吉岡忍さん×村瀬史憲さん 戦争と国家と報道を考える【戦争と向き合う】④

吉岡忍さん×村瀬史憲さん 戦争と国家と報道を考える【戦争と向き合う】④

民放onlineのシリーズ企画「戦争と向き合う」では、各放送局で戦争をテーマに番組を制作された方を中心に寄稿いただき、戦争の実相を伝える意義や戦争報道のあり方を考えていきたいと思います。

第4回は、戦争の実相をどのようにすれば知ることができるのか、戦争の当事者である国家とは何か、戦争を止めるため、起こさないために報道する者が持つべき視点とは――。世界で紛争が絶えず、次の危機が懸念されるいま、ノンフィクション作家の吉岡忍さんと名古屋テレビ放送の村瀬史憲さんに話し合ってもらいました。(編集広報部)


戦後日本では語られなかった戦争

吉岡 僕は1948年生まれですが、この世代ですら戦争はそんなに近くないんです。僕が10代の頃、戦争体験者は周りにいっぱいいたはずだけど、戦争に行った話を聞いたことがなかった。学校の授業で習うわけでもないので、自分で調べるか本を読まなければ知ることはできなかった。もちろん戦争文学はありましたが、子どもにとって楽しい話ではないから、一生懸命読むことにはならなかった。

僕は60年代の末ごろに"フォークゲリラ"でベトナム反戦活動をしていて、そこで知り合った人がシベリアに抑留されたと言うので、後で話を聞きに行った。そういうことでもしない限り、直接、経験者から戦争の話を聞くことはできなかった。もちろん凄まじい戦場があったには違いないけれど、経験者は話をしたがらない。第2次世界大戦後はそういう状況だったから、よほど努力しないと戦争への理解は進まないと思います。

村瀬 私が初めて戦争体験を聞いたのは、第2次世界大戦中に陸軍の特攻で亡くなった祖父の弟が出撃するときの話でした。家族を守るために出撃していったと言われていたような記憶があります。実家には彼が残した軍刀があって、さびついていましたが欠けていました。中国にいた期間はかなり長いということと、その軍刀の欠け具合を見て、これは人を斬ったなと思うわけです。そこで、命をかけて戦場に駆り出されていった悲劇の部分と、人を殺めた人でもあるという両面を子どもの頃に垣間見てしまった。だから、戦争について誇らしげに語る人が仮にいたら、その向こう側には恐らく違う悲劇を生んでいるだろうと考えるようになりました。

もう一つは、小学生の頃に年に1回か2回、戦争映画を学校で見た記憶があります。空襲は怖いという印象を持ったことしか覚えていないですね。だから、戦場で何があったのかといった話に触れたことは、子どもの頃は全くありませんでした。

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<吉岡忍氏>

軍隊と国家と戦争

村瀬 1996年から東京の制作会社で『ニュースステーション』(テレビ朝日)に関わらせていただき、当時から安全保障とか自衛隊に関するテーマがあったら、積極的に加わるようにしていました。なぜかと言うと、自分が幼い頃に感じた戦争に対するねじれみたいな感覚もありましたし、そのプロダクションの当時の社長が、「軍隊から目を離すな」と言っていたんです。その理由は、一番赤裸々な国家のありようが、軍隊に現れてくると言うんです。そこに建前はないから、経済力とか、国際社会の中での位置づけとか、宗教観とか、いろいろな国家の本音が現れる。そんな助言もあって、日本を知るためには自衛隊を注視していれば把握しやすいんじゃないかと考えていました。

その後、2005年に名古屋テレビに入社しました。2017年に米朝関係が緊迫し、本当に戦争状態になったら民間船が徴用されるんじゃないかと本気で怖くなりました。当時、つくったのが『防衛フェリー~民間船と戦争~』(2017年5月放送)です。第1弾はテレビ朝日系列の「テレメンタリー」枠で30分の番組でした。自衛隊が民間のフェリーを運航できるようになっていたことを知り、「これはまずいぞ」という思いでつくりました。これを視聴者に知ってほしい、そんな焦りみたいな気持ちがすごく強かったのをいまでも覚えています。

吉岡 ベトナム戦争当時、ドミノ理論といって、ベトナムが共産主義化したらインドシナ半島、ひいては東南アジア全域が共産化するという考え方があり、それを防ぐことが現実主義思考だ、と主張する人もいました。だからといって、それを防ぐためなら残虐なことをやってもいいのかという話になりますが、その辺りは抜け落ちている。そうした経験を通じて、当時から僕には、国を単位に世界を見ていくと、そのような発想しかできなくなることが見えてきた。結局、国を単位に物事を考えていくと、戦争の現実を追認していくことになる。戦争をするのは国ですから。

村瀬 戦争になった途端に、いきなり国家が現れて、個人からあらゆるものを奪う。あらゆることに制約を加える。それをみんな了解するじゃないですか。その切り替わりのギャップが僕には腑に落ちないんです。でも、戦争になるとそういうことになるんでしょうね。

吉岡 歴史的に見れば必ずしもそうではないと思います。例えば関ヶ原の戦いでは兵士以外の人たちは、合戦を見物していた。こういう話は世界中で同様ですけど、ヨーロッパで産業革命が起きて、国外にビジネスが広がっていくと、国に守ってもらったほうが有利に物事を動かせる。紛争になったときは、国として戦うことになるから個人が国家を背負うようになる。それが植民地主義になっていき、各国の植民地支配の秩序が形成されるようになる。アヘン戦争で清国が負けたと聞けば、日本にも国としての意識が現れ、幕末には260以上あった藩をまとめる相当な力業が行われた。

村瀬 幕藩体制をやめて、大日本帝国という一つの国家にするには何が必要だったのでしょうか。

吉岡 まず絶対に必要なのは、四民平等ですね。つまり、全員をひとつの"国民"にまとめ、当事者にする。身分制度があると分断が起きますから。その次に必要だったのは戦争です。それが日清戦争。

村瀬 軍事力というだけではなく、戦争そのものですか。

吉岡 とりわけ対外戦争という意味で重要だったのは日清戦争です。それ以前の戊辰戦争は内戦ですからね。まだ国内世論が統一されていないときに日清戦争で国民世論をつくっていった。提灯行列をやったり、写真展を開いたり、大騒ぎしています。これはもう260藩ではない、日本国となる。実態として国家としてまとまってくるのは戦争だった。

村瀬 国を守るためではなくて、国を形づくるための戦争。そう考えると、いま起きていることとつながりますね。

吉岡 そのとおりです。当時も大変だったと思うけど、いまだって貧富の格差は拡大し、かつてあった地域社会や企業社会がなくなって人々はばらばらになり、SNSではいろいろな不満が渦巻いていて何かあると炎上するという社会になった。本来はそれぞれの矛盾をきちんと解決しなくちゃいけないんだけど、そんなときに戦争となったら、そうした問題が一気に吹き飛びます。

村瀬 仮にそうだとしたら、そんな恐ろしいことはなくて、その先に何があるかということは知っているはずじゃないですか。初動のときには一体感があるかもしれませんけど......。

権力を対象化する視点

吉岡 戦争や政治の話を振られても口ごもる人も結構いますし、反戦を口にすることは減りましたよね、昔に比べると。2015年の安保法制のときに盛り上がったような状況はいまはない。

村瀬 2023年7月に放送したテレメンタリー2023『ゲンは忘れない〜"50年後"の広島で〜』で取り上げましたが、中沢啓治さんの『はだしのゲン』を教科書から削除したことで、逆に本が売れている。僕はその現象にちょっと期待を感じていて、このままじゃまずいと感じている人たちに向けて、テレビは何を発信するべきかと考えるんです。その人たちにとって有益な情報とか、提案とか......。

吉岡 そこにも捉え方が2つあるような気がしていて、1つは使い方を気をつけなければいけませんが、権力をどう捉えるかということです。権力と自分を切り離すということを絶えず考えていないと戦争が見えないような気がします。自分も国の一員だと考えていくと、国と一体化して日本という国がどうするかみたいな考え方になっていく。そうではなくて、国という権力と私は違う考えを持つし、それを言うのが当たり前なんだという気風をつくらなくちゃいけないと思う。外国でもトランプ、プーチン、あるいは中国や北朝鮮などの例がいっぱいあるし、日本も例外じゃない。国家権力というものは何をするか分からないし、誤ったこともいっぱいすると知っておけば、私はそれを「やらない」と言えるじゃないですか。確かに力を持っているけれど、権力だからといって偉くもないし尊敬に値するわけでもない。権力と自分は違うんだ、と思えるようにならないと、いざ戦争みたいになったら、"さあ大変"と浮足立つばかりです。やりたい人はどうぞやってください。私はやりませんから、と言えることが大事だと思います。

もう一つは、権力の思考を形としてきちんと認識できないといけません。例えばガザの問題で、シオニズムはどうやって始まったのかということを知っておかないと、イスラエルのネタニヤフ首相はけしからんと言うだけでは何ともしようがない。そういう知識がないと、ガザの人は気の毒だ、で終わってしまう。戦争の問題を日本の社会の中でリアルに、冷静に判断する道筋をつくるためには歴史を知ることと、もう一つは権力は何をやるか分からない存在だということぐらいは、常識にしていかなければいけません。

村瀬 歴史の話でいうと、約50年前に名古屋を舞台に中国の"ピンポン外交"による米中接近劇がありました。実はそのとき、「日中もそこで国交正常化に向けた地ならしをしていた」ことを描いた番組を2013年につくりました。名古屋の大学生にその番組を見せて、当時の時代背景などを説明すると、学生の感想で驚いたのが「えっ、日本と中国の仲がよかった時代があるんですか」という発言です。今の20代前半の人たちは、日本と中国はずっと関係が悪いと思っているんです。でも、1978年に日中平和友好条約を結んでいますよね。もちろん友好国だから全面的に信用しろと言いたいわけではありません。友好国は友好国なりに向き合う態度があるでしょう。例えば軍事的な圧力を加えてくるんだったら、平和友好条約があるのになぜそういう威圧的な態度を取るのかと反論もできますよね。

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<村瀬史憲氏>

過去から現在を通して未来を見る

村瀬 戦争が始まってしまったら報道では止められませんよね。始まってしまった戦争を止める報道と、防ぐための報道と、どちらが現実的かといったら後者のほうがまだ可能性があると思っています。それを「戦争の芽を摘む」という言い方をしていて、戦争を予防する報道に傾注したいと考えています。世論をつくるという言い方をすると、すごく傲慢ですけれども、そういうところに働きかけていくような報道と言ったほうがいいかもしれません。

吉岡 戦争を予防するためには、戦争に向かっていかないように世論をつくらなくちゃいけないし、あるいは戦争が始まったら権力に対してブレーキをかける力にならないといけない。それは、問題を投げかけるということだと思います。

村瀬 それはできるんじゃないでしょうか。受け売りばかりになりますが、物語があるから人に伝わるし、心に残るということを吉岡さんが別の場所でお話しされていて、私は強く賛同しています。だから、いまこういう局面だと伝えるときに、必ず歴史の背景を調べて、それも盛り込んだ上で伝えるよう心がけています。これは、『ニュースステーション』に関わってていたときに、当時のオフィス・トゥー・ワンのプロデューサーに「テレビで未来を伝えるにはどうしたらいいと思う?」と、謎かけをされ、未来を映像化することは難しいけれども、いま起きている現象を過去の延長線上に置いたら先のことが視聴者に伝わるかもしれないと考えるようになりました。過去の出来事の上に現在の出来事を置くと、もしかしたら次はこうなるのでは、という予感を抱いてもらうことができると考え、そういう伝え方を意識しています。

吉岡 現在だけを見ていたら未来は絶対に見えませんね。過去のものがあればあるほどプリズムの光の広がりが狭くなって、うまく焦点が合ってくると思います。過去からの光を受け止めて、現在を通して未来が見える。そういうものだと思います。映画でもSFでもそうですから。

村瀬 そういう点では、いま取り組みたいと思っているのは差別の問題です。戦争の陰に必ず民族差別がついて回っていると思うので、そういうことを背景に、現在を伝えていくと未来のことも描けるかなと思っているんです。

吉岡 過去をどこから見るかということでは、日本の近代史の解説が明治維新から始まることを考え直したい。これは日本一国しか見ていないので、大きな歴史の問いに答えることはできないと思います。さらにもう少しさかのぼって、欧米列強の植民地主義から始めないと、世界史との関連が手薄になるだけでなく、アジア、とくに日本の近代史を特徴づける中国・朝鮮との関係が視野に入ってこない。せめてアヘン戦争(1840〔天保11〕―42年)の衝撃を視野に入れなければならないし、このときに日本だけでなく、中国、朝鮮でも反植民地意識と近代化への意欲が芽生えたことに注意を向けなければならないでしょう。極東アジアの近代化への目覚めは、同時的だったということです。従来の歴史観には、この視点がない。だから、日本の侵略的アジア進出の意味が究極的に自覚されることがない。このような"同時性的視点"を獲得することによって、脱亜入欧論、日本の先進国意識、大東亜戦争肯定論等々を克服することができると思います。

さらに、歴史的な欧米植民地主義をどう批判できるか、という問題もあります。第2次世界大戦におけるドイツ、日本、イタリアの戦争責任は裁かれたわけですが、では、欧米植民地主義は問われなくてもよいのか? つまり、植民地支配責任というものがあるのではないか。これは世界中の歴史学がペンディングしている問題なんです。これから50年、100年の単位で、アフリカ、アラブ、あるいはラテンアメリカ等々の、いわゆる「グローバルサウス」が台頭してくるでしょう。そのとき、これは必ず課題として持ち上がってくるテーマです。現代はどこまでの過去・歴史に責任を負うべきなのか? という問いかけも必要ではないでしょうか。

村瀬 歴史もそうですが、現在進行中の事象についても、時間軸を設けるだけでなく、大胆な視点で切り込む必要を感じます。「同盟」とか「国益」とか、時には「民主主義」という用語から疑ってみるような。戦争に向かう風潮に歯止めをかけるには、ステレオタイプではない視点を提示することも報道の大切な役割かもしれませんね。

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2024年1月24日 民放連会議室にて収録/取材・構成=「民放online」編集担当・矢後政典)


ノンフィクション作家
吉岡 忍(よしおか・しのぶ)
1948年生まれ。早稲田大学在学中から執筆活動を開始。87年『墜落の夏』で講談社ノンフィクション賞を受賞。2007年5月から13年3月までBPO・放送倫理検証委員会委員を務める。著書に『「事件」を見に行く』『M/世界の、憂鬱な先端』など。民放連賞中央審査員、日本ペンクラブ前会長。 

名古屋テレビ放送 報道情報局報道センター
村瀬史憲(むらせ・ふみのり)
1970年愛知県生まれ。番組制作会社を経て2005年に名古屋テレビ放送入社。自社が70年代に取り組んだ中国報道の自己検証などを番組化。『防衛フェリー~民間船と戦争~』(2017年)が文化庁芸術祭大賞。「変わる自衛隊~地方から伝えた一連の報道~」(17年)がギャラクシー賞「報道活動」大賞。『葬られた危機~イラク日報問題の原点~』(18年)が民放連賞準グランプリ、「テレビ報道」最優秀を受賞。

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