生んだ。これにより、国・地方の政策に旧統一教会の影響が及び、何らかの形でゆがんだ可能性がある。例えば、諸外国に比べて遅れているとされるジェンダー平等・多様性に関する法整備や、各地で制定されている「○○県家庭支援条例」などに旧統一教会の影響が及んでいなかったか、国により十分な調査と検証が行われるべきであるが、何も行われていない。

また、政治家とつながることは、旧統一教会にいわば「お墨付き」を与えることになり、これにより信者の脱会を困難にさせ、新たな信者の勧誘も容易になるという悪循環も生んだ。

メディアにお願いしたいこと

現在、旧統一教会報道は大きく減少しており、このまま再び空白が訪れてしまわないかという懸念がある。旧統一教会問題は、単なる「ネタ」や「ブーム」ではなく深刻な「人権問題」である。多くの問題が未だに解決されないままに残っている。解決するまで、断続的でもいいから報道を続けてほしい。

大手メディア、特にテレビの力は大きい。特にその調査能力や社会的影響力は圧倒的なものがある。その大きな力を、社会を良い方向へ変えるために、あるいは被害者救済・抑止に向けて使ってほしいと切に願う。

たとえそこに何らかのリスクがあったとしても、報じるべきものはきちんと報道してほしい。

カルト問題は必ずリスクが伴う。リスクを取らないと取り組めない。弁護士も牧師もカウンセラーも被害者やその家族も、この問題に取り組む人たちは皆リスクを背負って活動している。メディアも、「わが社の安全」ではなく気骨を持って真実追求を続けてほしい。

最後に、取材・放送にあたっては被害者やその家族への配慮をお願いしたい。特に「宗教2世」の方から、メディアから配慮のない扱いを受けたという声を多く聞く。被害者・家族は単なる取材の客体ではなく、それぞれが深い傷を抱えながらも何とか世の中を変えたいと思って声を上げているのだ。メディアの方には、トラウマ・インフォームド・ケア(トラウマについて十分に知識を持って対応すること)についての最低限の理解と、被害者・家族へのできる限りの配慮をお願いしたい。

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