民主主義を支えるのがメディア、ではない?
「放送は、民主主義の精神にのっとり(中略)国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る」。日本民間放送連盟(民放連)と日本放送協会(NHK)が共同で定める「放送倫理基本綱領」(1996年制定)にこうある。少なくとも日本の放送界では、あまりにも当然で、誰もが疑わぬ基本姿勢だ。大多数の視聴者・リスナーもそうだろう。
念のため、民放連の「報道指針」(1997年制定、2003年追加)も見てみよう。「民間放送の報道活動は、民主主義社会の健全な発展のため、公共性、公益性の観点に立って、事実と真実を伝えることを目指す」
民主主義を支え、育むのがマス・メディアのはずだ。ところが、米国ではメディアはむしろ社会に有害、という認識が広がっている。
AP通信とシカゴ大学の共同世論調査
このきわめて深刻な事態を数字で示しているのが、米国の大手通信社APとシカゴ大学の全国世論研究センター(NORC=National Opinion Research Center)が共同で行った世論調査である。
2023年3月30日―4月3日、全米を代表するように選んだ成人1,002人にオンラインと電話(固定・携帯)で質問した。人権問題に取り組む超党派の非営利団体、ロバート・F・ケネディー・ヒューマン・ライツ(Robert F. Kennedy Human Rights)から資金を受け、実施された。結果の多くは、放送をはじめとする報道機関にとって、きわめて厳しいものだった。以下で主要な内容を紹介する。
ほぼ全員が「誤情報」を問題視
約6割はメディアにも責任あり
まず、圧倒的多数の93%が「誤情報」(misinformation)の拡散を「問題」と見ている。虚偽や不正確な情報がはびこる社会を望まないのは、誰もが同じだ。
この背景として、同じく9割近くが、ニュースを通して「陰謀論」に接していると答えている。毎日が19%、週に1回以上は34%、月に1回以上は36%と合計で89%にものぼり、「接したことがない」はわずか8%である。
誤情報が拡散する原因については、約3分の2が政治家(64%)、SNS運営会社(65%)、SNS利用者(65%)にあると考えている。元大統領をはじめ、過激な自説を声高に叫ぶ政治家が少なからず存在し、かつ彼らの言動がSNSなどを通じて野放図に広がってしまっている、という現状認識が見てとれる。
ここで注目すべきは、ほぼ同水準の58%がニュース・メディアにも原因があり、それを上回る63%が「メディアには誤情報の問題に取り組む大きな責任がある」と考えていることだ。
報道機関の仕事が不十分なために間違った言説がはびこるのであり、これを正すため、より積極的な対処をメディアに望んでいるわけだ。
半数近くがメディアを信頼せず
ニュースに関心ある層でも約4割
しかし、メディア自体への信頼度は割れており、半数近くが不信感を抱いている。
まず、十分・正確・公正な報道という点で「信頼している」は55%で、どうにか過半数は維持している。ただし、内訳を見ると、「一定程度」が39%で、「とても」は16%にとどまる。信頼の程度が高いとはいえない。他方、否定派は約半数の45%にのぼる。内訳は、信頼が「わずか」が29%、「まったくない」が16%である。
積極的にニュースを求めている層は、64%が信頼を置いているが、それでも37%は信頼していない。
当然、ニュースに消極的な層では数値はほぼ反転し、過半数の59%が信頼せず、信頼しているのは40%にすぎない。また、不信感はとくにトランプ元大統領が所属する共和党支持者に顕著で、60%が信頼していない。バイデン大統領が所属する民主党では26%にとどまる。
メディアは民主主義を「傷つける」は40%、
メディアは社会の分断を「悪化」は74%
不信任が半数近くなのだから不自然ではないが、メディアが民主主義に及ぼす影響については、否定派が肯定派を2倍強も上回っている。
民主主義を「傷つけている」が40%なのに対し、「守っている」は半数以下の17%にすぎない。残る42%はどちらともいえない、という立場だ。ここでも支持政党で大きな違いがあり、共和党支持者がはるかに批判的である。彼らの61%は「傷つけている」と考え、民主党では23%、独立(無党)派では36%にとどまる。
社会の政治的な分断・二極化については、メディアへの評価はいっそう厳しい。大多数の74%はメディアを分断の「悪化」要因と捉え、「低減」の6%を12倍強も上回っている。残る18%は「影響なし」と考えている。
ここで注目すべきは、分断の悪化については支持政党で見解に大きな差がないことだ。共和党は81%、民主党は72%で、メディアが火に油を注いでいるという見方で大多数が一致している。
メディアの問題点――基本的な倫理観の欠如
では、具体的にメディアの何が問題なのか? 過半数が「重大な問題」とする以下の諸点を総合すると、正確性、真実性、良心、誠実さ、客観・公正性、社会奉仕など、ジャーナリズムの基本的な倫理観の欠如という全体像が浮かびあがる。
調査報道を重視するも、
接しようとしない矛盾
一見つじつまのあわない結果もある。調査報道に対する回答だ。まず、6割近くは関心をもつ問題を理解するうえで、背景や分析を深く掘り下げる報道が「きわめて」(21%)、「とても」(35%)役立つと答えている。「ある程度」も33%いる。反対に、「あまり」(6%)、「まったく」(3%)役立たないは、あわせても1割に満たない。あまりにも当然の結果だろう。
ところが、実際には多くが調査報道に接するよりも、ニュースの見出しを眺める程度で済ませてしまっている。関心を寄せる問題に関する調査報道に「つねに」接するのはわずか9%、「多くの場合」でも24%にとどまり、6割以上は「たまに」(42%)か「めったに」(23%)だ。接する範囲をやや緩和し「ニュースの見出しより先」としても、「つねに」が16%、「多くの場合」が34%で、合計しても半数にすぎない。せいぜいヘッドライン止まり、というわけだ。詳しい報道を重視しながら、必ずしもそれに時間をかけておらず、言行が一致していない。
さらに矛盾するようだが、メディア全般に対する信頼度が低く、調査報道にもさほど接しないにもかかわらず、自身が関心のある分野の報道については、多くが肯定的な評価をしている。
たとえば、「周辺地域」に関しメディアは「よく」報道しているという回答は、「きわめて」(3%)、「とても」(23%)、「まあまあ」(45%)をあわせて7割を超えている。「合衆国」と「世界」に関する報道についても、ほぼ同じ数字である。
「何を信じていいのか、わからない」?
終わりに、いくつか私見を述べる。まず、調査結果を総合すると、現代の米国の市民は「何を信じていいのか、わからない」状態に近いのではないか。不満と期待、疑念と評価が入り混じる点を含め、全体から受けた印象を一言で表現するとこうなる。
SNSの普及などで情報過多は進行するばかり。さりとて落ち着いて考える時間的・精神的余裕もなく、玉石混交の「ニュース」の奔流に巻き込まれ、打つ手もなく困惑している。そして、この戸惑いの主因をメディアに見ている。そんな姿が目に浮かぶ。
別して放送の問題点について付言しておくと、「フェアネス・ドクトリン」(Fairness Doctrine、一般的に「公平原則」と訳される)の廃止は無視できない。放送局に対し、論争をよぶ問題については一定量の時間をかけ、かつ対立する意見を取りあげるなど公正でバランスのとれた報道を求める行政ルールで、日本の放送法・第4条に類するものだ。この原則が1987年に廃止されたことで、客観・公正性を欠く、政治的に偏向した報道が広がったとしばしば指摘される。
いずれにせよ確実なのは、ジャーナリズム全般に対し不信感が深まっていることだ。
「市民の信頼」あってこそ
日本も他人事ではない
次に日本について、冒頭で引いた民放連の「報道指針」は、放送が民主主義の発展に資すると無条件で主張しているわけではない。こう釘を刺している。「この活動は、市民の信頼を基盤として初めて成立する」
日本の状況は米国ほどひどくはないだろうが、対岸の火事と高をくくってはいられない。
なぜなら、ニュースに対する信頼度・関心の低下、マス・メディア離れは、少なくともこの10年で世界的に悪化しており、比較的軽度だが日本でも似た傾向が見られるからだ(ロイター『デジタル・ニュース・レポート』)。これも印象論ではなく、実証的に確かめられている現実だ。
視聴者・リスナーの信望を失えば、これまで自明だった大前提も、簡単にひっくり返ってしまうだろう。日本をかの国の状況に近づけてはならない。