NHK、JNN(TBSをキーステーションとする民放系列局)などの放送局、朝日新聞、読売新聞などの新聞社、共同通信社、時事通信社など日本の主要メディアはそれぞれが毎月世論調査を実施して結果を報道します。ほとんどは電話調査で(時事通信社のみ訪問面接調査)その時々の政府の政策や政局について独自の質問で聞き取りをします。とくに内閣の支持を問う質問は全社が必ず行います。この9月の岸田内閣の改造後に、各社一斉に世論調査していますが、その結果によると支持率はあまり上がらなかったようです。これを踏まえて、政治評論家やコメンテーターの中には「今回の内閣改造は効果がなかった、これでは解散は難しいのではないか」などの「読み」をする人たちもいます。
質問項目は、内閣支持率のほか、政府の物価高対策への評価、福島第一原発処理水放出について、内閣改造人事関連、ジャニーズ性加害問題など多岐にわたります。各社の世論調査担当者にとって毎月の質問作りは苦労が多いのではないかと推測します。しかし、他のメディアにお任せというわけにいきません。報道機関である以上、独自に世論調査を行うことが必要です。
世論調査のきた道
世論調査はいつからあるのでしょう。日本での今日のような「科学的世論調査」の実施は太平洋戦争の敗戦、つまり1945年までさかのぼります。戦後、連合国軍が日本を間接統治するにあたり、米国大統領ハリー・トルーマンは、統治方針として「トルーマンドクトリン」を定めてマッカーサーに託します。そこには2つの柱がありました。1つは日本を戦争をしない国にすることです。新憲法の作成において、紛争解決手段としての戦争を放棄させています。2つ目が日本を民主主義国家にすることですが、そもそも民主主義国家とは何でしょう。それまでの日本は天皇制のもと国民は臣民(=天皇の家来)という位置づけでした。これが大きく方向転換して「国民主権」となり、民意(=国民の意思)で運営される国になるというわけです。
しかし、この民意とはどうしたらわかるものでしょうか。「かどの豆腐屋の物知りおじさんに聞けばいい」というのも一つの解決策かもしれませんが、もっと科学的で合理的な方法が求められます。
科学的世論調査というときの「科学的」とは、「確率統計学的に調査結果が一定の誤差範囲内に収まって精度が保証される」という意味です。具体的実施方法の基礎は1930~40年代の米国で練り上げられました。米国は民主党政権になるか共和党政権になるかで世の中が大きく変わってしまいます。なので、正確な選挙予測情報は価値が高いそうです。この大統領選挙予測調査の精度を上げるべく、ギャラップ社など専門の調査会社が研究を重ねて手法をブラッシュアップしていったのです。
戦後の日本は、それまでの統計学の学問的蓄積を背景にこの手法を学び、新聞社などの報道機関と調査会社が中心になって、日本独自の世論調査方法を確立していきました。国が中心になって進めるという方向性もないわけではなかったかもしれませんが、GHQはあまり望まなかったようです。今日では、内閣府や総務省も世論調査を行って結果を公表していますが、世論調査には国民の意見の「公開」と「共有」による権力監視という機能もあるため、やはり報道機関が中心になって行うのがよいでしょう。民主主義推進の担い手たる報道機関である新聞社、通信社そして放送局はこれまで、調査手法の開発への取り組みも含めて積極的に努力してきました。
民主主義のきた道
さて、今日の日本の放送は、Netflixなどの動画配信サービスやYouTubeなどの動画共有サイトとは違い、放送法という法律で規律されています。そしてこの放送法には、法の目的として「放送が民主主義の健全な発達に資するようにすること」(第一条の三)と書かれています。放送は民主主義と深い関係があるのだということをあらためて認識させられる条文ですが、なかでも戦後新たに登場した民間放送は特に民主主義と深い関係があるといえるのではないでしょうか。
そもそも世論調査というのは、国民・有権者が内閣を支持しているのかいないのか、その理由は何か、それぞれの政策をどのように評価しているのか、政局や政治家の言動に対してどのように感じているかなどを具体的に調べるものです。そして、実はこのような「調査」は必ずしも民主主義国家だけではなく、独裁者が支配する専制主義国家、権威主義国家でも行われることがあります。
ただし、それらのケースで注意すべきは、「世論調査の結果がそのまま国民の間に広く周知されることはない」ということです。情報は支配者たちの間にとどまり、密かに「活用」されることもあるようです。歴史を振り返れば、思想調査というものは珍しくありません。映画などでよくありますが、国王や独裁者が民を対象にした「思想調査」を行い、望ましくない考えや態度の持ち主を捜して抹殺してしまうのです。
現在、日本で行われている世論調査の中には調査項目だけをみれば「思想調査」といえるものも含まれるかもしれません。しかし、思想調査と根本的に異なるのは、結果のすべてがマスメディアによって国民の間に共有されるということです。依然として国民の間に圧倒的なリーチを誇る放送は、特に大きな役割を果たしています。これによって、国民は民意の状態を正しく認識し、ときには自身の意見と多数派意見の乖離などについても知ることができるのです。
ネット時代に世論調査が進む道
いうまでもなく今日はネット時代です。誰でも自分の意見や感想をSNSで容易に世の中に表明することができます。日々の経験にもとづくリアルな意見や建設的意見、不祥事を起こした政治家への厳しい批判、目を覆いたくなるような感情的コメントなど玉石混交です。2020年には旧ツイッター(現X)のハッシュタグを利用したデモが検察庁法改正案の国会成立見送りにつながったという例もありますね。ネット上の「声」を番組の中で紹介するマスメディアも少なくありません。そうした回路の存在も含めて、今日ネット上に横溢する人々の「声」が、力を持っていることは疑いのないものでしょう。
このようにSNSが力を持つようになった現在、もう世論調査は必要ないのではないかという声もあります。しかしながら、このように人々の意見が容易に可視化される時代は、逆にその分だけ"世論が見えにくくなった"ともいえるのです。人には「強く表明される意見は多数派に見える」という認知バイアスがあります。だから一見歯切れよい意見表明の陰で、サイレントマジョリティも含めた国民全体の意見分布(=世論)が見えにくくなるということもありうるのです。世論は正確な世論調査をもってしか測ることができません。そして、その結果を国民で共有すべくしっかり伝えるのは放送をはじめとするマスメディアの役目です。
また回答者側に立てば、忙しい毎日の生活の中、世論調査に回答するのは面倒だという声にもうなずけます。だからこそ、世論調査担当者は、回答者が「よくぞきいてくれた」と思わず膝を打つ質問を練り上げることが必要なのです。