2018年5月から民放連が発行する機関紙「民間放送」で続いてきた、放送の未来を第一線の放送人に語っていただくリレー連載「提言!放送の未来」。今回登場するのは、2022年民放連賞テレビ教養で優秀に、2023年ニューヨークフェスティバル普遍的関心部門でファイナリストに選ばれた『大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~』などを手がけてきた熊本県民テレビの吉村紗耶さん。
「全然撮れ高なかったです。取材者が喋れない人だったんですよ」
記者になって数カ月。取材から帰ってきて私はデスクに報告しました。するとデスクが笑いながら教えてくれました。
「うまい記者というのは相手が喋ってくれるんだよ。記者の良しあしはインタビューにこそ現れるんだ」
自分を恥じた瞬間でした。
記者としては落ちこぼれ
私は記者としてドキュメンタリー番組に携わりたいと熊本県民テレビに入社しました。最初の配属は東京支社の営業。4年半後に報道部へ異動になり、念願の記者デビューを果たしました。
しかし、記者の登竜門であるサツまわり(警察回り)では鳴かず飛ばず。警察官の懐に入れるわけでもなく、地取り(事件・事故の現場周辺で話を聞く取材)でネタもとれず、焦りを募らせました。当社では年功序列で県警キャップになる慣習がありましたが、一番年上なのになりたくなく、見かねた後輩が県警キャップになって助けてくれました。正直、それでホッとしたくらいのさえない記者でした。
「こうのとりのゆりかご」との出合い
入社当時から、いつか赤ちゃんポストを取材したいと思っていました。理由は大学生のときにさかのぼります。当時付き合っていた彼氏との避妊に失敗したことがあり、アフターピルをもらおうと産婦人科に行きました。お会計をすると、大学生にしては高額な値段で、正直びっくりしました。中絶を調べてみるともっと高額。学生で妊娠したらどうすればいいんだろうと考えたとき、教科書で名前だけは知っていた赤ちゃんポストをふと思い出したのです。
それでも取材する前は赤ちゃんポストに否定的でした。「あの日の大学生の自分でも高額とはいえ中絶していたはず。預けるくらいなら産まなきゃいいのに」と。
幸運なことに「こうのとりのゆりかご」を取材する担当記者になり、5年間慈恵病院に通いました。蓮田健・現理事長は「ぜひ現状をありのまま世の中に伝えてほしい」とさまざまな場面で包み隠さず命の現場に立ち合わせてくれました。職員にカメラを向けると、心が揺さぶられました。目の前の命にみなさんがひたむきでした。「ゆりかご」の是非論を語ろうとしていた自分が恥ずかしくなりました。
慈恵病院は普通の産婦人科病院。夜の新生児室では、お母さんがいる幸せな赤ちゃんの奥に、大きなベッドに寝かせられた誰も迎えに来ない赤ちゃんがいます。数時間おきにミルクをあげる看護師だけが赤ちゃんの視線の先の保護者です。家族って何なのだろうと心が引き裂かれる思いでした。目の前の赤ちゃんを前に心の揺れる思いを、テレビの前の視聴者にも伝えたいと思いました。
<職員を取材する筆者>
関係者をたどり、預け入れた女性にも取材することができました。学生の彼女は、当時付き合っていた彼氏との子どもを妊娠。中絶期間を過ぎるころ、彼氏との連絡が途絶えていました。なかには、発達障害のグレーゾーン(特性が見られるが、診断基準に満たない状態)がある女性もいて、子どもをどうするかという差し迫る問題に向き合えない人もいます。子どもに障害があるからという身勝手な理由で預け入れた人もいました。
しかし目の前で女性を取材できても、テレビという画面をとおして視聴者に伝えなければテレビマンとして意味がありません。匿名で運用している「ゆりかご」は当事者にたどり着くのがなかなか難しく、たどり着いたとしても土壇場で「やっぱり放送しないでください」と言われることが幾度となくありました。秘密にしたいからゆりかごに預け入れたので当たり前です。新聞ならいいけどカメラはダメという場合も多く、テレビは大きなハードルでした。さらに放送できたとしても顔はモザイクで隠されるため、本音がテレビの前の視聴者には伝え切れません。そのため、「ゆりかご」の扉の資料映像と理事長のインタビューしか撮影できなかったためストレートニュースにしかならず、地元局でも特集としてなかなか扱ってきませんでした。
「こうのとりのゆりかご」開設から15年という月日がたった2022年、預け入れられた当事者である宮津航一さんが実名・顔出しで取材に応じてくれ、心の内を明かしてくれたことが社会にメッセージを伝える大きな一歩になりました。さらに慈恵病院の相談室長が内密出産における現場の迷いや葛藤を赤裸々に語ってくれました。一民間病院だけにこの問題を背負わせている社会の現実を知ってもらえるきっかけになったのではないかと思います。
<宮津航一さん>
ローカル局の存在意義とは
YouTubeやTikTokなどSNSの発達で世の中は"せっかち"になったと思います。メディアも速報が重視されるので10分くらい取材して即放送。記者はそれを千本ノックのように毎日繰り返します。即席カップラーメンのようなニュースがラインアップに並べられますが、その方が視聴率も取れるので上司も喜ぶなんていう構図はどこのローカル局にもあるのではないでしょうか。
しかし、それだけではローカル局の存在意義はないと私は思います。一つの場所や一人の取材対象者に何年、何十年と費やし向き合うからこそ、ほかのメディアにはまねできないコンテンツになり、ひいては局の財産になります。そして無意味だと思える時間を重ねることこそが相手が心を開くきっかけになります。カメラを向ける30分のインタビューよりもカメラを回さない何カ月、何年の関わりこそが人をみつめるドキュメンタリーの醍醐味ではないでしょうか。
会社には取材対象者と気軽に雑談する時間を現場に与えてほしいと思いますし、向き合う記者も情熱を傾け、疑問をぶつけ、何より相手に興味を持ってほしいと思います。
<筆者㊧と宮津航一さん>
番組をつくるときに立ち返る場所
「ゆりかご」の番組を制作しているときに私が必ず考えることがありました。それは大きくなった赤ちゃんがいつかどこかでこの番組を見たときに、少しでも生きていて良かったと思ってもらえるかどうかということです。いつか、預け入れられた子どもたちが大きくなったとき、ゆりかごに預け入れられたという現実を受け止めるのは容易なことではありません。
この世に生まれてきた赤ちゃんに罪はありません。社会がゆりかごや内密出産の赤ちゃんたちの成長を"支援"という形で手を差し伸べる必要がありますし、私たち自身も血のつながりだけではない多様な家族のかたちを当たり前のように受け入れる必要があると感じています。