性加害事件を子どもたちにどのように伝えているか ~「子どもとメディア➉」

加藤 理
性加害事件を子どもたちにどのように伝えているか ~「子どもとメディア➉」

世界にも類を見ない故・ジャニー喜多川氏による対児童の性加害報道の中で、テレビやラジオは、ジャニーズ事務所の今後や、所属タレントたちに関する報道を精力的に続けている。10月2日の記者会見以降は、いわゆるNGリストと指名リストの問題も加わり、ジャニーズ問題は混迷の度を深めている。

多数の人気タレントを抱え、芸能界に長年にわたって君臨してきたジャニーズ事務所が消滅することは、日本の芸能史、社会史に残る大事件であることは間違いない。1,300万人を超えるとも言われるファンクラブ会員を誇るだけに、社会的関心の高さは言うまでもない。

事件の核心は何か

連日のテレビ報道が、視聴者の関心に寄り添い、視聴者の知る権利に応えようとしていることは理解できる。だが、この事件の核心が、犯罪史に残るような大勢の子どもたちに対する長年にわたる性加害であることを、どこかに置き去ってしまっているような印象も受ける。日本の「情報/ワイドショー」と「ニュース/報道」番組は、事務所やタレントたちの事に目を奪われて、大事なことをおざなりにしてはいないだろうか。

3月のBBCの報道は、長年にわたる喜多川氏の常軌を逸した行動に対して、重大な人権侵害として指弾していた。BBCの報道は、被害者の生涯消えることのない心の傷の深さ、喜多川氏によって狂わされてしまった人生、それに対する怒りや諦め、絶望などを伝えていた。被害者の冒された人権と真摯に向き合い、人権が人間の尊厳を守る上でいかに重要であるかを視聴者に訴える番組になっていた。

その人権意識の鋭さと比べた時に、多くの日本の放送局は、この問題の核心部分に対する問題意識があまりにも鈍いのではないかと感じてしまうのである。消えることのない被害者たちの心の傷と、喜多川氏によって冒され、踏みにじられた人権の重みと尊さ、そして無残にも奪われてしまった夢や希望に思いを馳せながらも、事実を冷静に伝えていこうとする報道がどれほどあるだろうか。被害者の怒りや悔しさとその思いを受け止め、被害者と思いを共有しながらも、冷静な目を失わずに伝えていこうとする報道がどれほどあるだろうか。

TBSテレビの『news23』で、子どもへの性加害を繰り返した経験を持つ男性へのインタビューを特集していた。被害者の子どもたちに刻まれた心の傷の深さを想像し、子どもへの性加害を防ぐことを真剣に模索しようとする報道であった。こうした報道が、さらに増えていかなければならない。

そして、子どもが被害者になった性加害事件であることを考えた時に、もう一つ大切なことも報道の中から欠落しているのではないかと感じる。

子どもたちから事件の報道を遠ざけてよいのか

テレビやラジオで報じられる子どもに対する性加害は、喜多川氏の問題だけではない。子どもが被害者になる重大な性犯罪に、教師による児童生徒に対する性犯罪もある。

最近では、教え子のわいせつ写真を撮影、保存していたとして、児童買春・ポルノ禁止法違反(所持)の疑いで逮捕(後に準強姦致傷容疑で再逮捕)された練馬区の中学校長の事件、千葉県迷惑防止条例違反(盗撮)の疑いで現行犯逮捕された茨城県守谷市の高校教諭の事件など、枚挙にいとまがないほどである。

また、女子中学生の体を触ったとして、大分県青少年健全育成条例違反の罪で有罪判決を受けて執行猶予中の40代男性が、県内の市立小学校で非常勤講師として勤務していたことが明るみになったことも報道された。性犯罪履歴のある人物が再び教職に就く問題をうけて、性犯罪歴がないことを確認する日本版DBS(前歴開示および前歴者就業制限機構)の創設を目指す法案を国会に提出しようとする動きがあるが、この事件報道の中で、日本版DBSの創設についても報じられた。

教育現場におけるわいせつ事件の件数は、文部科学省の「公立学校教職員の人事行政状況調査について(概要)」という報告書から知ることができる。2019年度に性犯罪・性暴力等により懲戒処分等を受けた者は273人。20年度は201人、21年度は216人となっている。21年度の懲戒処分の内訳は、免職119人、停職50人、減給21人、戒告2人で計192人。残り24人は訓告等である。このうち、児童生徒に対するものが94人となっていて、深刻な教師の性犯罪の実態が浮き彫りとなっている。

これらについての報道は、児童生徒とその保護者たちからの信頼の中で教育を行っているはずの教師たちによる犯罪、しかも、教育者が自らが教育しているはずの児童生徒を対象にして犯した罪という、許すべからざる犯罪を伝える報道になっている。教師という立場にありながら罪を犯し、しかもその内容が児童生徒に対するものである、という衝撃と憤りを伝える内容となっているのである。

報道に際して、教師の罪を問うという厳しい姿勢で報道することに異論はない。一方で、これらの事件を伝える際にも、日本の放送局は大事なことを欠落させていると思えてならない。

喜多川氏の性加害や教師による性犯罪を伝える連日の報道に対して、子どもと一緒にテレビを見ている時に、こうした報道が出たらチャンネルを変える、子どもにどう説明してよいかわからない、という不安を抱く保護者は多い。子どもたちの目と耳からこうした報道を遠ざけたいという保護者の気持ちは痛いほどわかる。だが、こうした報道を子どもたちから遠ざけることでよいのだろうか。

 国連「子どもの権利条約」が守ろうとするもの

1989年の国連総会で「子どもの権利条約」が採択された。日本は1994年に国会で批准しているが、この中の第34条には、児童買春などあらゆる性的搾取、性的虐待からの児童の保護が掲げられている。34条には、わいせつ物やわいせつな演技に児童を搾取的に使用することからの保護も含まれている。

42条には、「締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する」とある。日本が批准を目指していた当時、外務省訳による堅苦しい言葉と難解な文章が何を伝えようとしているのかわかりにくいことが、子どもの権利条約の普及を願う人々の間で問題にされていた。

こうした声に対して、アムネスティ・インターナショナル日本支部主催で「子どもの権利条約翻訳・創作コンテスト」が行われ、最優秀賞を受賞した14歳中学2年生の小口尚子さんと福岡鮎美さんの作品は、『子どもによる子どものための「子どもの権利条約」』(1995年、小学館)として出版された。

報道機関で積極的にこうした声に応えたのは、テレビ朝日と朝日新聞だった。徳島大学の大学開放実践センター講師・猿田真嗣氏の公開講座を受講した人たちが10歳の子どもにもわかる翻訳文を目指した作品、アムネスティ・インターナショナル日本支部に応募された翻訳文、そしてランキン・タクシー氏(レゲエミュージシャン)のラップ歌詞の一部などを『ニュースステーション』内で紹介し、1994年には紹介された翻訳文をまとめて冊子にして配布するということが行われた。配布部数は少数だったが、ジャーナリズムとして意味のある活動だった。久米宏氏が番組内で翻訳文を紹介しながら、子どもの権利条約を広く人々に知らせることに努めていた姿を今でも覚えている。

「子どもの権利条約」冊子(ニュースステーション).jpg

<筆者所蔵の『ニュースステーション』作成の冊子(1994年815日付)>

このような活動は、子どものための権利として制定された条約を、誰よりも子どもたち自身が知ることが重要であることを強く認識していたからこそ行われたものであろう。

日本国憲法および子どもの権利条約の精神にのっとり、全ての子どもが将来にわたって幸福な生活を送ることができる社会の実現を目指して、2022年622日に公布され、今年の4月1日から施行された「こども基本法」には、「愛される権利」「参画する権利」「意見が尊重される権利」などと並んで、子どもの権利として「子どもの権利を知る権利」が掲げられている。「子どもの権利を知る権利」は、報道機関も大事にしなければならない子どもの大切な権利である。

この法律の広報活動の中心となるこども家庭庁では、イラストを中心にわかりやすくまとめた「すべてのこども・おとなに知ってほしい こども基本法ってなに? やさしい版」を作り、インターネット上で公開している。警察庁もウェブサイト「なくそう、子供の性被害。」を開設し、相談窓口を設けるなどの取り組みを行っている。

子どもたちの存在を意識した報道を

こうした法律やさまざまな取り組みがあるにもかかわらず、事務所や所属タレントの今後を報道することに偏り、喜多川氏の事件が、子どもたち自身の権利を侵害する重大な出来事であり、子どもたち自身の問題としてこの性加害の事実を知らなくてはいけない、という認識に立った報道がないのはなぜだろう。性被害から守られる権利があることを子どもたち自身が知る権利を持ち、子どもたちに知らせなくてはいけないという認識のもとにこの事件を報道しようとする局が見当たらないのはなぜなのだろう。

喜多川氏の性加害報道を見ていると、「人権」という言葉が多用されていることに気づく。数多くの被害者たちの人権にかかわる重大な問題であることはもちろんだが、喜多川氏の性加害と教師の犯罪などを通して、広く子どもたちの「人権」について、あらためて考えていかなくてはいけないという認識を持って報道する放送局はあるだろうか。

視聴者の関心が高いことを報道することはもとより大事である。だが一方で、事件の核心部分に潜む問題に目を向けながら、そのことを伝えていくことは、ジャーナリズムの大切な使命でもあろう。

子どもたちが深刻な被害者になる性加害事件、性犯罪の報道に際して、子どもたち自身の問題として、子どもたちに向けた、子どもたちの存在を意識した報道があってほしい。大人の視聴者の興味関心と、視聴率につながることだけに流されず、出来事の核心部分にある大切なことを社会に発信する報道であってほしい。

ただし、子どもたちに喜多川氏の性加害を伝える際の言葉には細心の注意を払ってほしい。現在までのテレビ報道は、慎重に言葉を選びながら事実に迫ろうとしていることが十分に感じられる。さまざまな年齢の不特定多数の視聴者に伝えていく場合、こうした点には細心の注意が必要になるが、伝えるプロとして、言葉を選びながら子どもたちに伝える努力を続けてほしい。

被害者たちを救えなかっただけでなく、真実を伝えることを放棄して、長年にわたって見て見ぬふりをし、国民の知る権利にも応えてこなかった責任が日本の報道機関にはある。世界にも類を見ない子どもへの重大な性加害事件が起きた国の報道機関として、この事件を踏まえて、性被害の当事者にならないように、子どもたちに向けた情報を積極的に発信する責任もあるのではないだろうか。

最後に、性犯罪、性的虐待の被害経験のある視聴者への配慮をお願いしたい。

性被害経験者たちの中には、重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ人も多い。思い出したくない過去として、記憶の底に封印している方も多いだろう。喜多川氏の性加害が連日長時間放送されるテレビによって、そうした視聴者が二次的被害に苦しむことのないような配慮が必要である。

震災報道に際して、テロップで視聴者に注意喚起してきたような手厚い配慮が、性加害報道に際しても行われることを願っている。

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