テレビ番組は「学力」をどのように伝えているか~「子どもとメディア⑨」

加藤 理
テレビ番組は「学力」をどのように伝えているか~「子どもとメディア⑨」

今から40年ほど前、膨大な量の知識の詰め込み教育が子どもたちを苦しめ、その中で「落ちこぼれ」と言われた子どもたちによる非行、校内暴力等の「教育荒廃」と呼ばれる現象が大きな社会問題になっていた。荒れる中学校の卒業式に警察が入っていく様子は、当時のニュースでたびたび報道されていた。

また、学歴主義の中で、過酷な受験勉強は多くの子どもたちを苦しめていた。1980年に川崎市の予備校生が両親を金属バットで撲殺した事件は、学歴主義の中で心をむしばまれる子どもを象徴する事件として、連日のようにワイドショーで報道された。

こうした社会状況の中で、東京下町の桜中学校を舞台に1979年からTBS系ドラマ『3年B組金八先生』が放映された。1980年から81年にかけて放映された第2シリーズは、非行や校内暴力を描き、社会的な関心を集めた。ドラマの中で「腐ったみかん」にたとえられた登場人物の気持ちは、落ちこぼれと呼ばれて校内暴力や非行に走る子どもたちの苦しみを表現し、ドラマの中で流れた中島みゆきの「世情」と共に多くの視聴者の心をつかんだ。

教育の世界では、1984年から87年にかけて開かれた臨時教育審議会の中で、知識量を問う知識偏重教育を是正して、教育本来の目的である「よりよく生きる」ことの実現のために、予測困難な事態に直面した時にそれを乗り越えていくために必要な思考力、判断力、表現力などが「新学力観」として提起された。2007年には学校教育法が改正され、「学力の3要素」として「知識・技能」「思考力・判断力・ 表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」が定義されるなど、学力観の転換が図られてきた。知識の量が多いことを「学力」とするのではなく、この3要素をバランスよく育むことが、学校教育が育むべき「学力」ととらえることが示されたのである。

しかし、学校現場では、「知識・技能」を重視する教育から容易に脱却することができず、新しい学力観に立脚した教育が十分に推進されてきたとは言い難い。社会に目を向けても、「学力」が高い人とは、豊富な知識を有し、テストで高い点数を取ることができ、高い学歴を有することを指すと考える人が、相変わらず多いのが実情である。

学力に対する認識の転換が求められてきた中で、テレビ番組では、知識の量を問う旧来的な学力観をもとにした番組と、予測困難な事態に直面してそれを乗り越える力を試す「新学力観」に沿う番組とが混在してきた。

民放連会員のテレビ各社(衛星放送含む139社)は、春改編期に「青少年に見てもらいたい番組」を発表するが、2023年の東京キー局の「青少年に見てもらいたい番組」は、以下のとおりとなっている。

TBSテレビ>
『アイ・アム・冒険少年』『東大王』『バース・デイ』『がっちりマンデー!!』『世界・ふしぎ発見!』『世界遺産』

<日本テレビ放送網>
『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』『嗚呼!!みんなの動物園』『世界一受けたい授業』『所さんの目がテン!』『ザ!鉄腕!DASH!!

<テレビ朝日>
『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』『林修の今知りたいでしょ!』『日本のチカラ』『題名のない音楽会』『ドラえもん』『人生の楽園』『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』

<フジテレビジョン>
『今夜はナゾトレ』『サスティな!』『GO!GO!チャギントン』『ボクらの時代』『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』

<テレビ東京>
YOUは何しに日本へ?』『ナゼそこ?』『ガイアの夜明け』『新美の巨人たち』『THEカラオケ★バトル』『家、ついて行ってイイですか?』『正解の無いクイズ』

『東大王』『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』をはじめとする知識の豊富さを楽しむ番組の一方で、『アイ・アム・冒険少年』『ザ!鉄腕!DASH!!』のような、既知の知識と技能を活用しながら目の前の課題を解決していく様子を見て楽しむ番組も存在する。さらに、『世界・ふしぎ発見!』『世界遺産』『人生の楽園』『新美の巨人たち』のように、教養を楽しみ、豊かな時間の意味を問い直すような番組も存在する。学校の勉強を超えて、意欲的に学びに向かおうとする子どもたちが登場する『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』、経済界やビジネスの中で復活をかけて格闘する人々を描く『日経スペシャル ガイアの夜明け 時代を生きろ!闘い続ける人たち』のような番組もある。一つの局の中で、多様な「学力」のあり方を楽しむことができる構成となっている。

放送法第106条には、「基幹放送事業者は、テレビジョン放送による国内基幹放送及び内外基幹放送(内外放送である基幹放送をいう。)(以下「国内基幹放送等」という。)の放送番組の編集に当たっては、特別な事業計画によるものを除くほか、教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け、放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない」とあり、各局は放送法の趣旨に沿った番組構成を意識した結果となっている。

TBSテレビを例に「放送番組種別の基準」を見ると、「教育」は「知見を広め、情操を豊かにし、倫理性を高め、かつ生活の向上を意図した番組であって、学校教育または社会教育に資することを意図した番組」であり、「教養」は「知見を広め、情操を豊かにし、倫理性を高め、かつ生活の向上を意図した番組。ただし、教育に属するものを除く」、「娯楽」は「スポーツ、音楽を含め、生活を明るく、楽しく豊かにすることを意図した番組」となっている。

放送番組種別の放送時間では、202210月~23年3月における対象の6週間の合計で、テレビ朝日は、報道13,772分、教育6,647 分 、教養 13,854分、娯楽22,893分であり、日本テレビは、娯楽22,550分、報道12,668分、教養13,011分、教育6,414分となっている。

TBSテレビの「放送番組種別表」によると、知識の量を競うことを楽しむ『東大王』と、自らの知識と技能を最大限に活用しながら目の前の困難に立ち向かう姿を見せる『アイ・アム・冒険少年』は、ともに「教育」「教養」「娯楽」に印がつけられている。

知識の量を楽しむ番組の中には、出演者の出身大学名を表示したり、特定の大学の学生と出身者の知識量が多いことを称賛したり、結果として有名大学や特定の大学の出身者であることを称賛しているように見えてしまう番組もある。そうした番組の作り方に対して、評論家や有識者が批判して議論になったこともある。批判された番組は、番組の作り方、見せ方として、視聴者が楽しく視聴するために、特定の大学関係者の知識量の多さを際立たせる演出をしているという側面があることは理解できる。一方で、学歴主義を助長し、知識量が豊富なことをむやみに賞賛することにつながるという評論家や有識者が指摘する危惧も、テレビが持つ「隠れたカリキュラム」としての力と影響を考えた時に、無視できないものがある。

知識の量を問う番組は、いずれも「クイズ」と銘打っている。「クイズ(quiz)」は、①小テスト、②質問、クイズ、という意味である。知識を問うテスト、という意味で用いられる。出演者の知識量に感心したり驚いたりする娯楽番組が放送されること、そう思って楽しむ視聴者がいること自体は問題ではない。問題は、知識の量が多い人=頭のいい人、という認識の定着を、これらの番組が助長している可能性があり、多くの人々が旧来の知識偏重の「学力」観から脱却できずにいる原因となっているのではないか、ということである。

「知識」を持つことは悪いことではない。「知識」は「よりよく生きる(well being)」という「目的」を達成するための必要で大切な「手段」である。ところが、日本の学校教育では、「手段」であるはずの知識を獲得することが「目的」になってしまい、結果として相変わらず知識偏重の教育が行われている。このゆがみが、学校教育の中で子どもたちを苦しめ、本来人生を豊かにしていくはずの「学び」が、苦しく辛いものに変容してしまっている。

こうした認識が社会的に形成され、定着していくことに、知識の量を競うクイズ番組が影響を与えているということはないだろうか。ただ、すでに述べたように、こうした番組が持つ娯楽性は否定されるものではない。問われなければいけないことは、作り手側が、知識の量が多いこと=頭がいい人=「学力」の高い人、という認識を明確に否定する意識を持っているかどうか、ということではないだろうか。そして、既知の知識と技能を活用しながら、目の前の課題を解決していく力を持つ出演者に対して、そこで見せている力こそが真の「学力」だという認識を明確に持ち、番組を通してそうした認識が視聴者に伝わるようなメッセージを発しているかどうか、ということではないだろうか。

「よりよく生きる(well being)」という「目的」を達成するための「手段」である知識・技能の獲得が、学校教育の「目的」になってしまっているというゆがみを是正できないのと同じように、テレビ番組でも、よりよく生きるための手段である知識を持つことが、本来の「手段」を超えて、よりよい人生を送るために必要な「目的」であるかのように視聴者が錯覚してしまうような放送をしてはいないだろうか。

「学び」の楽しさは人生を豊かにしてくれる。学校だけでなく、テレビを通して「学び」を楽しむことも、現代の生活には欠かせない。未知の世界をテレビの中で知ったり、新しい興味・関心を獲得したりできるような教養番組もさらに増えてほしい。世界のさまざまな不思議を視聴者に見せてくれる長寿番組や、身近なことについて科学的に解明しようとするような、家族で視聴しながら知的好奇心を刺激されるような番組が増えることも、「豊かな人間性」を育むためにテレビが貢献できることであろう。

テレビはどのような「学力」観を視聴者に発信しているのか。そして、これからどのうな「学力」観を発信していくのだろうか。テレビの影響力の大きさを自覚しながら、番組制作に関わる人々は、自身の学力観を見つめ続けていくことが求められているのではないだろうか。

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